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小山田圭吾さんは本当にいじめてた?|クイック・ジャパン Vol.3 「いじめ紀行」解説

※イジメ行為に関する具体的な表現も出てきますのでご注意ください。

小山田圭吾氏に問題が全くないわけではないのだ

ロッキング・オン・ジャパン94年1月号ではよくわからなかったいじめの全貌が、クイックジャパンVol.3(1995年7月発行)では、小山田氏により詳細に語られている。

ロッキング・オン・ジャパン94年1月号の考察はこちら。


クイックジャパンの村上氏の取材に応えている小山田氏は、やはりどこか嬉々として話している様子もある。

ところが読み進めていくと、そうでもない感じがするから不思議です。

小山田氏のピュアでフラットな性格、好奇心は常人とかけ離れているところがあるようです。
良くも悪くも裏表がなさそうな小山田氏の様子には驚かされます。

それとは別に、身体的にハンディキャップがあっても、在日コリアンであっても、分け隔てなく仲良くしていた小山田氏の様子が語られています。
普通の友達の昔話・バカ話をしているような感じなのです。

小山田さんが通った学校は、普通なら特殊学級にいるような子が普通にクラスにいる私立校で、小学生の頃からそういう環境の中で育っている。
ですから、小山田さんが語るエピソードも一風変わったものが多い。

その中で語られる"いじめ"は、残虐で悪質なものだと断罪できるものではなく、いじめの対象であった人にとっても、遊びの延長であったことが伺えます。
このことは記事の全体を読めばわかります。
それでも限度というものがあるかと思いますが。

小山田氏の両親が小学2年生の頃に離婚をしており、母子家庭で育っています。
少年の心理を分析するのにそれも無視できることではありません。

"親が離婚をしていたらいじめをしてしまう" という ことではなく、他の一般家庭と違うことが、心に与える影響は大きいということです。

いずれにしても分別のつかない子供がやったことであり、それを今現在の小山田氏の人格と結びつけて断罪するのは、人の成長を否定しているようで違和感があります。


いじめられっ子だった人が、この問題を読むことがいいことなのかわかりません

実際にいじめられっ子だった人が、この記事を読むことを考えると、はたして書くことが正しいのか、私にもわかりません。

でも、小山田圭吾さんのことを世間は大きく誤解をしているので書きます。


読む人によっては、個人の悲しい過去をフラッシュバックさせるものであるかもしれません。
「過去にいじめを行った人が許せない」と思う人もいるだろうとは思います。

でもそれは、小山田さんのこととは無関係だと考えましょう。
小山田さんの場合、ただ単にいじめただけで終わっておらず、少なからず友人関係を築いています。

あなたをいじめた人と小山田さんをダブらせて考えることは、あなたの心の中にある問題を解決はしてくれません。
ネガティブな気持ちや過去は新しいあなたを作ってはくれません。

思い切ってあなたをいじめた人を許してみたり手放してみてください。
いじめられていた自分を許してみてください。
過去は変えることはできませんが、未来は変えることができます。

思いのほか新しい扉が開いて、見える景色がガラッと変わったりするものです。

それでは本題に入ります。


クイック・ジャパン Vol.3 (1995年7月発行)「村上清のいじめ紀行」解説

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(左)クイック・ジャパン Vol.3 (1995年7月)

クイック・ジャパン Vol.3を詳細に解説しても仕方ないので、要点だけまとめていきます。

小山田さんを擁護し過ぎないように、ダメなエピソードもそのまま要約します。

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・3〜5ページ目 小山田さんのカラー写真
・51ページ目 村上清のいじめ紀行表紙
・52〜54ページ目 今回の企画の動機など
・55ページ目 小山田さんを交えてのインタビュー
・56〜57ページ目 沢田くん(仮名)の転校から小学生時代のいじめエピソード、沢田くんと一緒だった太鼓クラブの話、年賀状の話など
・58ページ目 沢田くんがウ●コを漏らす話
・59ページ目 沢田くんの思春期頃のエピソード
・60ページ目 小山田さんが沢田くんにティッシュボックスをプレゼントした話
・60〜61ページ目 障害がある生徒たちの相撲の話
・62〜64ページ目 村田くん(仮名)のいじめエピソード
・64〜65ページ目 在日コリアンの同級生・朴くん(仮名)との話
・65ページ目 近隣校のダウン症の子達を笑うエピソード
・66ページ 中学の同窓会で村田くんと再会した話とアルアバム『ファースト・クエスチョン・アワード』の由来の話
・67ページ目 村上氏のルポ、村田くん宅へ電話取材、沢田くん宅へ訪問取材した話
・68〜71ページ目 小山田さんの二度目のインタビュー、同級生のその後の報告
・72ページ目 沢田くんが小山田さんに送った年賀状を掲載
以上

