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地元プレイヤーで成立するジャズカルチャーを作る

20代の半ば、徳島県に縁がありよく出入りしていた。当時の僕はジャズセッションは「楽器が弾けて楽しい!」くらいのノリだったから、ジャズ即興がどうとか理論がどうとかは、あまり考えずに楽しんでいた。
徳島はセッションできるライブバーが徒歩圏内にたくさんある。プレイヤー同士の交流も盛んだし、演奏を楽しみながら飲みたいというジャズファンも沢山いる。

同じ頃、地元高知に住むようになって、近所のビッグバンドジャズに誘われた。こちらは「楽譜を読む練習になってキャリアアップ!」くらいのノリでやっていたから、今思うと本当に失礼で迷惑な心構えだったと反省するけど、それでもそれなりに楽しく、良い経験を積ませてもらった。

住居を高知市に変えてビッグバンドを抜け、今度はジャムセッションin高知さんの定期セッションに通うようになった。といっても月に1回のセッションだから、徳島であったようなほぼ毎日、たくさんの場所でセッションをするようなものではなかった。なかったが、月一の大人の部活動のような感じでとても素晴らしい集まりとなっていた。主催する勝賀瀬兄弟とも意気投合してほぼレギュラーとして楽しくやっていた。

またそれとは別に定期ジャズセッションを主催しているライブバーがあり、そちらにも通うようになった。結局そのジャズセッションを僕が引き継ぐことになったのだけど、そこで目の当たりにしたのは、ジャズセッションが少ないことによる演奏能力の不足だった。参加している方のほとんどが、単純にジャズの知識と楽器の技術が不足していると感じた。

楽器の技術は本人の生活習慣やキャリアによるが、知識については補足することができるかもしれない。一応(?)ジャズの大学に行った身として、より正確で役に立つ知識を広める立場にあるのではないかと思った。そこから始まったのが『あらまし:お勉強エンターテイメント』だった。

『あらまし』の資料。

このイベントは2時間程度、僕が一人で講演するお勉強会というスタイルだった。プロジェクターにパワポを投影して、質問なんかも伺いながら基本的なことを”ざっくり”と理解してもらう。

さほど好評満員のイベントではなかったけど、定期的に数名の方が来られて楽しんでいただいた。


地方のジャズは、地方なりにオリジナル

高知県ははっきり言って田舎だし、プレイヤー人口も少なければライブやセッションの場も少ない。都市部とはまるで違う世界だと感じる。
だけども、だからといって「田舎だし仕方ないよね」というのは違うと思っていて、むしろ『文化隔離されているので独自の音楽が生まれる可能性がある』と考えている。

たとえばニューオーリンズはアメリカ本土では田舎であり、都市部との情報交流が少なかったからこそ、ブルースやニューオーリンズジャズが発展したと考えられている。裕福ではないからピアノの台数が少なく、安価なギターや管楽器、打楽器での音楽が根付いた、というイメージだ。
他方、アメリカニューヨーク近隣は当時資本家も多く、西欧の音楽を輸入する形でピアノや弦楽アンサンブル、オーケストラなども移住していた。楽器や音楽教育を受けた人が多い地域だった。

アメリカ中南部の音楽と西欧の音楽がぶつかり、今のジャズの基礎ができあがった。ざっくり、そういうイメージで間違ってない。

僕の歴史観なのだけど、特殊な地域の特別な音楽があることが、新しい音楽を生み出す土壌になると考えている。だから既存の音楽を洗練させることは都市部に任せておいて、田舎には田舎の音楽があれば良い。地方のジャズは、都市部みたいにバカテクの集まりではないかもしれない。だけどそこにある音楽は(都市部同様に)そこのオリジナルであるはずだ。

「ここに、ここだけのジャズ文化を作る」というのが僕の考えであり、メインストリームから外れているかもしれないけど楽しくセッションしている、それこそ音楽の原始的な姿ではないかと思う。もちろん知識や技術は重要だが、ゆっくりだけど愉快に積み上げて、それを長く続けていくなら、きっと地方のジャズも面白いものになるはずだ。

これはジャズに限らないと思うが、独特のライブ的な性質はポップスとは少し違う楽しみであり、より差異性の強い音楽が生み出されることから、こういった文化交流に向いている。もし地方独特のジャズが各地にあり、その交流が生まれるならば音楽はもっと進化し発展していく。そういう夢を見たい。

今後も、地元ミュージシャンで成立するジャズ文化を作っていきたい。

International Jazz Dayを経て。



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