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小山田圭吾氏のイジメ「ウ●コ食わせてバックドロップ」は嘘だった?|原文を読んで事実を確認してみた

※イジメ行為に関する具体的な表現も出てきますのでご注意ください。

はじめに

東京五輪開会式のクリエイティブチームの一人であった小山田圭吾さんが、過去の雑誌で学生時代にいじめっ子だったと語っていることが問題視された。
一度は謝罪をし担当を続行することとなったが、バッシングが続いたので改めて謝罪文を公開し辞任に至った。

このことを知って私自身戸惑った。

私はコーネリアス(小山田圭吾氏の音楽活動名)の音楽が好きで結構日常的に聴いていたからだ。
フリッパーズギターの「恋とマシンガン」やコーネリアスの「STAR FRUITS SURF RIDER」は何度聴いたかわからないぐらい聴いている。
コーネリアスが五輪に関わることも楽しみだった。

でも私は過去のイジメ問題や小山田さんの生い立ちや人間性など知らずに聴いていた。
小山田さんがネットやメディアで大批判を受けたこと、過去に酷いいじめをやっていたことにショックを受けて、私は彼の曲を聴けなくなってしまった。
再生してみても途中でやめてしまった。


ところが、Twitterで彼のファンの人たちはこの批判に対して怒っているようだった。(7月下旬ぐらいのこと)

私も再度自分で事実を確認してみることにした。

同時に小林賢太郎氏も批判にあい、東京五輪開会式の演出から解任されている。
私は小山田氏の件は根が深そうだし、小林氏の件を先に検証・まとめることにした。

東京オリンピック開会式・小林賢太郎解任事件

小林賢太郎氏の件での事実確認は私なりに結論を出せたのだが、小山田氏の件では何をどう取り扱っていいのかわからないままだった。

とりあえず原文に当たってみようと思い、ロッキング・オン・ジャパン(以下ROJ)をいくつも入手してみた。

雑誌社、山崎洋一郎氏とアーティストの関係性や、前後の動きも知りたかったからである。

細かく調べていくことで真実に近づけた気がする。


小山田氏の謝罪文「事実と異なる内容も多く記載されておりますが」とは?

小山田氏は2021年7月16日に公式ツイッターで謝罪文を掲載して東京五輪音楽担当から辞任を表明した。

東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして
午後6:34 · 2021年7月16日

私が気になった部分

記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。


Twitterや複数のメディアや著名人は「彼がやったことは犯罪だ」というようなことを書いている場合が多い。
私はこれを過剰な表現ではないかと疑いました。

証拠もないのに人を軽々しく断罪し、自分は正しい人、小山田氏は犯罪者、などということ自体が、実はネット上では犯罪につながります。

総務省ではこの辺のコンプライアンスを設けています。
場合によっては違法となり処罰の対象となります。


大手メディアや著名人が原文解析に取り組んでいないことに、私は大きく疑問に思っていました。

少々時間がかかったものの、問題となった「ロッキング・オン・ジャパン94年1月号」「クイック・ジャパン Vol.3(1995年7月発行)」以外にも、前後する時期の表紙となっているインタビュー掲載雑誌を入手して考察してみた。

"ソースを調べる"とはここまですべきだと思っている。

世の中に溢れている情報は、ほんの少しのソースに嘘や誇張も混ぜられて、あたかもそれが事実であるかのように作られているものだ。

そういう意味では私が書いているこの記事も、なんらかの私の意図が介入してしまうのは仕方がないことかもしれない。
そういう部分も含めて事実を読み取っていただければ幸いです。


ロッキング・オン・ジャパン1993年9月号「さらばフリッパーズ、HELLOコーネリアス」

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知らない人のために一応解説しておくと、フリッパーズギターというのは小山田圭吾さんと小沢健二さんの二人が結成していたグループだ。
89年にデビューして91年に解散している。
この二人は中学時代に同じ学校に通っている。

(補足)フリッパーズ・ギター結成・デビューまで

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・セツ・モード・セミナー時代にフリッパーズギターの前身であるロリポップ・ソニックを始める1987年にフリッパーズ・ギターに改名
・小沢氏はフリッパーズギターに参加した最後のメンバー
・1989年、小沢が作詞を担当した全曲英詞の1stアルバム『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』でポリスターよりデビュー。