ざっと、これらの話がQJ3号に掲載されていました。

この頃のクイックジャパンはカルト雑誌といった位置付けだったっと思う。
全体の内容が非常識やアンモラルな雑誌である。

そういう雑誌の中のいじめに関するおよそ25年前の記事で、小山田さんは表紙を飾り、雑誌用に何枚か写真撮影をしており、取材に全面的に協力している。(2回取材に応じている)


当時「月刊ブラシ」というミニコミ誌を編集していた村上清というライターが、この取材を行なっている。
村上氏自身がいじめの傍観者であり、短期間だがいじめの対象になったと書かれている。

いじめた側といじめられた側の両方の声を聞く企画だったが、いじめられていた数人にアポイントを取ったが小山田氏との対談は断られている。

小山田さん本人がQJの事務所に訪れて取材を受けている。
村上氏と小山田さんはいじめ談義で盛り上がったという。


"いじめられっ子"は二人いた

参照:QJ3号55ページ目

いじめられっ子は二人いたそうだ。
雑誌の記事ではエピソードが混在しているので、あえて人物を分けて解説します。

「障害者」と表現するのは抵抗があるのですが、ほかの言葉で書くと伝わらないかもしれないのでそのまま書きます。
障害者にもいろいろあるので、その人がどんな障害を持っていたのかを記事を読んだだけで判断するのは非常に難しい。
何らかのハンディキャップを持った人ととらえて欲しい。


小山田さんと仲が良かったハンディキャップを持った沢田くん(仮名)

参照:QJ3号55〜72ページ目

沢田くん(仮名)
小学2年の時に転校してきた沢田くんには"学習障害"があった。
転校してきたその日に、トイレまでの間を、ズボンとパンツを脱ぎ捨てて、ドアを開けっぱなしでウ●コをしていた。
このことは即日学校中に広がり、沢田くんは学校の有名人的存在になる。
体が大きく癇癪(かんしゃく)持ちで凶暴性があり、牛乳瓶を持って追いかけてくるので、みんなが怖がる存在だった。
沢田くんが牛乳瓶で誰かを殴ると、複数で沢田くんをボコボコにした。

沢田くんの特徴を考えると、複数人でいじめてしまうのはある意味仕方がないというか。いじめを肯定しているわけではないけど、分別がつかない小学生ならこのようになっても仕方がないのかなと思う。

こんな特徴を持った沢田くんと小山田さんのエピソードはユニークである。

小山田さんは沢田くんに興味が湧いて、話してみたりするけど会話が通じなかったらしい。


いじめエピソード1

参照:QJ3号56ページ目
(クイックジャパン3号の参照ページも明記します)

小山田さんと沢田くんはクラスは違ったけど、小学5年生の時にクラブ活動の太鼓部で一緒になった。

5人ぐらいしかいない太鼓部で、先生は事実上不在なようなクラブだった。
太鼓の練習はせずに、ただ遊ぶだけだったという。

そこで大きな段ボールに沢田くんを入れて、ガムテープで縛って穴を開けて、黒板消しをパタパタして「毒ガス攻撃だ」とかいって遊んだようです。

沢田くんは「ヤメロヨー」とか言ったけど、そんなに嫌がっている様子でもなかったという。

嫌がってなかったかどうか、本当のところはわからない。
小山田さんの勝手な印象だと思う。

太鼓クラブは体育倉庫のようなところで行われており、マットや跳び箱などがあり、それを使って沢田くんをいじめていたのは事実のようです。

沢田くんへの肉体的ないじめは小学生ぐらいまでで、中高生の頃にはいじめはしていない。
どちらかというと仲のいい友達になり、小山田さんは沢田くんのファンのようになっていたと語る。

