うつでダウンして、バンブル無双した女の休職生活。#11
私のお城から何でもある実家へ
2泊3日の韓国旅行はとても楽しめた。
ご飯は美味しかったし、友人と歩く久々のソウルの街は賑やかで新鮮だった。欲しい物もコスメも沢山買えた。流行りのNIKEでオリジナルのキャップを作る体験も無事に出来た。
いつもなら、会社の共有スペースに置くお土産は何にしようとか、別に強要されているわけでも無いのに必死に考えて買っていた。
それも買わなくて良かった。日曜日に日本に帰り、月曜日はぐったりと泥のように寝ていた。
その次の火曜日、私は久々に実家に帰った。
私は東京生まれ東京育ちだ。
小学校までは地元の学校へ行き、中学受験を経て中高一貫校の女子校に入学した。その後都内の大学に進学し、ずっと実家から通っていた。
ここまで聞けば、とても恵まれたお嬢様に聞こえるかも知れない。
実際、会社では一部の先輩から”お嬢””メリッサちゃんは実家が太いから”と、貶しなのか褒めなのか分からない言葉をかけられることもしょっちゅうだった。
だが思いの外、東京は広い。
私の実家は23区外の俗に言う郊外にあって、東京の中では田舎と表現されてもおかしく無い場所にある。最寄駅から歩いて実家まで10分以上かかるし、実家から1番近いコンビニは歩いて15分かかる距離にある。とてもだけど、便利な場所にあるとは言えない。
中学高校と電車通学していたけれど、片道40分以上は満員電車に揺られていたし、大学生の時も片道1時間以上かかった。(だから2年生以降は、2限以降の講義しか断固として取らなかった。)
両親のことは好きだけれど、大学生の時に23時以降を過ぎると「今どこ?」とLINEが来るのは本当に嫌だった。おちおち夜遊びも出来ない。今になって考えればありがたいが、夜には絶対に最寄駅かその2つ前の駅まで親が車で迎えに来た。
兄が大学生の頃は朝の5時に帰ってきても何も言わなかったのに!
「男の子と女の子は違うんだよ」と色んな人にいなされたが、納得できなかった。
だから絶対に、就職をしたら一人暮らしをすると決めていた。
シンデレラみたいに時間に急かされないで遊びたいし、「今ここで飲んでるんだけど来ない?」と友人に誘われたら20分でその場に行きたい。
何より、両親の「今どこ?」というLINEを見ずに済む。夜遊びだってし放題だし、夜ご飯に何を食べたって怒る人もいない。
私のそんな野望は、入社1年目にしてすぐに叶う。
入社した4月〜8月の間は、引越し資金を貯めて頑張って実家から職場へ通った。その間に土日で必死で会社に程近い物件を探し回り、今の家を見つけた。築浅、オートロック3階以上、会社まで歩いて20分。スーパーもコンビニも薬局もすぐそばにある。家賃が自分の想定より少し上回ったこと以外は完璧だった。でもそんなの気にならないくらい、自分の、自分だけのお城を見つけたことが嬉しかった。
実家暮らしが長かったとはいえ、家事も料理も人並みに出来た私は一人暮らしにすぐに順応した。仲の良い同期もいたし、友人もいて寂しいと思わなかった。
ただコロナ禍でうつを発症した時だけは、実家のお世話になった。
誰かのサポートが無いと生きていけない状態だった。
ほぼお正月以来の実家に帰ると、母親が嬉しそうに出迎えてくれた。
韓国旅行のお土産を渡すと、もっと嬉しそうな顔をした。
実家では、日本の民放のテレビ番組よりNetflixやAmazon Primeが流れている時間の方が長い。母が韓国ドラマヲタクなのだ。
うつを再度発症して、実家に帰って、気がついたことがある。
ここには何でもある。
何もしなくてもご飯が出てくるし、洗濯もお風呂も沸いている。
特にこと食べ物に関しては、冷蔵庫、冷凍庫にパンッパンにモノが詰まっていて苦しそうなくらいだ。食後には絶対にデザートと言って果物が出てくるし、あと2週間もいれば確実に太るなと思った。
そして何より母親がいた。
高校生の時に気がついたことだが、どうやら私は母親と仲が良いらしい。
というのも、これは友人に指摘されて気がついたことだ。
「メリッサってお母さんと仲良しだね?」と友人が実家に泊まりにきた時に言われた。その時、友人たちはもっと母親に対して強い口調で何かを言ったり、喧嘩をしていることを知った。
私は反抗期も無かったし、母と喧嘩をしたこともない。時々大事な(?)話し合いをして泣いたりすることはあっても、声を荒らげることは無い。
第一、母に対して強い言葉で何かを言うのが好きじゃ無かった。
母は偉大だ、いつも優しい。
私の体調にも変化にもいち早く気がついてくれるし、私がうつを再発して1番心配していたのは母だと思う。
私が高校生の時、母は大病をして入院し一時期生死の境を彷徨った。
あの時、本気で母が死んだらどうしようと家で1人で泣いたのを覚えている。
透析というおまけがついてしまったが、今ではすっかり元気だ。
ちょっとテンションが上がると、すぐK-POPアイドルの話になるのはごめんだけれど、それも元気だからこその趣味で何よりだ。
人に言って欲しい言葉
それから、実家に月に2回ほど、それぞれ1~2週間ずつくらい過ごした。
母はいるし、単身赴任中の父は毎週土日に帰ってくる。
朝ご飯を食べろと強要されるのは苦痛だったけれど、一人暮らしのお城では食べられない豪勢な夕ご飯が出てくる。お風呂もテレビの画面も大きい。
コンビニに行かなくとも、アイスは冷凍庫に常にストックされているし、お菓子もある。悠々自適な実家避難生活だ。
そんなある日、母と一緒にとある韓国ドラマを観ていた。
物語の中で主人公が、恋をしながら自分の諦めかけた夢を追いかけるという展開に入った。私は見入ってしまった。主人公は衝動的に会社を辞める決断をして本当に辞めてしまう。そして夢への道を走り出す。
「私もこうするべきかな」
そう呟くと、母は私に尋ねた。
「この子みたいに、何かやりたいことがあるの?」
一応ある。
あるにはあるけど、どうそこまでたどり着けばいいか分からない。
だから答えに戸惑った。すると母はこう続けた。
「でも、ドラマみたいに上手くはいかないよね。経済的にも大変だし。もし、今の勤めている会社を辞めて転職したとしても、今以上の待遇の会社に入ることは難しいかもね。」
その時、私はムキになって大きな声を出してしまった。
「なんでそうやって決めつけるの?
メリッサなら出来るよってどうして言ってくれないの?」
言って欲しい言葉を人に求めるのは違くなぁい?と母は困惑していた様子だったが、私は本気で怒っていた。
でも今ならわかる。
母の言葉にそんなに反応したのは、私が心の中で少しでも、母と同じように考えている節があったからだ。
だから一歩を踏み出せなかった。
自分を信じると書いて自信と読む。
「メリッサなら出来るよ、大丈夫だよ」そう私に1番言ってあげられなかったのは、私以外に他ならない。
自分を信じられていない証拠は時に、人の言葉を介して伝わってくる。
メリッサ