古代祐三が訊く! めがてんサウンドの秘密【第2回】中編 細江慎治インタビュー(聞き手・古代祐三/文・鶴見六百)
古代祐三さんの「自分が読者だったらこんな記事が読みたい!」という想いから生まれた本企画。古代さん自らが、影響を受けたレジェンドコンポーザー達に話を訊いていくインタビューです。
今回は、細江慎治さんの中編になります。
▼前編はこちらから
ちょうどゲーム音楽の制作環境が大きく変わっていく時代に、細江さんは『ドラゴンスピリット』を始めとした多くのゲームで、数々の新しいサウンドを「切り拓いて」いきました。
細江さんをリスペクトしながらも、同時代をともにコンポーザーとして過ごした古代さんは、さらに深い内容へと切り込んでいきます。細江さんと古代さんが切り拓いていったゲームミュージックの新しい流れ。そして二人の共通の嗜好。今回もひときわディープな内容となりますので、どうぞお楽しみください。(2022年9月21日・古代氏のスタジオにて収録)
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クラブミュージックをゲームに
古代 テクノ界隈の音楽をゲームに落とし込もうって、細江さんも私も同時ぐらいに思ったはずなんです。『F/A』が1992年で、『ベア・ナックル』はちょっと前の1991年だけど、たぶん思いついたのはほぼ同じぐらいだろうと。
まあ厳密には細江さんと私では違っていて、『F/A』はバリバリのテクノというか……。
細江 デステクノ。
古代 自分の場合はテクノというよりも、ハウスとかニュージャックスウィングとか、いわゆるダンス系。ディスコ音楽にエレクトリックな音が入っていった、そっちだったんですね。私の方はテクノではなかったけれど、ただ、ビートが主体になった音楽を打ち出してきたという意味では、たぶん二人ともほぼ同時期だったんですよ。
──どちらも「クラブミュージック」ですね。
古代 当時’90年以前っていうのは、伝統的なゲーム音楽がひしめいて、完成度がめちゃくちゃ高まっていた時期だったんです。そんな中、私の認識では細江さんや小倉さんあたりがニューウェーブの筆頭で、色んな曲をいっぱい出していた。そして自分はファルコムで、細江さんや小倉さん、Hiro師匠の影響を受けて、音色やフレーズを真似しながら『ソーサリアン』とかを作っていた。
でも自分も欲が出てきて、そういうひしめき合っているフィールドで自分が勝負してもダメだな、と。同じことをやっていても、たぶん前には進んでいけない、抜け出さなきゃな、という想いがあったんです。当時は。
そこで、ちょうどクラブにハマっていたということもあって、クラブミュージックの方向に行ったんです。
──なるほど、新しいものを開拓して抜け出そうと、勝負を懸けたわけですね!
古代 ところが、細江さんも同じようなことをやってきて、「この人、何でもできるじゃん」って(笑)。ちょっと前まで『ギャラクシアン3』やってたのに(笑)。
細江 (笑)。
古代 「うわ、細江さんもやってるよ!」……と思ったんですけど、幸いジャンルがちょっとずれていて。でもあの時代には、完全に私か細江さんしかやってなかったですね。
──ちょっと質問いいですか? 当時の細江さんの「夜のクラブ活動」は私もよく知っているんですけど、古代さんもクラブ活動をしていた?
古代 バリバリしてました。私は家が福生に近いんですけど、アメリカ軍の基地があるじゃないですか。周りにアメリカ人向けのクラブがいっぱいあるんですよ。そこに中高一緒だった友達と入り浸ってました。多摩ロッジっていう多摩市にある米軍の保養施設が、今はなくなっちゃったんですけど、当時は週末に開放されていて、ロッジがクラブ化していたんです。本当にアメリカの一都市にある、田舎のクラブみたいな感じで。
そういう場所で、ニューヨークとか西海岸とか、あっち系のサウンドを浴びていたから、テクノではないんですね。当時はニュージャックスウィングが流行ってて、そのあとハウスに行って……。元々そのあたりって、ファンクやジャズから来てて、ディスコミュージックがあって、という流れなんですね。
細江 デトロイトとか?
古代 そうそう。自分の『ベア・ナックル』もデトロイトっぽいと言われてたけど、実は「デトロイト」って言葉自体は知らなくて。一緒にやってた川島(基宏)さんが持ってきてくれた音楽にデトロイトテクノが多かったから、たぶん『II』からはその影響が強かったんだろうなと思うんですね。そのあたりからだんだん、クラブミュージックっぽくなってきたっていうか。
古代 自分の場合はそんな感じだったんですが、細江さんは当時、何にハマってました?
細江 最初は本当にデステクノで。川野(忠仁)くんから「こんなのあるよ」と何枚かCDをもらったんで聴いてみたら、とんでもない音楽が流れてるんですよ。最初は受け付けられなくて、「これムリかもしれない」と思ったんですけど、繰り返し聴いてたら、だんだんもう気持ちよくなってきちゃって、「これしかない!」と。
デステクノが生まれたのが1991年なんで、本当に生まれてすぐのころ。そのまま『F/A』に突入して、そのまま作って。
古代 なるほど。
細江 あと、Altern 8とか、プロディジー、Channel X。
古代 プロディジーは私もすごく聴いてた。
細江 デステクノ中心に、とにかく買い漁って聴く。あんまり日本に入ってこなくて、入ってくるのがコンピレーションCDばっかりだったんで、アーティストとか関係なく色んなのを聴いて。デステクノに比べれば、ハウスはまだ入ってきてた方かな。
古代 個人的な認識では、メジャーシーンでは電気グルーヴと小室哲哉さんが広めるまでは、日本では全然聴けなかったですよね。
細江 デステクノなんて、皆無に等しかった。「オランダから出てこい」みたいな(笑)。
古代 そうそう(笑)。
あの辺のテンポ感というか、「BPM 180オーバー」っていうのは、ゲームでは細江さんが元祖だというイメージで。自分はだいたいBPM 120~140ぐらいまでの……。
細江 真っ当な音楽だよね(笑)。
──「頭を振る音楽」と「腰を振る音楽」の違いですね。
古代 それはうまい(笑)。
細江 今の若い子は、もっと速いからね。もうついていけない。
古代 ナイトコアみたいなやつでしょ? BPM 240とか頭おかしい(笑)。踊れないよ。
──まあ、頭を振るか腰を振るかの違いはあれど、二人とも「踊れる」ダンスミュージックをゲームに落とし込んでいったと。
古代 それで『リッジレーサー』に行くわけですね。『リッジ』にいくと、もうだいぶ落ち着いた感がありますけど。ロッテルダムとか。デステクノよりは、ちょっと普通の音楽を取り戻したというか。
細江 どっちかというとレイヴ系かな。世間的にも割とレイヴが来ていて。
古代 そうそう、まさにレイヴの時代。小室先生がレイヴを流行らせてしまった。
細江 ただ、『リッジレーサー』のプロジェクトの中では、「どういう音楽にしようか」みたいな議論があって。
──たしかチーム内でアンケートを取ったんですよね。
細江 そうそうそう。「無音派」とか「演歌派」とかもいて。「それはないだろう」と(笑)。
古代 今だったらアリかなと思うんだけど、当時は……。
細江 それで、プログラマーとかと「レイヴにしよう」と結託して、やっと落ち着いた。
いちばん最初に、たしかJAMMAショーで発表されたときは、まだレイヴで行こうとはなってなくて、フュージョンが1曲だけ残ってて。
古代 それって今でも聴ける?
細江 そのまま残った。
古代 じゃあ聴いてるかもしれないけど、忘れちゃってるかな。
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