これがいじめエピソード1。

沢田くんは数学とかはできないけど、漢字テストはめちゃくちゃ難しい漢字も書けるような能力があったという。
人の名前や住所や電話番号、つまり学校名簿を丸暗記できたそうだ。
(沢田くんはサヴァン症候群的な能力があったと思われる)

沢田くんとは中学時代はクラスが離れたけど、高校では小山田さんの隣の席になり、また仲が良くなる。


いじめエピソード2

参照:QJ3号58ページ目

沢田くんは高校生になってもウ●コを漏らすことがあったそうだ。
そうすると沢田くんはジャージになる。

ジャージになると脱がせやすいので、他の生徒が沢田くんのジャージを脱がす。

「ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チ●ポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チ●ポ出したままウロウロしているんだけど。」
クイック・ジャパン3号58ページ目

この部分の「みんな脱がして」は全裸にすることではなく、「学校中のみんな」という意味です。
それはその前の文章を読めばわかる。

ウ●コ漏らすって言ったら、それはもう学校中のイベントになっちゃって、

沢田くんがウ●コ漏らすと、学校のみんながジャージを脱がせていたという話で、小山田さんは傍観している立場だったけど、さすがに引いちゃったようです。

(ほかのクラスから来た生徒が)みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。でも、もう僕、個人的に沢田のファンだから『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。

QJ3号を読めば、友達の少なかった高校生の頃の小山田さんにとって、沢田くんは数少ない友達だったことがわかります。

これがいじめのエピソード2で、小山田さんはやってないイジメ。
ここは週刊誌などが誤った認識で大きく誤報をしている箇所です。


もう一人のいじめられっ子、村田くん(仮名)

参照:QJ3号62ページ目

学校には何人ものハンディキャップを持った生徒がいたそうだ。
その中の一人に村田くんという子がいた。

村田くん(仮名)
村田くんは小学生の頃からいたけど、中学で小山田さんと同じクラスになった。
体が小さくて癇癪が内に向かうタイプ。
村田くんは何かあると自分で頭とかを壁にガンガンぶつけていたそうだ。
その様子はまわりからみて引いてしまう。
お風呂に入らないらしく臭うし、髪の毛をいつもポリポリ掻いていた。
勉強も運動もできない。

村上くんのことを小山田さんはこう語っています。

全然、沢田なんかよりも普通に話せるしね。普通に話とかも全然できるしね。体がおかしいとか、障害があるような、そういうタイプでもないっぽい。
(QJ3号63ページ目)

こういう村田くんを、小山田さんはグループでいじめていたようです。

掃除ロッカーの中に入れてフタを下にして倒す。
そうするとロッカーの中で村田くんは暴れた。
それをみんなでガンガン蹴飛ばした。
黒板消しでパタパタやるのもやっていた。

これは本当に限度が過ぎたひどいイジメだと私は思う。

これは小山田さんがやったイジメのエピソードで、クイックジャパンを実際に読んだ中で一番酷いと私が感じたエピソードです。


いじめエピソード3|中学3年の修学旅行で起こった全裸ぐるぐる縛り事件

参照:QJ3号63ページ目

中学3年の頃、修学旅行の班分けで、小山田さんと村田くんと1歳年上のダブったヤンキー先輩と3人の班になってしまった。
事件は宿泊先の部屋で起きた。

(ヤンキー先輩と雑誌には書かれてないんだけど、伝わりやすいと思ってあえて「ヤンキー先輩」と書きます)

ほかの班の人とかも、小山田さんが泊まる部屋に来て、布団をひいてプロレスごっこが始まった。
当時、80年頃の修学旅行で、枕投げやプロレスごっこは結構あり得ることだと思う。

体重が軽い村田くんに、みんなでプロレスごっこでバックドロップをかける。
当時の村田くんの体重が何キロだったかはわからないけど、中学3年生の男子が簡単に持ち上げることができたようだ。

