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どっかにゆく年、勝手にくる年

エッセイ
テーマ『悲劇』

昔話を語り出すと決まって
貧乏自慢ですかという顔をするやつ
でもあれだけ貧乏だったんだ
せめて自慢くらいさせてくれ!

最後は笑いに変えるから
今の子どもに嫌がられるかな?

浜田雅功と槇原敬之/チキンライス

昨年の大晦日、参拝前の浮かれた人流から逸れて来たお客様を捌ききり、ほうほうのていで自宅に辿り着いたあと、朝に残したバナナ入りヨーグルトをもちゃもちゃ食べていたら年を越した。
テレビではNON STYLEが漫才をしていて「いま、年越したん!?」と大袈裟に声をあげていた。それで2023年がスタートしたことを知り、自分の状況の悲惨さというか締まりの悪さに思わず笑ってしまった。
振り返ってもここまで緩い年の越し方をした覚えはない。ゆく年くる年というか、勝手にどっか行って知らない内に来たような感じだった。

2022年という年は僕にとってそんな一年だったなあと不意に思った。足元が覚束ないまま、いろいろなことをなんとかクリアしていく日々だった。その終演としての過ごし方と考えるなら百点満点かもしれない。
六月頃から半年の軸足のぶれ方といったら、バスケならすぐにトラベリングの笛を鳴らされるようなふらつき具合だったように思う。自分の位置情報が仕事に左右され過ぎていた。

流行り病のせいで他店舗の人員が足りなくなることが増えたのがちょうどその夏頃だった。補填の要請に従って、僕は別の店舗にお手伝いとして向かった。
六月は月に四回程度で終えたのでよかったが、次の月にはあたらしい店舗がオープンするということで、一週間ほど300km先の辺鄙な土地に足を運んだ。
新人まみれの中で働くと店の端っこから助けを求められたりするのであくせくとする日々だった。津波のように迫り来るお客様を捌きながら、人混みを掻き分けてそこまで行くのも一苦労だった。

一週間のホテル暮らしで一番キツかったのは食事だった。普段はできるだけ自炊を心がけているのだけれど、安ホテルにキッチンが備えられているわけもなく、ほぼ毎日三食セブン-イレブンの弁当かカップラーメンで乗り切った。コンビニは本当にコンビニエンスだなと思う。
普段よりも遥かに繁忙なお店で体力を削られ、栄養が足りてるのか分からないご飯でお腹を満たし、身体に合わないベッドで眠る一週間のおかげでベルトの穴が一つぶん内側にずれ込んだ。

なんとか終えて自分のお店に帰ったのが八月で、また別の店舗にヘルプに行くことになった。週の半分を手助けに、もう半分を自店舗にといった具合で二ヶ月ほど過ごしていたら、自分の店舗の問題点が少しずつ見えてきた。
ベースはこうなのにズレがある、というのは比較によって初めて気がつくことができる。他の場所に腰を据えることがあるからこその気付きだった。
とはいえ、それを是正するほどの時間がどこにもなかった。ヘルプに行けば人員が足りていないし、元の店舗にいても、新人が多くて最低限以上には裏の仕事に手が回らない。次の月になったら余裕が出るだろうからとリストアップをして蓄える月にした。

そして来たりし十月は、また新しい店舗の手助けに行く事になった。再び一週間のホテル暮らしと、よく知らない人たちに囲まれながらの忙しない日々。
どうにか乗り越えて帰郷したら、残りの十月もいろんな店舗への手助けに行く事になった。
そろそろ限界が近い、自分の居場所がどこなのか分からない、と気が触れそうになっているところで遂に流行り病も落ち着きを迎えて、十一月からは自分のお店に腰を落ち着けることができることになった。

ここぞとばかりに、リストアップしていたメモを引っ張り出してきて直せるところを修正していった。ギャップが埋まり働きやすくなっていくかと思ったが、最初の内はみんな慣れていないからなのか躾に時間がかかった。ひと月ほど耐えればそれもなんとかなるだろうという我慢の時間だった。
並行して今あるものをアップデートする作業も進めた。やりたいことは山のようにたまっていた。思いついてもやることができないというのは僕にとって苦痛な時間だったから、うさを晴らすように業務をこなした。

