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【エッセイ】知人の死、滑落の記憶

知人が亡くなった。
一回り以上離れた大学のOBで、最近は直接会うこともなかったが、
お世話になった方なので、お通夜に伺った。

亡くなった理由は事故だった。
登山中の事故である。
私が最初にその方にお会いしたのも、山だった。
大学1年生の頃、雪山シーズンが始まったばかりの12月初旬。雪山始めのトレーニング登山である。
3年生の先輩の車に乗せられ、行き先も分からぬまま上越に連れて行かれた。
現地に到着すると、その方はいた。
沢登りや雪山の第一線で活躍されていると聞いていたこともあって、いわゆる無骨な山男をイメージしていた。大柄なところは山男というに相応しいのだが、実際には非常に人懐っこい表情をされた方だった。

実は、この人生初の雪山登山で、人生初(これっきりにしたいが)の滑落を私はすることになる。

この時訪れた山には、登山道がないいわゆる藪山だった。
まだ、初冬で積雪も多くない。稜線には元気に藪が生い茂り、行手を阻んでいる。なんとか、先輩の背中を追いかけながら私は藪を進んでいた。
だいぶ高度が上がってきた頃、稜線上には大きな岩が現れ、行手を阻んでいた。
私はその岩を避けようと、切れ落ちた雪の斜面の上を木の枝をくぐりながら進もうとした。
しかし、ワカン(雪に沈まないように靴につける道具)を履いた足やザックに枝が引っかかりうまく進めない。
そんな状況に苛立った私は、無理やり体を捩った。その時だった。
私を支えていた枝が折れ、私の体は宙に浮いた。

一瞬の無重力状態。その間にいろんなことが頭を巡った。
次の瞬間、私の体は雪の斜面に落ち、雪にまみれながらそのまま数十メートルを滑り落ちた。
雪のおかげで無傷ではあったが、私の雪山デビューは衝撃的だった。
その後、無事先輩に救出いただいたが、その晩のテント内でもう二度と雪山には行かないと誓った。
(実際にはその後、数え切れないくらいに雪山登山をしている)

私の中では、初雪山&滑落という大変な一大事であったのだが、
そのOBさんはなんてことはないという風である。
翌朝、私が作ったラーメンに悪態をついていたのをよく覚えている。
(水を節約しすぎて、スープがほとんどなかったのだ)
そんな様子なもんだから、良くも悪くもこの程度のこと大したことでもないんだなと思うようになってきた。

それから十数年。その方は山で亡くなった。
沢登り中に滑落をして、滝壺に落下。
同行していた方に救出され病院に搬送されたが、助からなかった。
溺死ということだった。
死に目には何度も会ってきたと思うが、なんだかあの人だけは死ぬことはないんだろうなと無邪気に思われる、そんな人だった。

お通夜の会場は、仲間との写真や使われていた山道具で装飾されて盛大に行われていた。200人はお焼香の列に並んでいたと思う。
ご遺族の方々は、続々とくる友人知人の一人一人と思い出を共有していた。
私もご両親と少しお話しをした。大変お世話になったこと、山の先輩でもあり、また高校の先輩でもあること。
すると、お母様から「親孝行してください」と一言いただいた。
きっと今息子に伝えたいことなんだろう。

その方は、ヘルメットに黄色いレインウェアという格好のまま小さな棺に狭そうに入っていた。
横には、奥さんとお子さんと写った家族写真が飾られていた。

親族以外の葬式に初めて参加した。まだまだ現役という方の不慮の死というのもほぼ初めてのことであった。
両親より早く死ぬのは親不孝者なのだろう。
幼い子を残していくことどれだけ悔しいことだろう。
奥さんにどれだけ苦労をかけることになるのだろう。
人生は不意に終わりを告げる。

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