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「俺には音楽しかない」から脱しようとした話

若かりし頃は野心や野望があって、有名になって神曲を当ててやろうみたいなことは、誰しも考える。僕もそういう時期があったし、今でも”スケベ心”くらいにはそういった野心を抱えておくのは大事なことだと思ってる。

30代も半ばくらいになってから、時々親しい友人や旧友が亡くなるようになった。大きな事故にあって大変な思いをする友人が少なくなくなった。
僕はそういうタイミングにアクシデントを想像し、想定した。

「もし楽器が弾けなくなったらどうしよう」
「もし四肢が自由でなくなったら」
「もし耳が聴こえなくなったら」

ギター講師や作編曲家として生きているので、手が使えなくなったら即失職する、かもしれない。あるいはジストニアのような難病を患ったり、あるいは鬱になったりして動けなくなるかもしれない。

幸い僕自身、こういったアクシデントには遭遇せずにこれまで生きてこられた。だけども想定したことによって、音楽以外でも働けるようなスキルや知識を身につけることは重要であると気がついた。

例えばこうして文章を書いてみることであったり、パワポやエクセルを難なく扱えること、あるいはIllustratorやpremiere Proでちょっとしたものを作れたりすること。
こられは「俺には音楽しかない」という考えから離れる練習でもあった。自分の作る曲は好きだ、だけどそれが世の中に受け入れられるかは分からない。だから傷ついたり苦しかったりもするが、作った音楽は「自分のすべて」ではないと思えるようになってからは、誰と比べることもなくなったし受けれて貰えなくても大丈夫になった。

幼少から音楽に親しみ、小学高学年で作曲を始めて、中学からギターを弾くようになってはや数十年。たしかに僕にとって音楽は人生の大部分であることに違いない。
だけどもそれだけが人生じゃない。
僕にとって、たとえば自分のチームを運営することやそこでの交流は(音楽がきっかけかもしれないけど)「音楽『以外』」の価値だ。他にも釣りを楽しむこと、競馬を嗜むこと、料理をすること、友達とバカ話をしながら打ち上がること、走ること、瞑想すること、最近ではお絵描きすることや映画を見ること。そういったすべてもまた『僕自身』だと感じている。

昨日、NHKで山口一郎さんの鬱についてのドキュメンタリーを見て(彼は僕と誕生日が1日しか違わない)、身につまされると同時に「僕はこういう『僕には音楽しかない』から脱するように努力をしてきたな」と思い出したので、ここにメモ書きとして残しておきたい。

思い詰めない、命に別状ない、なんとかなる。
美味しいものでも食べにいこよ、雨の日でも晴れの日でも。

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