どうやらROJ94年1月号を読んだだけでは、真相はわからないだろうと思い、前後するROJも確認してみた。

全てを入手できたわけではないですが、時系列でROJをみると当時のROJ、編集長・山崎洋一郎氏の傾向が浮き彫りになる。

ロッキングオンジャパン1993年8月号 小沢健二「ついに語ったフリッパーズ、そしてソロ・デビュー」
ロッキングオンジャパン1993年9月号 小山田圭吾 独占インタヴュー「さらばフリッパーズ、HELLOコーネリアス」
22ページ 広告2ページ
17ページ目で小山田さんが、自分がいじめっ子だったことを告白。山崎氏がその話題に「小山田がいじめていたあ!?」と喰いつく。

フリッパーズ解散後、二人は同時期ぐらいにソロ活動を始めた。
それぞれ別で表紙を飾りソロインタビューを受けている。

小沢さんと小山田さんは当時本当に人気があったし、今までのいわゆるロック系のアーティストとは違うファン層を獲得していた。


ROJ93年9月号17ページ目で小山田さんが、自分がいじめっ子だったことを告白している。

山崎氏がその話題に「小山田がいじめていたあ!?」と喰いついているところがある。

ミステリアスで生い立ちも公表されていない小山田氏の意外な側面というところだろうか。
これが次のソロインタビューにもつながるが、それまでにかつての相方オザケン氏と山崎氏の間にちょっとした問題が勃発する。


やい山崎、嘘ついてんじゃねぇぞ!ドン!(小沢氏)|山崎氏は読者がミスリードを起こすようなサブタイトルをつけていた

ロッキングオンジャパン1993年10月号 小沢健二「僕は救われたかったんだ」
ロッキングオンジャパン1993年12月号 小沢健二「やい山崎、嘘ついてんじゃねぇぞ!ドン!
10月号のインタビューで小沢さんが口にしていないことを、本人がしゃべったかのようにとれる形で記事タイトルにしていた。
これに小沢さんが抗議する内容だった。

93年10月号で編集長・山崎洋一郎氏の書いた記事に対して、小沢健二氏が「そんなこと言ってない!」と怒っているのだ。
そのことについて93年12月号で改めて二人は対談している。

「僕は救われたかったんだ」と小沢氏本人があたかもそのようなことを言ったかのように取れる見出しに対して、小沢氏は「そんなこと言ってない!」と怒っているのだ。

当時の小沢氏は、そのような些細な表現であっても非常に気にしていたと言える。

これに対して小山田氏の場合は、事実でないことを書かれていても受け流してしまっていたようだ。
二人の性格の違いがはっきり出ている。

でも、このことから一つのことが確認できた。

だらだらと詳細を説明しても仕方ないので、簡素に書きますが、ROJ編集長の山崎洋一郎氏は、記事を注目させるために読者がミスリードを起こすようなサブタイトルをつけていたってことです。


ロッキング・オン・ジャパン94年1月号「全裸でグルグル巻にしてウ●コ食わせてバックドロップ」は嘘だった

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ロッキング・オン・ジャパン1993年12月号

問題のROJ94年1月号は小山田圭吾さんが表紙を飾り特集されている。
フリッパーズギターを解散してソロデビューする頃だ。


ロッキングオンジャパン1994年1月号 小山田圭吾「血と汗と涙のコーネリアス」 生い立ち・レコーディング初公開 インタビュー山崎洋一郎
44ページ 広告6ページ分のカレンダー


小山田圭吾「血と汗と涙のコーネリアス!」

記事のざっくりとした内容

・東京生まれ東京育ち
・父親は芸能人
・小学生ぐらいの頃に両親は離婚しており母子家庭
・小学生の頃は学級委員とかやる勉強もできるタイプ
・小中高エスカレーター式の私立校に通っていた
・流行に敏感な小学生で比較的人気者
・いろんなベストテン番組のランキングをノートに独自集計するような小学生
・小学校高学年の頃には洋楽を聴くようになる
・中学の同級生に小沢健二氏がいた
・ふたりは中学の軟式テニス部に所属していた
・中学生当時はそんなに仲良くしていたわけではない
・中学生でギターを始める
・グループでやっていた万引きが発覚して、生徒総会(オザケンを含む)に怒られてみんなに前で反省させられている
・リーゼント系のヤンキーはいない校風だった
・けんかは弱い
・いじめられやすそうに見えるけど、いじめる側だった
・同級生の中にひどいいじめをする人たちがいた
・小山田氏は直接やらずに案だけ出したりしていた
・悪ぶってたのは中学生の頃だけで高校生になるとバンド活動を始める
・高校生の頃は友達が少なかった
・小学生の頃から遅刻魔
・高校卒業後はセツ・モード・セミナーという学校に進学
・小沢氏とは高校の頃に音楽を通じて仲良くなっていて、一緒に歌詞レコード屋に通っており音楽趣味を共有していた

