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その包丁を向ける先は

小説
テーマ『刃物』

 そこになかったらないですね、という言葉を最初は口に出すのが恥ずかしかったけれど、一度その言葉を使ってしまえばその万能性に溺れてしまい、アルバイト中の口癖となってしまった。レジのカウンターの内側で今日の夕食は何にしようか、明日の休みは何をしようか、などととりとめのないことを考えていると、客が来た。会計など、もう頭を使わずに半自動で行うことができる。客がカウンターに置いた買い物かごを一瞥して、いちばん手に取りやすいところにあったものを取る。プラスチックの包装がされた万能包丁だった。その包丁のバーコードをスキャンさせて、空の買い物かごに移動させる。次に手に取ったのは綿ロープだった。こんなものも100円ショップに売っているのか。働いてはいるけれど店内の商品をすべて把握できてなどいない。客が持ってきてはじめてその存在に気づくときが多々ある。それのスキャンも終えて、次はガムテープ、結束バンドと続けた。

「袋はいりません」と客は言った。心臓にまで響くような低い声だった。

 僕は反射的に顔をあげ、はじめて客の姿を見た。黒いサングラスに白いマスク、黒いキャップをかぶっている。カウンター越しに見える服はすべて黒一色だった。身長は僕よりも20センチは高い。僕は「かしこまりました」と言った。

 カウンターに表示された合計金額を告げると、男は千円札をトレイに置いたので僕はいくつかの硬貨を渡した。男は買い物かごをサッカー台に持っていき、素早い動作で商品をリュックサックの中に詰め込んで去っていった。

 僕はカウンターの中で再びどうでもいい思索にふけようとしたけれど、先ほどの客が購入していったものたちが頭の中をちらついた。冷静に考えてみると、それらの組み合わせは普通じゃなかった。包丁やロープ、ガムテープをそれぞれ単独で買うのなら何も思わない。けれど、それらを一緒に入手するときの購入者の目的には犯罪的なにおいしか感じられない。客の黒づくめの様相がそれをさらに現実的なものだと感じさせる。客に商品の用途をたずねるべきだったのだろうか? 念のために警察に相談したほうがいいのではないだろうか? いろんな考えが僕の頭の中をぐるぐると巡り、その速度は下がることはなく結論を出すことができなかった。

 僕はレジのまわりに誰もいないことを確認してから品出しをしている先輩のもとへと駆け寄った。

「すみません、ちょっと気になることがあって」

 僕が言うと、先輩は手を止めて目を大きくさせて僕を見た。

「どうしたの?」

 僕は先ほどの客についてを話した。先輩は考えているような表情で近くに陳列されているシャープペンシルを見つめながら聞いていた。僕が話し終えると、先輩は「客」と一言だけ言った。きょとんとしていると、先輩はレジの方向を指差して、見るとそこには中年の女性があたりを見回しながら立っていた。僕はレジに駆け寄って、会計を済ませた。女性は待たされていたのに特に怒っている様子もなくてほっとした。女性が去っていくと、いつの間にかすぐそばに立っていた先輩が言った。

「さっきの話、あんまり気にしなくていいんじゃない?」

「でも、何かあってからじゃ」

「包丁と、ロープだっけ? チャーシューでも作るんじゃないの?」と先輩は僕の言葉を遮った。

「そんな細いロープじゃなくて、本当に人とか縛れるぐらいのやつですよ」

「でもさ」と先輩は続ける。「これから罪を犯すぞって人が律儀に会計を済ませるか? 罪がひとつやふたつ増えても変わらないとか考えて万引きすると思うけど」

「万引きで捕まって、そのあとの計画が崩れるのが嫌なのかもしれないじゃないですか」と僕は先輩の考えを否定する。

「買うにしても、犯罪者がいかにもこれから犯罪しますよって買い物はしないと思うんだよな。俺がもし誘拐とか殺人とかするなら、しないけどね? するなら、必要なものはいくつかの店舗で分けて買うよ」

 先輩の考えには一理あった。確かに僕がそういう立場でも同じようにするだろう。

「それに、どうすることもできないでしょ。だってその客、まだ何かしたわけでもないし、するって決まっているわけでもないよ。警察だって暇じゃないんだからそんな不確定なことにかまってられないよ」と先輩は追撃した。

 僕は先輩の言うことに納得して、「そうですよね」と言った。先輩は、「そういうことだから、気にすんなって」と僕の肩を軽く手のひらで叩いて、品出しへと戻っていった。

 きっと僕の考えすぎだ。心の荷が下りて、僕は先輩に相談してよかったと思った。

 アルバイトはそのまま夕方まで続いて、何事もないまま退勤時間となった。

 身支度を整えてから店を出た。スマートフォンを確認すると、友人から飲みの誘いが来ていた。僕は承諾する。

 いつもふたりで行く居酒屋に行くと友人はすでに来ていて、牛もつ煮込みの小鉢をつまみながらビールを飲んでいた。友人は僕を見つけると手をあげて挨拶したので僕も同じ動作をした。空いた席に座り、ビールを注文する。

「ニュース見た?」と友人は言った。

「ニュース?」

「さっき家出るときにテレビで見たんだけど、この近くで誘拐未遂があったんだってさ」

 僕はその物騒な単語に寒気がした。脳裏にはすぐに日中の客のことが浮かぶ。額から嫌な汗が吹き出るのを感じた。友人は続けて言う。

「小学生の女の子が包丁突きつけられて、車に乗せられそうになったんだってさ。幸い、人が通りがかってすぐ逃げていったみたいだけど」

「犯人は捕まったの?」

「まだ逃走中らしい」と友人は首を振る。

 そのまま友人はニュースで聞いた犯人の特徴をつらつらと述べた。そのどれもがあの客に当てはまるような気がする。友人はスマホを操作していた。きっとその事件に関する記事を探しているのだろう。

 もしかして犯人はあの客なのではないだろうかと思った。もしそうなら僕は犯人の手助けをしてしまったのと変わらないのではないだろうか。僕がその小学生の女の子の心に傷を負わせてしまう要因を作ってしまったのではないだろうか。なぜ僕は警察に連絡しなかったのだろう。

 店員がビールを運んできて、ふたりで乾杯をした。友人は空いた手でスマホを持っていて、「これこれ、このニュース」と言いながら僕にスマホを向けてくる。僕はその画面を見たくなかった。これ以上事件の詳細を知りたくなかった。

 手に持ったビールを口に含むが、何の味も感じられなかった。

著:早尾(https://twitter.com/haya_toma

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