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人生の目的は、味わうことである。ということにしてみる

僕はもともと、人生に目的なんてない派だ。生まれたのはたまたまだし、別に何も成し遂げなくていいし、逆に何をしたっていい。

でも「目的なんてないっすよ」と言い続けるのもなんだか素っ気ないので、強いて言うならといいフレーズを探していて、この「味わうこと」というのがかなりしっくりきた。

「ちゃんと味わって食べなさい!」はありがちなセリフだ。あまり噛まずに胃袋に流し込む、食欲を満たすだけの食事は「味わっていない」とされ、ゆっくり噛んで舌の感覚を研ぎ澄ますような、香りや喉ごしまでを堪能するような食事は「味わっている」とされる。

別に「味わわなく」ても、味はする。辛かったり酸っぱかったり、美味しかったりする。味わわなくとも味がするのに、あえて能動的に味を取りに行く試みを、私たちは「味わう」というらしい。

「味わう」と聞いて思い出すのが、半年前にたべたウニのお寿司。

ウニはすごい。とにかく複雑な味がする。甘いとかしょっぱいとか、そんな単純な味ではなくて、噛むたびに海ごと口の中に広がるような感じだ。あと海苔のパリパリと酢飯のちょうどいい柔らかさがあわさって、飲み込むのがもったいない心地よさ。側から見れば少しダサいかもしれないけれど、思わず目を閉じて、少しだけ目線が高くなる。

もやはただの食事の域を超えた体験。僕は間違いなく「味わって」いた。

生きているといろんなことが起こる。その度にこの身体は反応する。感情が動いたり、体が動いたりする。

悲しくなったり、痛くなったり、
嬉しくなったり、熱くなったりする。

その「動き」を認識し、受け止め続ける。するといつの間にか動きに敏感になって、あぁ動いてるなと思う。

こうやって目の前の景色や、身の回りの出来事による身体の動きを「味わい」続けること。それ自体が人生の目的なのではないかと思う。

僕らは「幸せになりたい」と願う。でも「わたしは幸せだ」という感覚は長続きしづらい。いくつものポジティブな感情や状態(嬉しい、楽しい、恵まれている、穏やかだ)を認識し続けることこそが幸せにつながるのだ。

そうすると、そのポジティブな感情や状態を認識する(=味わう)力が重要である。ジャンクフードしか美味しいと思えないより、りんごもサバもわさびも、全部ちがうけれど全部美味しい(ポジティブ)方が、食事は豊かになる。

目の前の景色を楽しむことからはじめよう。しっかり五感をつかって感じよう。自分が心地よくなれるための舌を磨き続けよう。

これは蛇足だけれど、人生を味わうために「思い出」は有効だ。やっぱり僕たちは毎日忙しくて、24時間味わい続けることが難しい。そんなときにてっとり早いのが、思い出をひっぱりだしてきて、「あんなこともあったな」「あのとき頑張ったな」と感じること。過去だって大切な人生なのだから、ちゃんと味わい尽くしたい。

本当のしあわせは、目に映らずに
案外傍にあって気付かずにいたのですが
『幸福論』椎名林檎

今日から、「人生の目的は味わうこと」ということにしてみることにする。異論は認める_φ(・_・

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