少しずつ、修正箇所にみんなが慣れて働きやすくなり新人の成長も目につくようになってきた十一月下旬に、店長に呼び出されて神妙な顔つきで話をされた。一週間後に別の店舗に異動になっても良いかということだった。
僕の勤め先では基本的に一ヶ月前に人事異動の相談があって、二週間前から全体に周知され、勤務先が変わるというのが通例だ。この短期間での異動は聞いたことがなかったし、二十年ほど働いている店長も初耳だったらしい。
ええ……まだやれてないことあるし、やったことの結果が出る前に異動なの……と陰鬱になりながら承諾をした。働くみんなに言えるのは異動する二日前からだったから、全ての人にありがとうを告げられずに去ることになった。最低限の挨拶も出来ないのは虚しかった。この場合の最低限は、お世話になった人全員に感謝することだから、三割くらいの人と言葉を交わせないというのは残念だった。

十二月に入ってすぐに新しい店舗に配属となった。そこはその前の年にヘルプとして行っていた場所だったから知っている顔も多かったし、勝手知ったる場所配置だったのですんなり馴染めるかと思っていた。
状況は少し違い、半分くらいが新人に入れ替わっていて、その上人数が足りていなかった。とんでもない状況である。戦力不足で半分がニューカマーというのは、新店舗にヘルプに行くよりもキツい。新しい場所であれば人は充足していて、そこに僕みたいな人が手助けに行くからなんとか回るのだが、それよりも悲惨な状況ということだった。

場所柄もあって年末年始に繁忙が予想される店舗だった。残りのひと月で歩兵のみんなを成金に鍛え上げ、どうにか戦う手立てを見つけなければいけなかった。
店舗に慣れながら育成をし、自分の出来なさにため息をこぼしていたら気づけば年末、そして冒頭の文章に戻るのが僕の去年の半年間だった。

悲劇と言えば、悲劇としてカウントされるようなことばかりだった。
やるべきことが中空に浮いたまま、心のGPSのピンが不具合によって固定されないような状況は、誰にだって気が滅入ることだろう。それに、手塩にかけて水をやった花が綺麗に咲くかを見れない内に、突然引っ越しをしなければならないというのも辛いことだ。何事においても過程が大事とはいうけれど、結果まで見て満足いくことだって世の中には多い。
擦りきれそうな精神状態と回復しない体調のまま、なんとか年を越してみて、やっと心身がニュートラルな状態に落ち着いてきたような気がする。

今の自分の状況を肯定してやるところから始めてみようと思ったのだ。
このお店であれば、人を出せる現状にないから腰を落ち着けて仕事をすることができる。たくさんいる新人の育成に時間をかけられるのは未来に向けて種を撒く作業に似ている。僕は散々新しい店舗に行っていたから、教育においては人よりも抜きん出ているはずだ。いかんなく発揮できればいい。しばらく異動はないだろうから、花ひらくさまも見られるだろう。

改善点もたくさん見つかっている。
短期間で、誰よりも多くの店舗で働いた自負はあるから、それぞれの良いところを持ち寄れるのが僕の強みだ。その内、ギャップを見つける目線も衰えてしまうだろうから、今のうちになるべく書き出しておこう。
前の店舗よりもお客様の流れは落ち着いているのだから、改善に裂ける時間もそのぶん多い。前の店舗で心残りだった部分も今ならできる可能性が高いのだから、この場所を素晴らしいものにするために尽力していこう。

全力で過ごしてぼんやりと終えるような悲惨な前年だったけれど、自分の肥やしにはなっているはずだ。そう考えると、悲劇が悲劇のままパッケージングされることは案外少ないのかもしれない。
そういえば僕は、私生活もそうやって乗り越えてきたのだった。辛いことがあってもほんの少しの希望があれば、なんとかやり過ごすことができていた。
どうにもいかないところに居続ける羽目になることもあるけれど、いつか抜け出せる日も来るわけで、きっとそれが、僕にとっての2023年の始まりだったのだと思っている。

著:藍草(https://twitter.com/aikusa_ok

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