無断でやる感じではなく、一応村田くんにお願いする形で遊んでたようです。
ここまではイジメなのか遊びなのかはグレーです。
先生に見つかったら怒られるんだろうけど。

ここに一つ年上のダブったヤンキー先輩が部屋に入ってきて、村田くんを洗濯紐でグルグル縛りにして裸にして「オ●ニーしろ」といった。
さらにビンタをしたようだ。

これを面白がっている生徒もいたようだけど、小山田さんは完全に引いちゃってるし、怖いと思って見ていたようだ。

もし私がこの場に居合わせたとして、この怖い先輩を前にして、これを止める勇気は私にはないなと思った。

学生時代、小学生から高校までエスカレーター式の学校で、小山田さんのまわりには、ハンディキャップを持った人がたくさんいたそうだ。
でもいわゆる不良やヤンキーがいるような校風ではなかったようです。

障害を持った子が興奮してしまうと、人に危害を加えることが実際にあります。
ハンディキャップを持った友達との接し方も正解なんてなくて、何とも言えないむずかしい環境であったことがわかります。


全裸ぐるぐる縛り事件のエピソードが元に、メディアも含めて小山田さんがやったこととして広まっています。
少なくともこれは明らかに間違いなので、今後メディアがどう訂正を報じるのか気になるところです。

小山田さんがやったいじめは法に触れる犯罪だと断定するなら、証拠や事実確認は必要です。
クイックジャパン3号を読むだけでも誤解は解けます。
その場にいたから小山田さんも同罪だというのも、非常に無理があります。

読む人に理解力がなかったり、「小山田は拷問をしていた」と脳に強く焼きついた状態で、QJの元記事を読むとミスリードや誤解を生じやすいです。
フラットな状態、冷静な状態で検証する必要があります。

これがクイックジャパンに掲載されているいじめエピソード3で、小山田さんは途中から傍観者です。

いっこ上の先輩が村田くんをぐるぐる縛りにして全裸にして「オ●ニーしろ」と言ったのは、記事によるとどうやら事実のようです。
言っただけで行為自体はさせていない様子です。
汚物も食わせたりはしていないです。

記事を確認して思ったのは、メディアの報道が暴走し過ぎです。
全部小山田さんがやった印象で報道しており、事実でないことも追加されています。

嘘の情報でいじめ問題を論ずることはできないです。
本人たちが会見をしなくても確認できることはあるのに、事実を曲げて報道したことは、この問題をさらに大きくしています。


小山田さんと村田くんは中学の同窓会で会っている

参照:QJ3号66ページ目

中学の同窓会に村田くんがきてたから、みんなで村田くんに近況を聞いていて、村田くんはビートルズと荻野目洋子のファンクラブに入ったと答えている。

少なくとも会いたくない同級生ではない様子だ。

30年ほど前の小山田少年の交友関係を、第三者がいじめ問題として大きく取り上げて社会的に大きな問題にしてしまうのは違和感がある。


「ファースト・クエスチョン・アワード」"質問大賞"

参照:QJ3号66ページ目

学生時代に村田くん以外にも、ひとつ下の学年に犬川くん(仮名)っていう子がいて、この子が学校の門の前で手当たり次第にクイズを出していた。

『問題を出す』とか言って『赤と緑、どっちが黄色?』とか、答えのない禅問答のような質問をしていた。
適当に答えたら『ブー』っていって唾をかけてきたから小山田さんは蹴っ飛ばしたそうだ。
それでも犬川くんはフラフラ立ち上がって別の人にまた『問題を出す』ってやってたそうだ。

このエピソードが元で、小山田さんの1stアルバムのタイトル「ファースト・クエスチョン・アワード」"質問大賞"がつけられたようです。

犬川くんの行動は小山田さんにとっては印象に残ることだったようです。

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CD コーネリアス「ファースト・クエスチョン・アワード」(1994年)


在日コリアン朴くん(仮名)とのエピソード

参照:QJ3号64ページ目

小山田さんの同級生に在日コリアンの朴くん(仮名)がいた。

朴くんは朝鮮学校から転校してきた生徒で、小山田さんは朴くんのことを『ピュアないい奴で一緒に遊んでた奴』と語っている。

転校初日の授業で朴くんが手をあげた時に、ウルトラマンのスペシウム光線のようなポーズだったので教室中大爆笑になったそうだ。

朝鮮学校での挙手のスタイルがスペシウム光線なのは本当のようです。

これを安易に人種問題とか差別だとかいじめだというのには無理がある気がします。
クラスで起こったことですし、小山田さん一人の問題ではありません。
このこと自体を問題視するのもおかしいと思う。

