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世界が歪んだら目の中に水たまりができた①〜病気で気づいた人間関係~

2024年2月19日、私の病名がわかった。左目が「黄斑円孔」。初めて聞いた。

目の病気といったら、近視、遠視、乱視に、ものもらい、結膜炎、白内障、緑内障、網膜剥離、ドライアイ。思いつくのはせいぜい、このくらいだ。

左目の世界が歪んでいるのに気づいたのは、節分から2週間たったころ。

暦のうえでは、春。でも、全然春を感じない季節。今年は暖冬で、雪かきをせずに済んだ。きっと、地球温暖化のせいなんだろう。環境に地球に配慮することは未来に必要だろうし、異常気象も嫌なので、エコバッグを持ち、ゴミの分別もする。

でも、雪かきしなくていいのは、大人になってから、ありがたいと感じるひとつだ。

話を戻すと、参加したセミナーの帰りにふと、片目を交互につぶり、少し離れた看板を見た。

左目で見たとき、文字が見えない部分がある。??焦った。私の目に何が起こっているのか、全く理解できなかった。

分かっていても、何回も左右交互に何度も目をつぶってみた。当然、変化はなかった。自然治癒してくれるものななか、想像もつかない。

コロナにも、インフルにもかからなかった私の自己免疫力でカバーできないことが起こっている。

自宅に戻り、娘に相談。娘は今「視能訓練士」になるための学校に通っている。

「アムスラーチャート」を見せられチェック。いくつか、線が歪んで見える病気はあるそうだ。目には想像していたより多くの種類の病気があることを知った。
とりあえず、急いで病院に行くことを勧められた。まあ、当然のことだ。

私の頭の中はぐるぐる自分への質問が回っていた。

  • いつから?

  • 原因は?

  • なぜ気づかなかった?

私はとりあえず答えを出していた

いつから? / 8月の健康診断では正常で、最近、見えずらく老眼や乱視が進んだかもと感じていた
原因は? / 近視が強い・年齢・目の酷使
なぜ気づかなかった? / 右目がカバーしてくれた

ついつい考えしまうけれど、ここにエネルギーを使うのって、結構無駄だ。
あのとき◯◯しとけばと、思っても今は変わらない。「今」できることをやるしかない。こんな風にスパッと言えるのは、嵐が過ぎ去ったからだ。

ここ数年の人間関係、特に家族関係の学びのなかで、「原因」を見つけ、正そうとするほど、無意味なことはないと気づいた。

病気も受け入れて、どうするかを考えるほうが、はやい。人間関係には現状受け入れて、本当は「どうする」「どうしたい」が大事なのだ。ごくシンプルなこと。
でも、そこに感情があるからどんどん絡まりあってくる。この感情の絡まりを、解くのをあきらめてしまう人が多い。絡まるまえに、感情をシンプルに受け入れる。感情だけじゃなく、病気も出来事も素直に感じる。
そこから始まる。そこからしか始まらない。

冷静に考えればそう思う。
でも、そのときは、そんな俯瞰的な思考にたどり着けず、気持ちがあたふたしたまま、翌日午前少しうわの空で仕事をし、午後病院に行った。

続きを読みにまた来てください。



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