見出し画像

泳げこいのぼり被災地の空に 重富と3.11 ⑩

ビールを注ぎながらビールを継ぐ「麦酒伝道師」を目指している重富です。
これから少しの間「重富と3.11」について振り返ってみようと思います。「地震・津波」についての内容や映像が出てきます。

わたしの中にはある「思い」が広がり始めていました。

「車に積んであるこいのぼりが・・・消えて欲しい!!」            

「なぜ、こいのぼりを持って来たんだろう!?」
「もっと他に、もってくるものがあったんじゃないのか?」

こいのぼりは、食べる事ができません・・・  
被災者の方々や、子どもたちに【今】こいのぼりが必要なのか?


こいのぼりの設置中に、避難所で生活している方々ともお話ししました。 「こいのぼりを持ってきました」
『ありがとうね』 そんな会話はありました。  
でも、昼食に用意されていた「パン」をみて・・・  
今日の生活が大変な時期に「何故こいのぼりなんだろう」と

自分自身で、自分の行動の理由と意味がわからなくなっていました。
このまま、こいのぼりをどこかに捨てて広島に帰りたい衝動にかられました・・・

でも、大切な大事なこいのぼりを「託して」くださった方々のお気持ちがあります 。そんなことはできません。

でも、被災地の現状を考えると、こいのぼりを設置することに、とても抵抗を感じ始めていました。 そこで私の中で悪魔がささやきました。

交通事故にあって、こいのぼりが燃えてしまえば、丸くおさまる!  

子ども達の歓声、雲の切れ目から差し込む太陽の光
トラックに積まれた250匹の大切なこいのぼり・・・  

この状況の中で、私の心は「悪魔」になっていたように思います。  

その時です・・・私の携帯電話がなりました。
相手は先程の住職さんです。

「重富さん、近くの湊小学校さんに こいのぼりのお話をしました。行ってみてください」

ふと我にもどりました・・・  (その後、多くのボランティアさんに支えていただくことになるのです・・・・) 気を取り直して、後片付けを済ませて・・・F先生に丁寧にお礼を述べました。

 それと、広島の酒蔵さんから寄贈してもらった「広島の酒」をこっそりとお渡ししました。(後日、めちゃくちゃ旨かったとメールが届きました)  れと、広島の酒蔵さんから寄贈してもらった「広島の酒」をこっそりとお渡ししました。(後日、めちゃくちゃ旨かったとメールが届きました)  

3時頃に、渡波中学校を後にしました。

実は、その後は、元仙台市PTA会長の加藤氏のご努力で仙台市の教育委員会さんに会うために、岡田小学校で待ち合わせをしていました。

行きは3時間かかりましたけど、帰りは2時間で仙台市内まで戻る事ができました。 この岡田小学校も避難所になっており、多くの方が生活をされておられました。 ここには、自衛隊のかたが給食支援として焚出し機材がありました。

岡田小学校と、仙台市の教育委員会さんにこいのぼりと、牛田新町小学校の子ども達のメッセージをお渡ししました。  

画像1

当初は、このあとに twitterで知り合った先生の避難所に行く予定でしたが 、今日の夜にトラックを置かせてもらう小学校に着く時間が遅くなることもあり今日は終了することにしました。
仙台駅近くの、榴岡小学校に向かいました。
校長先生と、教頭先生と、児童センターの先生が出迎えてくださいました。 丁寧にご挨拶して、こいのぼりをお渡ししました。

画像2

その晩は、加藤さんに無理して予約してもらったホテルに宿泊します。 (仙台市内のホテルは、保険の査定員さん等で満室状態だそうです)  

また、食事もしようということになり、国分町の「牛タン」の銘店に連れて行ってもらいました。

これまでに食べた事がない旨い「牛タン」でした。 (あまりの美味しさに写真を撮り忘れました) その後にもう一軒、居酒屋により、仙台市内の様子などを伺いました。 酔いと疲れのおかげで、話は半分も聞いていなかったと思います。  (加藤さん・・・ごめんなさい)  
その後ホテルに戻り・・・爆睡でした。  

突然、私の携帯電話がなり、びっくりして目が覚めました。  

着信番号は・・・見覚えがありません・・・  
誰なんだろう・・・時計をみると、朝の6時です  

私「はい、重富です」  
電話の相手「キッズのゲンです!」  

その⑪につづく・・・・・・