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【雑記というか雑談というか】「はい」は英語でなんて言う?

今年始めたことの一つに、chatGPTを利用した小説の英訳がある。

試しに一つ英訳してもらったら上記の通り非常に良くて、調子に乗ってもう一つ英訳させてみたところで……一ヶ月くらい悩んでいた。悩んでいたのはタイトル通り「はい」の英訳です。

もとの短編小説はこちら。
※できれば一度読んでみてからこの記事の続きをご覧ください。


この話のラストシーン。

私は食卓に着くと、妻に声をかける。顔を上げ目が合うと、途端に私は言葉を詰まらせた。咳払いは出来るのに肝心の感謝の言葉は出てこない。一向に話し出さない私を見つめ、妻は少し首を傾げる。
「その、散歩ならまたつきあうよ。医者にも歩くよう言われているし」
「はい」
 口元を固くして放った言葉を、妻は柔らかな微笑みで受け止めた。

原文

ここをchatGPTはこう訳してくれた。

 As I sat at the dining table, I spoke to my wife. When I looked up and our eyes met, I suddenly choked on my words. Although I could clear my throat, the crucial words of gratitude wouldn't come out. While my wife stared at me, not starting a conversation, she tilted her head slightly.
"Um, if it's just a walk, I'll accompany you again. The doctor also told me to walk more, after all."
"Yes."
 She accepted the words I uttered stiffly with a soft smile.

chatGPTさんいつもありがとう


 ここの「はい」は「Yes」でいいのか問題です。
 受け答え的には「Thank you」だろうか。でも、一緒に歩いてくれることへの感謝の気持ちはあるけど、ここを「ありがとうございます」と受けるのは日本語的にはなんかちょっと違う気がする。感謝の気持ちを表立って言わなくても「はい」で伝わる。
 というか実は感謝だけではない。妻は夫が医者に歩くように言われていることも知っているし、極力歩かせたいとも思っている。今回を皮切りに歩く宣言をしてくれた夫に対して、「うまくいったぞ」という気持ちもひっそりある。そういうのもひっくるめての「はい」。

 じゃ、やっぱり「Thank you」に限定せず「Yes」なのか。そもそも私が「Yes」にどれだけの意味を含められるのか感覚として理解できていない。「Okay」とか「Got it」の方が広義の意味を含めやすいかもしれない。けど、この夫婦間では「Okay」じゃないんですよね。なんなら「はい」の一行を削除した方が伝わる気もする。
 ということで、とりあえずその一行を削除した形でアップしました。でもこの妻だったら、夫の言葉に何かしらの返答をするはず。
 どなたか良い訳を思いつく方は教えて下さい🐤


 そもそも、この夫婦は妻が三歩後ろをついてくる(けど実は巧妙に妻が夫を操っている)THE・昭和な昔気質の日本の老夫婦をイメージしている。ここの文化的背景を理解されないまま英訳することは難しいんじゃないかと思い至る。


 はじめてローマ字に触れたのは小学校だったか幼稚園だったか。この当時はローマ字は外国の文字なんだから「うし」を「usi」と書けば通じると思っていた。
 中学校で英語の授業が始まった頃は「牛」=「cow」だと思っていたし、
高校で受験勉強をする頃には「牛」=「cow」「ox」「bull」「beef」と色々あることを理解できるようになったが考えることをやめた。

 大学生の時にも英語の授業があったが、ここでは文化背景をメインとした授業だった。最初に聞いたのが「おはよう」は「good morning」とイコールではないこと。
 「good morning」は「良い朝」であり、「I wish you  a good morning」の略だという。対して「おはよう」は「お早うございます」であり、「朝早くから頑張ってますね」と言う意味だとか。
 英語圏では相手がgoodなmorningを過ごせるようにという祈りの文化に対して、日本は相手を気遣う文化なのだというお話でした。
 (この件は論文というか論争があるらしいので、興味がある方は調べてみて下さい)

 というわけで、「good morning」の意味を訳すと「貴方に良い朝が訪れますように」みたいな感じ。「神のご加護を」でも良いかもしれない。
 じゃあなんで「good morning」が「おはよう」なのかというと、使われるシーンが同じだから、らしい。そう、これも翻訳なのだ。
(だから別れ際のシーンで「good morning」とか言われると訳すの困るよね。「おはよう」は出会い頭の挨拶なので)


 でもこの「意味は違うけど使うシーンが一緒だからOK」という訳はある意味分かりやすいが危険でもある。

 むかーしむかし、フランシスコ・ザビエルが来日しキリスト教を日本で広めようとしたとき、当時の通訳者(日本人)がキリスト教の神様を「大日」(大日如来)、マリア様を「観音」(観音菩薩)と訳したとか。日本で受け入れられたはいいけれど「……あれ? なんか違くね?」となった話を聞いたことがある。
 当時の日本に一神教の考え方は無いだろうから、その理解が無いままに「大日」「観音」と訳されれば、当然仏教的な流れで理解されただろう。
 「はい、ご新規二名様ー。いらっしゃいませー」みたいなノリで多神教の世界では気軽に受け入れられる。
 でもキリスト教は唯一絶対の神様。「他の神様はウソ! 正しいのウチだけです!」という一神教だ。本来、他の宗教と共存はできないのに「大日」みたいな神様、と伝えた時点で大日如来の存在を肯定してしまっている。
 通訳者は熱心なキリスト教信者だったが、訳し方をマズった例だ。


 chatGPTは頭が良いから誤訳はほとんど無いけど、こういうミスリードは起こしかねない。そして私が今だに英語が使えないので直せない。
 便利な世の中になったけれど、やっぱり相手の文化を知り、自分の頭も鍛えなきゃならないんだなぁと思い知ったお話でした。


 そうそう。ちなみにですが、訳せないなら日本語のままにするという方法もある。SUSHI, TEMPURA, FUJIYAMA方式。
 そういえば昔読んだ本にこんなところがありました。

ある日彼女の母親から私は患者の生い立ちのことなどいろいろ話を聞いた。この母親は日本生れの日本語の達者なイギリス婦人であったが、たまたま話が患者の幼年時代のことに及んだ時、それまで彼女は英語で話していたのに急にはっきりとした日本語で、「この子はあまり甘えませんでした」とのべ、すぐにまた英語に切りかえて話を続けた。このことはあまりに見事に甘えの語の特異性と、同時にその語が表現する現象の普遍的意味をあらわしていると思われたので、私は話が一段落した時彼女に、さっきなぜ「この子はあまり甘えませんでした」ということだけ日本語でいったのか、ときいてみた。すると彼女はしばし考えてから、これは英語ではいえません、と答えたのである。

土居健郎『「甘え」の構造』(弘文堂、1971年)26-27頁

 読んだ当時随分印象的な部分だった。その概念が対応する言語に無いから訳せない。まあ、こういう普段の会話ならともかく、創作の世界ではその概念ごと伝えたいところ。いえません、をどうにかしたい。足りてないなぁ、私の英語力と表現力。

 ……とりとめのない話でスミマセン。


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