私は女でいたくない
毎月やって来る生理。その度に、特定の部分の痛みやPMSと呼ばれる症状の悪化に、いよいよ婦人科で検査を受けて、然るべき治療を受ける決意をした。
正直な気持ちとして、楽に苦しいことが前提の人生を生きられればいいといった感覚で、私の生物の雌の機能については、更年期障害のリスクなど、体に変調がないのなら、なくなればいいと思っていた。
検査は思ったより長引いた。婦人科の検査は歯医と似たような椅子に座らされる。椅子も動く。が、動きに特徴がある。
座らされた患者は、カーテンの向こうのナースや医師に座ったことや、準備の終わったことを伝えるのがまず、それから次にすることだ。そして、ほどなくして椅子は動く。ただし、膝下にあたる部分は、ちょうど脚が収まるよう、滑らかに窪んでいて、左右の脚はこの窪みに適応するかたちとなる。そして、動いた診察椅子はかなりリクライニングした、ゆったりとした姿勢で止まると、次は窪みにフィットして、自然とその部位と連動して動くようになった、左右の脚を外側に開く。要するに、陰部をはっきりと晒す体勢になる。
婦人科検診は何度目かのことである。
しかしこの体勢になり、女にうまれた受難を感じずにいられなかった。
医師は肛門でも検査ができると話したが、それが仇になりそうな気がしたので、「正確な結果が分かる方でお願いします」と応じると、腟での検査が始まった。
殴る蹴るや歯科治療とは異なる痛みや不快感に、再び受難を噛み締める。後で聞いたが、膣とは臓器のたぐいらしい。はらわたを探られるのだから、それは苦しくないと話す方が強がりだろう。
何だか検査が長い。正直な感想だった。
検査を待ってみると、子宮内膜にポリープが見つかったと医師は語った。
「99.9%は良性だから」
それでも、念のために検査を後で受けることにしようと医師は話す。
女性の医師は事実をはっきり告げるだけで、特に私を哀れんではいなかったが、励まそうという気持ちや、不安にさせないようにしようといった配慮を感じた。
もしも、私が悪性のポリープを抱えていたのなら、私はそれに蝕まれて死ぬか、動物の雌でなくなるだろうか。
私にとって女であることは屈辱であり、損をすることで、男性と比べた時の身体能力差による猛威に常にさらされるものだった。
後で語るが、私は女であるために異性から受けた肉体的な暴行について、どうして非力な生き物にうまれてしまったのかと、性別がたったの二通りしかないことを憎悪した。
その暴行は外道の所業と語っても大袈裟なものでなく、ただ暴虐に甘んじるしかない、己の身体能力にかけられた性別による限界を、叫びながら心底憎悪した。
私はひょっとすると三代前まで遡れるような、発達障害の家計だ。特に、私から見た先代である母は発達障害で、医師の診断が根拠なので、単なるしろうと判断などでなく、本物なのだ。
発達障害には原因が解明されていないものの、遺伝の関係性については指摘されている。
私もある医者には正面切って「人の心が分からない」と言われ、現在の主治医には「発達障害の傾向がある」と言われているのが現実だ。
私は自分の人生が全く幸福でないので、仮に孕んだところで、身勝手に苦しみに満ちた人生を味わうことを約束された他人を、幸せになどできないと思っている。
私の血には不幸の要因になる要素が強く、私は自分の姿を醜いと評価している。だから、内面でも外面でも、私に似てしまう要素があるのなばら、その人物はうまれた瞬間から不幸を背負う。
これは、あくまで私の考えや話として述べる。
私は特に発達障害の母について、選べるものならチェンジしたいと、情や愛着などまるでない。発達障害にありがちな美称で言うのならば、個性的でユニークな経験などなく、母は私を多方面から否定し、あまつさえ遠回しに内孫を産む道具扱いした。
ただ、私が憎悪する母なる存在に私が肉体的になる可能性のある以上、ポリープが悪性で、私は人間の雌の要件を満たさない存在になり、決して母になれない生き物になりたいと思う。
この世界は胡蝶の夢だろうか。
身勝手な願いをかけるなら、深く眠るうちに隕石が降って地球を粉々にして欲しい。
老人向け紙オムツのCMを見ると、人生は五十年でいいと思った。枯れて嗄れ、排泄すらままならない自分は無価値で厄介なので、他人様の世話になんてなる気もない。尊厳ある死、なんてずいぶんと響きがいいな。
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