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旅をすると

旅をすると、身体がすごく敏感になる気がする。なんだかこう、何気ない駅前の景色とか、普通の植物の匂いとか、お店から流れてくるBGMとか、きっと家の近くにもほとんど同じものはあるだろうに、「はじめての場所」というだけで、身体が勝手に、もっと感じたい!と感度をあげてくれるのだ。

それはすごく心地いいもので、身体が満たされている感覚になる。僕はきっとそのために旅をしているようなもので、だから特別な観光地も言葉を失うような絶景も(もちろん見に行くけれど!)本質的には必要ないと思う。


こうやって身体が感覚を研ぎ澄ますとき、「生きているな」と思う。身体がしっかり動いていてこの世界を堪能しているんだ、と。

その快感のほんの数秒後に、頭の裏に「死」が浮かぶことがある。生を感じるときほど、その裏側にある死に意識が向くのだ。(逆にいえば、日々の繰り返しの中では生を感じることは少なく、よって死を意識することも少ない。)

しかしながら、生の裏側として想起される死は、死に向き合うときに思い起こされる死とは全く異なり、不快なものではない。

例えば戦争に関する映画を見たり、交通事故のニュースを見たりしたとき、僕は死によって死を考えることになり、それはとても苦しい時間だ。

一方で、生を感じることによって死を考えるとき、それはとても豊かで美しい時間に思える。知らない土地で深呼吸をして、鼻から肺に空気が流れ込む、ただそれだけで、美しいと思える。

と、ここまで書いて感じるのは、いつも一緒に旅をしてくれるひとたちへの感謝だ。というのも、上記のような一連の所作は、とても時間がかかる。そのあいだ基本的には会話はできない。いつも僕がじっくりと感覚を研ぎ澄ますとき、僕を放っておいてくれている。

最近は一人旅ばかりなので、この春は誰かと旅がしたいな。

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