朴くんとは本当に仲が良かったようで、よく一緒に喫茶店に行ったり朴くんが親に怒られたら家に泊めてあげるような仲だったようです。

QJ記事なのかでは時期が不明ですが、喫茶店に行っていたことや、朴くんがラジカセを買うために1万円を貯めていたというエピソードから高校生ごろだと思われます。


ダウン症の人の顔が同じに見えると語った

参照:QJ3号65ページ目

高校生の頃、小山田さんは裏山に隠れてタバコを吸っていた。
その時に見かけた走っているダウン症の子をみて「ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?」と語っている。

これはさすがに倫理的にダメだと思う。


ライターの村上清氏が沢田くんに会いに行く

参照:QJ3号67ページ目

ライターの村上氏は小山田さんに情報をもらい、沢田さんに会いにいってます。
沢田くんの住宅は高級住宅街にあり、有数の邸宅だったそうだ。

お母さんによると沢田くんは学習障害だそうだ。
取材当時の沢田くんは、家族との会話は「うん」「そう」程度の会話しかなかったようだ。
働いてはおらず、週に二回ほど保健所の書道や陶器の教室に通うぐらい。

お母さんの話によると沢田くんの様子は、高校卒業後に酷くなったようだった。
小山田さんと仲良くしていた頃は、まだいろいろと話していた様子が伝わってくる。
お母さんはこうも語る。

お母さん
「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知っている人にばかり囲まれてるからか。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」

村上氏が沢田くん本人にこう聞いた。

小山田さんとは、仲良かったですか。

沢田くんは一言だけこう答えた。

「ウン」


実際にいじめ紀行を読んでいて、私は正直、感動していた。
小山田さんと沢田くんの友情の話のように思えたからだ。

小山田さんは、何人かの同級生をいじめていたのは確かだ。

でもこれを第三者が"いじめっ子"と"いじめられっ子"に分けて引き裂いてしまうのは、ちょっと残酷な気がした。

そう思うと私は涙が出た。


小山田さんは沢田くんには会いたいと思っていた

参照:QJ3号68ページ目

小山田さん
「どうなんだろうなぁ?これって、僕って、いじめてる方なのかなぁ?」

「だから自分じゃわかんないっていうか。『これは果たしていじめなのか?』っていう。確かにヒドイことはしたし」

「うーん・・・。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃったりするもんねぇ」

ライターの村上氏も小山田さんの話を笑いながら聞いている。

取材する方も話した小山田さんも、当時は罪悪感がないからこういう取材もできたんだろうと思う。
いじめ問題を取り扱うにしては、二人とも態度は不謹慎に思える。

ただ、今現在の小山田さんの気持ちとは違うものだとは思う。


沢田くんの現在の様子を小山田さんに報告

参照:QJ3号69〜70ページ目

ライターの村上氏は、沢田くんが学生の頃よりも人と話さなくなっていることなどを、小山田さんに伝えている。

これを聞いた小山田さんは「重いわ。ショック」と残念がっている。

小山田さんは、沢田くんには特殊な能力があったから、どうにかして社会に出て生きているんじゃないかと期待していたようだ。

村上氏は、沢田くんが「仲良かった」って言ってたことも小山田さんに伝えている。

小山田さん
「うれしいよ。沢田はだからね。キャラ的(キャラクター)にも、そういう人の中でも僕好みのキャラなんですよね」


高校の卒業式での小山田さんと沢田くん

参照:QJ3号69〜71ページ目

小山田さん
「卒業式の日に、一応沢田にはサヨナラの挨拶はしたんですけどね、個人的に。そんな別に沢田にサヨナラの挨拶をする奴なんていないんだけどさ。僕は一応付き合いが長かったから、『おまえ、どうすんの?』とか言ったらなんか『ボランティアをやりたい』とかいってて。『おまえボランティアされる側だろ』とか言って。でも『なりたい』とか言って。『へー』とか言ってたんだけど。高校生の時に、いい話なんですけど。
でも、やってないんですねぇ」


沢田くん(仮名)からの年賀状

明けましておめでとう
     ございます。
手紙ありがとう。
三学期も頑張ろう。
昭和五六年元旦

掲載されていた年賀状は、昭和56年は1981年、小山田さんは1969生まれなので12歳の時の年賀状のようです。


まとめ

私がクイック・ジャパン3号を読んで確認できたことは、小山田さんが小学2年ごろにハンディキャップのある子と友達になって、その交友が高校を卒業するまで続いていたということだ。