この辺りまでがインタビューで語られている生い立ちだ。

私が読んでいて驚いたのは、小山田氏の両親は、彼が小学生の頃に離婚していたことだ。
五輪関係でこんなことを報道しているメディアはなかった。

両親が離婚していれば、その影響でスレた少年になっていそうだが、小山田さんは割と人気者タイプの少年だったようです。

ROJのインタビューを読む限りでは、小山田氏が悪ぶっていたのは中学生が全盛期のようだった。
高校時代には音楽に夢中になっていて、毎週のように小沢氏と貸しレコード屋に通うような仲だったという。


先に同号(94年1月号)の山崎氏の問題点が書かれてあるページを紹介します。

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ロッキングオンジャパン1993年12月号・192ページ

JAPAN編集長・山崎洋一郎(31)による今回の筆禍事件は、業界内部に様々な波紋を呼ぶ結果となった。
事の発端は、山崎が小沢氏に行った取材を原稿にまとめる際、"言ってもいないセリフ"をさも本人の発言であるかのように記事の見出しに使用したというもの。

これは先にも紹介した、「やい山崎、嘘ついてんじゃねぇぞ!ドン!」のくだりである。

山崎氏は読者がミスリードするような見出しを勝手に考えて書くような人だったということがわかる。

同号であるROJ1994年1月号の30ページ目でも、山崎氏は懲りずに同じことをしている。

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「全裸でグルグル巻にしてウ●コ食わせてバックドロップして・・・ごめんなさい」ここだけ読むと本当に衝撃的でありえないイジメをやっているように思える。

ROJの記事内容を読んでみても、これが学校でこういういじめがあったのか、小山田氏本人がやったことなのか断定できないような文体で書かれてあった。

うん。もう人の道に反していること。だってもうほんとに全裸にしてグルグル巻に紐を巻いてオ●ニーさしてさ。ウ●コを喰わしたりさ。ウ●コを喰わした上にバックドロップしたりさ
ROJ94年1月号30ページ目

この記事では直接的な表現は避けたいので、一部伏せ字にしました。

現実的に考えて「ウ●コ食わせてバックドロップ」なんてどうやるんだろう。これが本当だとしたら確かに拷問なのかもしれないけど、あまりにも不自然である。

そもそも誰の汚物なんだろう?汚物を食わせた状態でバックドロップしたらやる方も汚物で汚れてしまうだろうから、本当にこのようなことが行われるなんてことは考えにくいい。

この疑問は約1年半後に取材される「Quick Japan第3号」を確認すれば嘘だということがわかる。

汚物を食わせるというエピソードは出てこない。

Quick Japan第3号の60ページ目「奇妙な立場」という章でプロレスごっこのことが確認できた。

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プロレスごっこをしたのは中学3年生の修学旅行。

同じ班になったのが、いじめられっ子の村田くんと小山田氏とダブった先輩(渋カジ風)の3人。
事件はそこで起きる。

仮名・村田くんには、なんらかの問題があったらしい。
同級生と比べると体は軽く、内向的な癇癪持ちで、それも一因でいじめられる対象になっていたらしい。

修学旅行では村田くんとヤンキー先輩(ダブっている)と小山田氏の3人の班で同じ部屋だったそうだ。
(エスカレーター式の学校だったので中学でもダブることがあるのかな?)

