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「受け取り方こそがクリエイティブ」という話

アイデアが活発にうまれる組織とは、どんな組織だろうか? ここでいう組織はなにも会社に限らず、学校やサークルの仲間だって、親子関係だってかまわない。

アイデアが生まれる場所はどこで、キーマンはだれなのか。


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アイデアがうまれるかしぼむかの第1の分岐点は、じぶんのなかのモヤモヤとした違和感や、気づきや発見を「アウトプットするか、しないか」だ。アウトプットしなかったものは、まあいいか、という慣れとあきらめの沼に沈む。

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第2の分岐点は、そのアウトプットが、「肯定的に受け止められるのか、それとも批判的な目にさらされるのか」だ。

「はぁ? なに言ってんの。そんなことよりあれはやったのか」みたいな、ふわふわとたよりない風船がしゅーんとするような言葉を浴びせられると、せっかくのアウトプットはこれまた慣れとあきらめの沼に沈む。

天才なら違うかもしれないけど、凡人はじぶんの意見や思いつきに自信なんてないのだ。

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第3の分岐点は、「じゃあどうするか?」を具体的に思いつくかどうか。「こうやったらいいんじゃない?」を思いつけば、それは商品になったり、工夫や改善とよばれるものになる。

一般的にはここまでたどり着いたものが「アイデア」だ。「企画力がある」「アイデアに溢れている」というとき、ぼくらはこの「こうやったらいいんじゃない?」を思いつく人のことを想像しがちだ。

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さてここで最初の問いに戻ろう。
アイデアが活発にうまれる組織とは、どんな組織だろうか?
「企画力がある人」「アイデアに溢れている人」が多い組織?

ぼくは、そうじゃないと思っている。なぜなら、「これってどうなんだろう?」という問いさえ可視化されれば、組織の外部の力を借りて解くこともできるからだ。

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それに対して、ふわふわとした違和感や気付きをアウトプットするか、そのアウトプットをどう受け止めるかは、日々のその場その場でしかできない。

後輩やこどもが、頼んだ仕事や宿題を放ったらかして、「そういえば、、」なんて話し始めたときに、どう受け止めるか?

もしもそこで、「そんなことよりあれはやったのか」なんて返してしまうと、生まれかけたアイデアはしぼんでしまう。そればかりか、次からは「これは言ってもいいだろうか?」と第一の分岐点からつまづくことになる。

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違和感や気づきは、ものすごく腐りやすい生モノだ。
いまじゃないかも。後でまた相談しよう。
そんなふうに横に置かれたら、かなりの確率でその違和感は死ぬ。

ちょっとしたアイデアを、ひとに話したときに面白がってもらえたかどうか。そんな些細なことが、大きく運命を変えることにもつながる。これは凡人ばかりの話ではなく、「数学界のノーベル賞」とも呼ばれるフィールズ賞を受賞した森先生でさえ、そう言っている。

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でも、その論文を読んで、
なぜ森先生だけが「これは!」と
アイデアがひらめいたんでしょうか。
その差というのは‥‥。


それは先生なり同僚なり、
他の人との相互作用みたいなものが
影響しているんじゃないでしょうか。
私がそういうアイデアを話したときに、
まわりが「つまらない」と言うか、
「それはおもしろい」と言うかで、
状況はかわってくるでしょうし。

積極的な聞き手になることは、自分ひとりからでもはじめられる。そして、組織に聞き手が増えるほど、その組織は活発になっていく。

そんなわけで、アイデアというのは聞き手がキーマンで、「受け取り方こそがクリエイティブ」だとぼくは思っている。

読んだら書く。受け取ったらシェアする。
noteでも、読み手こそがキーマンでありクリエイターなんだと思う。
読み手のリアクションこそが、書き手の次のnoteをクリエイトするのです。

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