【essay】何者かになりたい、という病
私は平凡な生き方というのが一番好きなのだけど、今の世の中、それは嫌だという方が多いということをうっすらと知っている。
『うっすらと…』というのは、そういう方々とは距離を置いていて、そういう方々と深く話すこともないからという意味だ。
先日、よく聴いているPodcast『となりの雑談』で、まさにこの『何者かになりたい人』のことが話題になっていた。
若い方などは、何ものかになりたいと思ったらなれる可能性は多くあるかもしれないが、40代、50代になってもまだそれを願って生きている方が結構いるということだ。
こんな話を聴いていると、私はふと思う。
「何者かになるって、どういうことを意味しているのか?」
有名人になりたいのか?
偉い人になりたいのか?
会社で上の立場になりたいのか?
単にみんなから注目されたいだけなのか?
考えても、考えてもさっぱりわからない。
こういうことに詳しい友人がいるのだが、彼女にこのことをちょっと聞いてみた。そしたら、いとも簡単に、
『今、いる場所で有名になりたいだけなのよ』という答えが出た。
確かに、今は誰でも有名人になれるチャンスある。
良いか悪いかたくさんあるにはある。
主婦なら主婦の中でちょっと有名な主婦。
SNSならSNSの中でちょっと有名な投稿者。
女子大生なら、大学の中でちょっと有名な学生。
だから、今いる場所を飛び出して、ものすごい勉強をして努力をして何かを成し遂げて一躍時の人になりたいなんてさらさら思ってないらしい。
主婦は主婦でいいと思ってる。でもそこらへんで買い物している普通の主婦じゃ嫌なだけらしい。
それを聞いて、私はすごく勘違いしていたことに気がついた。
みんな、何かを成し遂げて、一躍時の人になりたいのかと思っていた。
まぁ中には、そういう志の高い方もいるのだろうとは思うが、
それを踏まえた上で、この現象はもう病だと表現しているサイトがあった。
『暮らしを良くする研究所』の「何者かになりたい病だった自分を変えてくれた3つの考え方」という記事。
SNSのフォロワーが1万人以上になった時「何者かになるための一歩を踏み出せたような気がした」という女性の話を載せてある。
こういう人が星の数ほどいるのだろうなと思った。
私はまったく興味のない世界だ。
そう言うと「あなただって演劇やってるじゃない。それは有名になりたいからでしょ」と言われるかもしれないが、答えとしてはまったく違う。
私は自分の中にある思いや言いたいことなどを、芝居という形と台詞という
言語化(この言語化という言葉は好きじゃないが)したもので伝えているだけだ。映画やテレビドラマに出てくる綺麗な女優さんとはちょっと違うのだ。
私はスタエフという音声配信もしているが、そこで「毎日配信したほうがいいよ、LIVEもやらなきゃね、コラボもなるべく早くやった方が…フォロワーを増やすコツだよ」と教えてくれる人がいた。
不思議だなぁと思っていた。
私はフォロワーを増やしたいからやるんじゃないんだけど…と思っている。
どんなふうに今を生きていくかはその人の自由だ。
その人たちにとやかく言う権利は誰にもない。
でも病になるほど躍起になると、無意味なストレスだけが残ってしまうことだけは覚えていた方が良さそう。
私は平凡主義者だが、平凡に生きていくことも今の時代からすると、
とても個性的な生き方なのだけどなぁ。
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。