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弧を描く白い絵の具(サンプル版)

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。
『霜柱を踏みながら 1』


奈良なんて田舎やん、そんなところに引っ越すのは嫌や。私は内心そう思っていた。そして口に出せないその思いを微々たる態度で両親に抗議していた。でも、そんな子供の微々たる抗議が聞き入れられるはずもなく、引っ越しは決行された。私の気持ちなど蚊帳の外だった。

小学三年生の時だった。引っ越しと同時に大阪から奈良の学校に転校した。
引っ越しの理由は、父親の仕事の関係ということと、かなり後になって知ることとなるのだが私の持病が関係していたらしい。私は当時小児喘息という持病を抱えていた。夜中に何度も発作を起こし父が私を背負って病院に駆け込んだことは数えきれないくらいあったそうだ。いろんな治療法を試したがなかなか良くならず、医者に「空気のいい所へ引っ越してみてはどうか?こんな空気の悪いところにいたらこれ以上良くなることはないかもしれない」と言われ引っ越しを決断したと中学生になってから母から聞いた。私の持病と父の仕事とどっちの割合が多いのかはっきりして欲しいと詰め寄ったが「そんなのどっちもどっちだ」と母はつれなく答えた。でもその頃になると私の小児喘息の症状はほとんどなくなっていた。医者の判断は正しかったのだろう。

転校という経験はこの時が最初で最後となったが、転校生という立場は今思い出しても暗くなる嫌な思い出となっている。内弁慶な性格もあり、なかなか友達ができなかった。大阪から奈良...距離的にはそれほどでもないのに、心は遠くの外国にでも行ったような不安でいっぱいだった。案の定、なかなか友達ができなくていつもひとりだった。他の子供らの態度はシビアで大阪からきたというだけで私ににとても厳しく、転校生という珍しい立場の者を見る目はなかなか普通には戻らなかった。当時のあの子達にとっても大阪は知らない遠くの外国のような所という認識があったのではないかと思う。

まだクラスに全然慣れてなかったある日、私は図画工作の時間に水彩画を描いていた。今となっては何の絵を描いていたのか覚えていないが、白の絵の具が残り少ないことに気がついた。白の絵の具は他の色より少し大きめに作られている。絵の具箱の一番端にあって、よく使われるためかいつも少なくなっているのが常だった。「あぁ〜あ」という気持ちを表に出さないようにして出口のところに微かに残った白い絵具を親指でチューブの先をパレットに押し付けて絞り出してみるが全然足りない。どうしていいかわからず動作が一瞬止まる。すると、右となりの方から真新しい白い絵の具が弧を描きながら飛んできた。そしてそれは私の絵の上にポトリと落ちた。隣の席の男の子が私の方へ放り投げたのだ。私はなんと言っていいかもわからず、ぽわぁ〜んとしていた。今ならすかさず「ありがとう、助かった」と言えるだろうが、その当時はまだそこまで異性にも新しいクラスメイトにも慣れてはいなかった。


私のことを見かねて貸してくれたのだろう。それはわかった。「あ、ありがとう」と、小さい声でかなり時間が経ってから言った。それでも彼は無言で、私の方を見ることもなく自分の絵を描いていた。私が戸惑いながら言った「ありがとう」は小さすぎて聞こえてないのかもしれない...そんな不安を持ったまま遠慮がちに真新しい白い絵具をパレットに出す。そしてまた小さな声で「ありがとう」と言いながら隣の机の上に置いた。でも彼は何にも言わずに絵を描いている。

その男の子が私の初恋の人となるまで1分もかからなかった。
そして、その時から今まで一貫して好きなタイプの男性はこの時の彼のような人となる。余計なことは言わず今必要なことがすらっとできる人。誰かの寂しさや悲しさや困惑をすらっと理解できる人。顔が良いとかスポーツ万能とか頭脳明晰とかそういうことはどうでもよかった。その子が良かった。

彼はなんて名前だったんだろう。

彼は幸せに暮らしているのだろうか。

思いを馳せてみる。

1メートル足らずの空間をゆっくりと弧を描いて飛んでくる白い絵の具はスローモーション再生のようにはっきりと見えるのに、私は彼の顔さえ覚えていない。

うっすらと、夏の日だったような気がしている。


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。