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太宰治考


昨日は太宰治の作品を聴きに両国に行きました。両国に行ったのは2008年3月1日に全日本プロレス両国国技館にてドリーファンクJrの引退試合を観に行った時以来14年ぶりとなります。ああいう「いざと言う時に頼りになる」と思わせてくれるレスラーはいまどこにもいません。ウルトラマンに例えるとゾフィーのような存在です。令和に入って、良い意味でも悪い意味でも誰にも依存できない時代になりました。

太宰治は10代の時に「人間失格」を読んで雷に打たれたような衝撃を受け、事ある度に読み直している大好きな作家です。「人間失格」を最初に読んだ時は、「これはもしかしたら自分の為に書かれた小説なのではないか」と錯覚してしまったほどなのですが、太宰治が好きな人は誰しもが同じような感覚を持っているようです(笑)

今回の朗読会では、太宰治の4つの短編がテンポ良く語られ、改めて太宰文学の真髄を見た思いがしました。「これは実話なのか?いや、実話にしては出来過ぎている。本物なのか、それとも精巧に作られた偽物なのか。偽物とバレたら一巻の終わりだぞ太宰。お前の嘘は、俺が見破る!」

この時代のこのタイミングで太宰治を読む意味は深いです。

ところで、太宰治や三島由紀夫が好きな人は、「太宰の処女作は〜」とか「後期の三島は〜」など、フルネームで呼ばず、苗字で呼ぶ人が多いのですが、その気持ちは良くわかります^_^

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