それで他の班の人たちも来て、布団を敷いた状態で村田くんに技をかける形でプロレスごっこが始まる。
一方的にやるんじゃなくて「プロレス技かけさせてくれ」と一応言って遊んでたらしい。

そこにヤンキー先輩が現れた(ということはプロレスごっこが始まった時にはこの先輩はいなかった)。

限度を知らない先輩は洗濯紐でグルグル縛りにして素っ裸にして「オ●ニーしろ」と言って顔を引っ叩いたりしていたらしい。
小山田氏はここに巻き込まれる形で、そこにいたって感じになってたようです。
小山田さんはこの様子を見てさすがに引いてしまったようだ。

これがQJ3号を読むとわかることです。

報道で言われているような、小山田氏が拷問の主犯格のようなことは確認できませんでした。
汚物も食わしたりしていないし、実際にオ●ニーをさせたわけではなかったようだ。

いくらなんでも自分たちが寝る部屋で、汚物食わせてバックドロップをするわけがないと思うのだ。

それにしても酷いことが修学旅行の宿泊先の部屋で突発的に行われたようだ。

例えばモーリー・ロバートソン氏は、小山田さんのいじめ行為を英語でこう表現している。

1)今週のオリンピック開会式のミュージシャンとして、国際的に有名なロックミュージシャンの小山田圭吾の参加が発表された。しかし、小山田は高校生の頃、知的障害のある同級生を友達と定期的に拷問していたことが知られていた。

モーリー氏が書いたこの英文は、私は間違いであると思います。

確かに小山田氏はいじめる側だったかもしれないけれど、「定期的に拷問をしていた」事実はないのだ。

高校生の頃はいじめはやめて音楽に夢中になっている。

モーリー氏はいくつかの勘違いをして事実と相違があることを発信している。

ひどいいじめをやったのは同級生であり、中学3年生の修学旅行の時に偶然勃発したものだった。
傍観者であったクラスメイトの小山田氏一人の責任にするにはあまりも無理があると思うのだ。

修学旅行での出来事は、村田くんとダブった限度の知らないヤンキー先輩が起こしてしまった問題なので、よりセンシティブに扱うべき問題なのだ。

「定期的に拷問」と書いて小山田氏一人を批判をしていい出来事ではないと思う。
これを問題にしてしまうことこそ大問題だと思うのだ。


大手目メディアや著名人が原書を確認しない問題

いろんなメディアがミスリードをして小山田氏を批判している。
それが一般人にも伝わり、小山田氏への批判はさらに辛辣なものになっている。

その中でモーリー氏だけを例に出すのは公平でないと私は思うけれども、私のレスに返答してくださったこともあるので、あえてモーリー氏の言葉を取り上げたいと思います。

モーリー氏は小山田氏の活動再開への道も考えてくれているようです。

ですが、モーリー氏はどうやら原書を確認せずにTwitterで強く小山田氏を批判したようです。

毎日新聞と日刊スポーツが記事にした時点で、モーリー氏はそれを信用して英語や日本語で小山田氏のいじめ問題を痛烈に批判しました。

正直、これで大丈夫かなぁという感じです。
ネットや海外への影響も考えられます。

下手すると名誉毀損に加担してしまうし、自分自身の評判を下げることになるし訴えられると刑罰があります。

間違った情報を元に何が悪いかを一方的に判断できないし、ファクトチェックを行わないことは非常に危険なことだと私は思う。

毎日新聞 7月15日

日刊スポーツ 7月16日

モーリー氏のファクトチェックの認識

モーリー氏は20年9月2日に次のようなTweetをしてバズっている。

ちてきしょうがい今後のテレビ出演ではいじめ、決めつけ、ステレオタイプ、ジェンダー差別、ステマ、ファクトチェックされていない情報流布になるべく抵抗することにしました。
午前2:06 · 2020年9月2日 @gjmorley

テレビではファクトチェックをするけど、ネットではしないということか?
そうではないと思うけど、一貫していないモーリー氏の姿勢には疑問を感じる。

モーリー氏を批判しても問題解決にはつながらないので、この記事では、大手メディアも著名人もろくにファクトチェックを行っていない例として取り上げさせていただいた。


まとめ

私は、本当に小山田圭吾さんが「知的障害のある同級生を友達と定期的に拷問していた」のか疑問だった。

雑誌をいろいろ取り寄せて考察してみたところ、これはまるで出鱈目の情報であると言っていいと思う。

とはいえ、小山田氏はいじめっ子だったことは事実で、「これはひどいな」と感じたいじめもある。

だけど、こういういじめは子供の頃には多かれ少なかれあるもので、グループで遊ぶ子供たちにとっては起こりやすい問題でもある。

ましてや70年代、80年代の社会や当時の学校の風潮を考えると、いじめがゼロの学校なんてなかっただろうと思う。

私自身も、小学生の頃に短期間ではあるけどプロレスごっこの技をかけられる側だったこともある。
まわりには私がいじめられていると思っている人もいたようだけど、全然痛くなかったし完全に遊びだった。

