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チェアマンという言葉を普及させた川淵三郎さん【サッカー】

日本トップリーグ連携機構会長(なんやそれ!と本当に思いましたが、ご意見番らしい職務かと)。

元日本サッカー協会会長、愛称はキャプテン。というように何かと話題な方です。

Jリーグ開幕時には、初代チェアマンとして活躍、会長や代表ではなく、議長って意味のチェアマンを名乗る。

日本のスポーツの象徴といえば、興行的にも、青少年という裾野の広さでも、野球をおいて無い状況の中、一代でプロサッカーリーグを成功に導いた立役者であり、中心人物かと思います。

82歳の今も、誰かにやってもらってるにしろ、Twitterのアカウントで呟いたり、トップリーグ連携機構の立場を活かして、問題提起や、いわゆる炎上もお手の物、という感じ。

そんな川淵三郎さんは、我らがジェフユナイテッド市原・千葉の前身、古河電工に所属していました。

会社の同期の早稲田のサッカー部(早稲田大学は、サッカー部をア式蹴球部という)の出身の子から、大きな大会ごとの試合後の反省会、レビュー的なものに、OBも多く来るそうですが、怖すぎて、来ないで欲しい的なことも言っていた程、早稲田大学のサッカー部に所属していたことも大切にしているようです。

そんな、今でこそ、立場の通り立ち振る舞っている川淵さんですが、サッカーに勤しんだ後はビジネスパーソンとして、古河電工でバリバリ働いたそうです。

スポーツに真剣に取り組んだ人というのは、本当に何をやっても優秀で古河電工というのは、いわゆるB2Bなのですが、だいぶややこしい得意先にもひるまず、真っ向勝負で、その姿勢が信頼感を獲得し、というように、TBSの日曜劇場のようにうまく成果をあげていたそうです。

ところが、本人はそのまま古河本体で、登り詰めようと思っていたのとは、裏腹に、もちろんその能力を買われてですが、グループ会社役員として、東京に戻ったことで、自分のサラリーマン人生にゴールが見えてしまったとのことでした。

ここらへんは、本人も語っていたり、多く記述があります。

これは、ラグビー界の監督人事でも聞いたことがあるのですが、そういった社内の事情であり、状況を、協会であり、大学やチームなどの裏方や首脳陣はよくよく把握しているようで、

川淵さんもちょうどタイミングよく、サッカー協会の仕事のオファーがあり、そこにかけたのだそうです。

残りの人生を、サッカーで輝けるように、活躍していく、と。

その後のサッカー界の全体としての躍進が、川淵さんの後半の人生の輝きそのものです。

その後、混迷の続くバスケットボール界に乞われ、その後、東京五輪前に膿出し、垢出しが噴出しまくった各スポーツ団体が出てきたのは、解決させる川淵さんがいたからだと言わんばかりの、自体になるほど、日本トップリーグ連携機構の話が報道されるようになったりしました。

今度は、今話題のラグビーにもプラリーグ化で、一役買いそうです。

川淵さんの魅力は、何なのかと言うと、皆んなが嫌がる役を買って出れることなのでは無いでしょうか。

正しいと思っても、なかなか言い出せない旧態依然なことや、凝り固まった考え、そこに密接した既得権益の数々。

仮にそんなに大した能力や、言っていることで炎上させるばかりだとしても、改革に必要な、言いたくても言い出せない一言を、平気で言えてしまうところ、そんなところが川淵三郎さんの魅力なんだだと思います。

それはきっと、一度は真剣にサッカー外の世界に没頭した経験であり、それを外部から見てきて、急に来た人間だから、何でも言えたこと、そして、時は流れそんな外野の人間が権力の中枢にいられた経験、そうした人生後半の努力と歩んだ道が、その空気を読んだ上で、空気を読めないフリが必要だと思えば、空気を読めない人になりきることができる、こと。

それが、今の川淵三郎の魅力なんだと思います。

今また、サッカービジネスの考え方をアップデートしようとする、ある意味でプロ野球のオーナーになりたいと出てくる輩(嫌いじゃ無いよ。そういう資本の論理も)を、Jリーグという繁栄の中では、排除していってもらえたらな、と思うのです。

Jリーグ100年構想、地域密着は、そんなに甘いものじゃ無いと思うので。


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