その中でいじめはあったものの、当事者である沢田くんは『小山田くんとは仲が良かった』と思っており、村田くんとは同窓会で再会しており、仲が悪い様子は感じなかった。

・現在世間で言われている残酷ないじめ、汚物を喰わせてバックドロップなどは実際には行われていない。

・村田くんをグルグル縛りにして全裸にしたのは別の生徒。

・小学生の頃に沢田くんに対してダンボールに閉じ込めるいじめをグループでしていた。

・中学生の頃に村田くんをロッカーに閉じ込めて蹴るいじめをしていた。

・高校生の頃は小山田さんはいじめ行為をしておらず、ほかの生徒が沢田くんをいじめるのを傍観していた。

・小山田さんはダウン症の子達を笑うようにインタビューに語っていた。

在日コリアンの朴くんとは仲が良かった。
村田くんとも仲が悪いわけではなかった。
沢田くんとは小学生の頃から縁が深く、お互い仲がいいと思っていた。

私がクイックジャパン3号を実際に何度も読んで確認できた内容のまとめとしては、このような内容だった。

ネットを中心にメディアや個人が言っている犯罪者はどこにいるんだろうかと思う。

小山田さんの友人関係を、第三者が壊していいわけがないと思う。
それは、沢田くんや村上くん、朴くんにとっても、とても残酷なことだろう。

法律的にも小山田さんが少年時代に行ったいじめ行為は犯罪というにはむずかしいです。


画像3

PS:クイックジャパン3号の原本は持っていますし、ロッキング・オン・ジャパンの小山田さんと小沢さんのインタビューはたくさん揃えました。
何か質問などあればご意見ください。

PSPS(9月4日):小山田さんは、メディアで大きく報じられているようないじめはやっていないことが、この検証記事から読み取れると思います。
ですが、20代の頃に複数の雑誌のインタビューで、いじめたことを談笑気味に語ったことは事実で、そのことに嫌悪感を示す人もいます。
小山田さんはこのことについてもすでに謝罪はしていますが、許し難いといういう意見が出るのも当然だと思います。

過剰な批判は小山田氏の名誉を傷つけるものでありますが、ファンの人たちが過剰に擁護することもより問題を深くしてしまうでしょう。

PS:当時のクイックジャパンのライター、村上清氏の釈明文(2021.9.16)によると、当時の小山田さんは談笑するようなようすで語ったことはなかったということです。

ライターの脚色により談笑(自慢)しているかのように受け取れる文章が出来上がってしまったのでしょう。


小山田圭吾氏の謝罪文 


午後6:34 · 2021年7月16日

午後7:10 · 2021年7月19日



『Quick Japan 第3号』掲載の小山田圭吾氏記事についてのお詫び(2021.7.19)

クイックジャパンは謝罪文を発表した上で、次号発売を見合わせた。


1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして(2021.9.16)

7月19 日の謝罪文では本当に謝罪のみという感じだったのが、当時「いじめ紀行」の記事を取材・執筆した村上清氏本人が謝罪と事情を説明する貴重な文章。

いじめ問題を取り扱う姿勢は評価できる部分もあるが、駆け出しのライターだった村上氏の記事は表現が稚拙であり、重い問題を取り扱うにはスキル不足だったことは否めない。

であるが、雑誌の性質や当時マイナーだったクイックジャパンの存在、今のようにネットで無料で何でも読める時代ではなく、お金を出して購入した人しか読めない記事であることを考えると、95年にこのような実験的な記事を書くことは許されないのか?と考えると、私個人としてはありだと思うのだ。

当時のクイックジャパンは一般書店に並んでいることは少なく、少しマニアックな書店に行かなければ買えなかったこと。

そういうサブカルものをわざわざ求めて買いに行く必要があったのだ。

95年の記事を、現代で勝手に無料で公開する行為は引用の範囲を超えているし、現代の倫理観で読むことで起きる誤解やデメリットも大きい。

真相を知りたい人だけが中古で雑誌を入手して調べる限定的なものであるべきだと思う。



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