ところがある日、クラスで問題になり、友達が先生に呼び出されて私はいじめられっ子、友達はいじめっ子にされてしまったのだ。先生によって。
子供の遊びを先生が分断してよいものだろうかと思うが、小学生だった当時の私はただ泣くしかなかった。
ちなみにその頃の友達とは、今でも親友と言ってもよい関係だ。

正しい遊び方ではなかったかもしれないけど、プロレス中継やキン肉マンなどの全盛期時期に、プロレスごっこをするのは当たり前の流れだったと思う。

私にはこのような体験もあったので、安易にいじめっを子を仕立て上げるのは問題だと思っている。

センシティブな問題だからこそ、慎重に扱うべきトピックなのだ。


小山田圭吾氏のいじめ問題はクイックジャパンを先入観なく読めばわかる。

彼は小学生の頃に障害を持った同級生に出会い、交友は高校を卒業するまで続いた。
その同級生はQJの取材時も「彼とは仲が良かった」というようなことを言っている。
小山田氏は、障害者を忌み嫌い距離を置いて避ける人よりも、むしろ積極的に関わる性格であることが浮かび上がってくる。

これは在日コリアンの同級生に対しても同じで、家に泊めてあげるような中だったりする。

これを人種差別やイジメと決めつけて発信することは問題だと思うのだ。

もちろん、センシティブな問題を雑誌で語ったこと事態が問題でもあるけれど、深く考えるといじめ問題を再考するよい材料であることもわかる。


次の記事ではクイック・ジャパン Vol.3 1995年7月発行「いじめ紀行」を掘り下げて考察してみたいと思う。

(2021年8月27日 書きました。)


PS:当時の雑誌は所有しているので疑問などあれば私に質問してください。


PS:山崎洋一郎の「総編集長日記」ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して

7月18日に、当時のインタビュアーであった山崎洋一郎氏の謝罪文がブログに公開されています。
それ以降の更新はありません。


PS(9月6日):ようやくロッキング・オン・ジャパン94年2月号が手に入ったので、コーネリアスのインタビュー部分を読んでみました。

この号で94年の1月号の記事について小山田さんが触れている部分がある。

僕こないだのインタヴューに、少し後悔してるところがあります。

あはははは。あの日は本当にどうかしてたんですよ。

など、雑誌記事の内容を容認しており、当時の小山田氏はなぜか悪振りたかったようだ。
要するに学生時代の体験を面白おかしく話そうとしたようだった。

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(ロッキング・オン・ジャパン94年2月号)

当時の小山田さんには『ズレた認識』があり、アーティストとして誰も得をしない非常にデメリットがある内容だとは気がついていないようでした。

さすがに2021年の小山田さんはことの重大さに気がついていると思うので、私としては静観して対応を見守るのみです。


追記(2021年9月22日)

小山田圭吾氏が謝罪と詳細説明文を発表(9月18日)

9月15日午後4時、文春オンラインが小山田圭吾氏の懺悔告白取材を配信。

翌日、9月16日には週刊文春で4ページの取材記事が掲載された。

これを受けて改めて小山田圭吾氏が公式サイトやSNSで謝罪と説明文を掲載。

この記事でも考察・検証してきた通り、ロッキンオンジャパン(94年1月号)『ウ●コ食わせてバックドロップ』などは、雑誌社(山崎洋一郎氏)に勝手捏造されて書かれたものであったことを告白している。

掲載当時、小山田氏は抗議する必要があったはずですが、加害者意識もありそれはしなかったようです。
この点においては弱い性格の小山田氏にも非があります。

小山田さんの問題はやはり「雑誌社に話すべきでないことを話してしまった」ってところ。

インタビューをいくつも読んで見えてきた小山田さんの性格は、聞かれたら何でもしゃべっちゃう性格です。

でも性格までは一般の人には届きませんので、これも伝えるのが難しいです。

この場合、やはり山崎洋一郎氏に責任があります。

26年経過して、雑誌の記事が小山田圭吾氏に大きな損失を与えてしまいました。

この責任は今後も問われ続けるでしょう。

その時のインタビュアーは私であり編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。
27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています。

ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して|山崎洋一郎(2021.07.18 )


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