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【雑記と名言と】右手に現実を、左手に虚構を#シロクマ文芸部

 詩と暮らす日々がその人にあったとは、誰が想像していただろう。退官記念特別講演の冒頭は、教授の十九歳の頃の詩の教室の話だった。


 その教授と特別仲が良かったわけではない。それでも有給休暇を取ってまでその講演へ行ったのは、その教授のことが単純に好きだったからだ。近代日本文学が専門で、授業は特別面白く、人好きのする大変朗らかな方だ。名のある文学賞の下読みをされており、今でもフィクションを書きながら「あの教授ならどう思うだろうか」と考えることがある。

 十数年ぶりのその人は、私の記憶よりも少し白髪が目立ち少し小柄だったものの、笑い方も話し方も何も変わらなかった。

 たった一時間の講演はさながら昔の授業のようだった。だが社会人になってあらためて聴く授業は、懐かしさよりも驚きが上回る。人生でそう体験する機会の無い、圧巻のプレゼン力なのだ。

 考えてみれば先生という職業は、一日に何時間も人前でプレゼンを行う仕事だ。他の職業とは比べ物にならないほどの場数を踏む。全体の構成、配分、資料の使い方、発声、身振り。五分に一回は笑いを取るところまで完璧なパフォーマンスを披露した。ハプニングらしきものがあるにも関わらずそれすら意図的だったのではないかと思える。

 たった一時間の講演でその主題となった作家と作品の面白さを語り、ひさしぶりに国文学に触れる素人に興味を抱かせるのだ。その気になれば、どんな会社でもトップセールスマンになれるだろう。


 さて、ここまでべた褒めさせていただいたのには下心がある。冒頭に書いた、詩と暮らす日々について語られたエピソードをここに覚書として残しておきたいのだ。講演会で聞いた話を(しかもメモを取らずに一度聴いただけという不完全な形で)自分のことのように記事に残すことをお目こぼしいただきたい。

 何年か先、ふと立ち止まり振り返った時、この話が私の次の一歩を踏み出す原動力になると信じている。


     *   *   *   *   *


 詩を書くことが好きだった彼は、ある夜間学校の存在を知る。それは彼の敬愛する詩人・翻訳家の多田智満子の詩の教室だった。

 はじめての授業の日、期待に胸を膨らませ教室で待っていると、あの多田智満子が入ってきた。あの多田智満子が目の前にいる。椅子に座る多田智満子。生徒を見渡し、口を開く多田智満子。

 憧れの人の一挙手一投足に感激していた。

 だが、「私は新聞の切り抜きをしているのですが――」という開口一番の言葉に、彼は正直がっかりした。彼女の書く詩は現実とは到底かけ離れたような作風だ。憧れの多田智満子が、新聞の切り抜きなぞしていることをつまらないと感じたのだ。

 さらには「読者欄にこんな話があった」と語り出すのだ。プロの書いた記事ですらなく読者欄だ。素人のものである。ますますつまらない。そう思いながらも、彼女の話に耳を傾けた。


「私は三十三歳の山形県に住む主婦です。周囲よりは遅れたものの良き伴侶に恵まれ結婚することができ、一人の娘にも恵まれました。家には小さな庭があり、その先には土手が広がっています。時折三歳になる娘とその土手へ行くと、走り回ったり草花を触らせたりして遊ばせるのでした。やがて雪が降ると外では遊べなくなりますが、春先になり雪が溶けてくる頃に、娘とともに土手へ向かいました。
 土手には雪の下からふきのとうが顔を覗かせていました。私は娘に『これはふきのとうだよ』と教えてやると、娘は舌足らずながら『ふきのとう! ふきのとう!』と嬉しそうに言うのでした。やがて娘の方が先にふきのとうを見つけ指さすと、私に『ふきのとう! ふきのとう!』と教えてくれるのです。
 しかしその半年後、娘は病にかかり看病も虚しく帰らぬ人となりました。茫然と日々を過ごしていた私は、ふと雪の積もる土手へ足を向けました。そこには雪の下から顔を出すふきのとうがありました。
 おそらく、これを慟哭というのでしょう。娘が病に伏した時も、亡くなった時も、葬儀も、今に至るまでも、ずっと堪えていたのに、ふきのとうを見つけた瞬間、私ははじめて声を上げて泣いたのです。
 ふきのとうは長い冬が終わり暖かい春の訪れを知らせる植物だというのに、私はこの先ふきのとうを見る度に温もりを失った娘との別れを思い出さなければならないのでしょうか。」


 記事を紹介し終えた彼女は、生徒を見渡し言葉を続けた。

「貴方達はこの現実を超える詩を書かなければならない」

 その言葉に彼は強い衝撃を受けた。

 多田智満子は現実離れした作品を生み出しているが、決して現実を無視しているのではない。むしろ新聞の切り抜きをするほどに現実を注視している。

 右手の上に現実を乗せ丁寧に観察をする。そのうえであえて捨て去り、左手の上に虚構を生み出しているのだ。


 フィクションは荒唐無稽なところに生まれるのではない。良質なフィクションは現実を越えた先に有る。

 そのことを肝に銘じるべく、雑記として残しておきたいと思う。



シロクマ文芸部の企画応募がてら、近況の日記です。

今回のテーマは「詩と暮らす」。

文章も話術もピカイチな人と会ってきました。
昔は若干モノノケっぽさのある方でしたが、今はセンニンっぽくなってました。いずれにせよニンゲンっぽくないんですよね。ニンゲン臭いのに🐤
どうぞ長生きしてください。

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