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[私小説] 霜柱を踏みながら

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私小説です。時系列でなく、思い出した順番で書いてます。私の個人的な思い出の物語です。
このマガジンは私の私小説風のエッセイで、月に3本くらい2000文字前後の作品を投稿していく予定です…
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#ショートショート

そして、それでも生活は続く[最終話]

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 23[最終話]』 たとえばとてもいいお天気で、暑くもなく寒くもなく、窓を開けていると穏やかな風が遠慮がちに入ってきて、そんな中でソファに寝転がって好きな本を読んでいたらウトウトと眠くなって、猫が横でにゃ〜と鳴いても気づかずに深い昼寝に入っていく。手に持った本はバサっと床に落ちて、床で開かれたページはなんてことない小説で、そこには複雑な意図も何かの予言も何も書かれて

無花果なんてすべて思い出の果て

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 22』 小学生の頃の友達の家の庭には大きな無花果の木があった。学校の帰り道、その子の家の前に差し掛かると、玄関より先にその無花果の木が目に入ってくる。「じゃ〜ね、また明日。バイバイ」と手を振る。その子が玄関へ入っていくのを見送ると、私はもう一度大きな無花果の木を見上げる。夏になると立派な実をつけていた。後になって知ったことだが、無花果には「夏果」と「秋果」があって

油断した夜、ラブリーさが滲み出る

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 21』 私はまだ20代前半という年齢だったにもかかわらず、胃・十二指腸潰瘍を患っていた。原因はおそらくストレスだろうと医者に説明された。その医者の説明には1ミリも反論はなかった。その時は自覚できなかったが、今から思うと相当なストレスも抱えていたのだろう。それを紛らわすためにお酒も飲んでいた。友人たちはに「おじさんの病気みたいだね」とからかわれた。それに対しても1ミ

時がたち、インクの滲みが消えるころ

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 19』 私の部屋のクローゼットに、スカーフやハンカチなどの小物が収納された籐カゴがある。何枚ものスカーフが折り畳まれたその一番下に一枚の古い絵葉書が仕舞われている。その絵葉書だけは誰にも見られたくない。やましいことが書かれているわけではないが、それは私の人生に影響を与えた出来事が関係しているからだ。消印は1998年3月3日となっている。グアテマラからのその絵葉書に

青春は、傲慢と謙虚のはざまでゆれる

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 15』 両親があんな風だったせいもあり、それに加えひとりっ子だったせいもあり兄弟・姉妹の世話をすることもなく、親戚も遠方にいたため四六時中の付き合いもなく、両親と向き合っていない時はひとりで時間を過ごすことが多かった。今のようにインターネットやゲームなどはなく、ひとり遊びの原点といえば漫画本を読むか児童図書を読むかくらいしかなかった。今の子供たちからすればなんて退

最後まで、あなたは溶けきらない氷でした

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 13』 早朝、ベッドの中で起きようかどうしようかとうだうだとした時間を過ごしているときに携帯電話が鳴った。着信画面から相手は誰だかわからないが、日本からだということがすぐにわかって電話に出る。 「もしもし。私、お母さんだけど、ちょっとお願いがあるのよ」 「何?」 「明日ね、乳癌の摘出手術を受けるのよ、家族の立ち合いが必要なんだって、病院まで明日来てくれない?

眉毛のない男と恋をする

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 12』 私は17才の誕生日を迎えていた。高校生なった時から17才ってなんとなく特別な年齢のような気がしていた。16にも18にもないキラキラに少しヌメリやコクを足したような特別さがあるように思っていた。キラキラ感だけじゃなくそのプラスアルファが欲しくて早く17才になりたかった。なぜそんなふうに思っていたのだろうか...流行りの歌謡曲には「17才」という言葉ががよく使