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好奇心の育て方

まったく趣味がない人がいて、それが問題視されているようだ。パパ活という名の結婚詐欺で”おぢ”と呼ばれる中年男性が標的とされるとき、「趣味を持つ”おぢ”は狙うな。趣味を捨てて貢ぐおぢは命をかけてくるからリスクが高い」という主旨のマニュアルが流出したのが発端なんだろうと思う。

中々の慧眼だと感心した。もちろんそれを犯罪に利用するのは悪意でしかないが、それはそれとして件の殺人事件が「趣味を捨てて貢ぐ”おぢ”」によるものだったことをみるにつけ、そのマニュアルは正しさを帯びる。

僕は自他共に認める趣味の多い人なのだけど、それには理由と原因がある。

20代半ばに大病を患い、1年間の自宅謹慎を言い渡された。まったくやることがない訳でもなかったが、ほとんどの時間は暇で仕方がなかった。主治医から1年間と言われたものの、その状況が何年続くかも見通せず、この先どうやって過ごしていけばいいかを思い悩んだりもした。
暇なので、自宅で一人楽しめる何かを探そうとした。とりあえず本屋を巡り、古本屋をぐるぐる見回るようになり、気になった本を手にとっては戻しを繰り返した。

そうしているうちに、漫画や小説にはあまり興味がわかずに新書や雑誌の前で足が止まることに気がついた。音楽の雑誌はもちろん、園芸や手芸、盆栽やアウトドアの本が好きだった。
ちょうど梅雨前のいい気候だったので、僕はほったらかしの庭の片隅を開墾し始めた。わりと広い庭だったから家庭菜園でも初めてみようと試みたのだった。一番簡単だと本に書かれていた唐辛子と、定番のミニトマトを植えてみた。
やってみて初めて分かることが沢山あった。園芸は奥深い。一応ささやかな量の唐辛子とミニトマトを収穫することはできたが、これを本業にするのはとっても大変だと気がつけた。趣味程度が自分にはちょうどいい。

それからというもの、年に1つは新しいことを初めてみようと試みた。療養期間、ひょっとしてもうライブとかできないかもなぁとか、集中力が持たないから音楽制作は難しくなるかもしれない、そんな不安を抱えながらだったので、それ以外に眼を向けるのは精神衛生上すごく役立った。僕にとっては音楽はシリアスだったし、そうでない遊びが必要だったのだと思う。

なにかを始めるには心の動機が必要だ。僕の場合は将来に対する不安から目を逸らすという動機があった。恐怖心があったから、そこから逃げるために遊びを探した。

逆の言い方をするなら、なにごとも動機は恐怖心からスタートしているのかもしれない。モテたいと願うのはモテないことによる孤独という恐怖から始まる、みたいな。

恐怖心は想像力の源なので、子どもが幽霊や鬼を怖がることは知育として重要なんだそう。それは大人にとっても同じだろう。
何かを始めるのに、ポジティブな動機であろうとする必要はない。むしろ後ろ向きな、ネガティブな理由で歩き始めた方がいい。人間は恐怖に対してはしっかり立ち向かうようにできている。

認知症になりたくない、という理由で楽器を始めたっていい。体が弱いから体力作りのために自転車を始めたら、それが楽しくなって趣味になったという人も沢山いる。理由はネガティブでもいい、むしろネガティブな方がいい。好奇心は恐怖心から始まっていてもいい。そうでなくてもいい。

やってみてはじめて分かる世界に一歩踏み出そう。



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