28/07/2020
どこかの誰かのある一日。インタビューを元に、私ではないひとの日記を書いています。
少し前からジムに通っている。行くのはだいたい夜。今日も仕事のあとでジムに行った。
フロアに入ると、ちょうどチェストプレスのマシンを使い始めた人がいた。うーん、と僕は思う。「トレーニングはチェストプレスから」と決めているからだ。トレーニングの順番はいつも同じにしている。まずチェストプレス。そのあとは腕まわりの筋トレをして、背中→足→腹筋。最後に40分間走る。
筋トレは、1セットやってちょっとインターバル挟んで…を3〜4回繰り返すものだから、ひとつのトレーニングに10〜15分かかる。つまり、チェストプレスのマシンが空くまで10分は待たないといけない。
そして、ここで待てるのが僕だ。
「これがいい」と思うこと(ジムの話でいえば、トレーニングを決まった順番ですること)のために待つことは苦にならない。たとえば、写真を撮るときなんかもそうだ。あの景色を撮りたいけど雲の感じがよくないなあ、日差しがよくないなあ。そう思ったら、2〜3時間でも待てる。ベストな一瞬のために、全然待てる。それを嫌だと思ったことはない。
そういえば、初詣もそうだ。元旦の初詣はとにかく人が多いから、横にめちゃくちゃ長く並ぶ。その中でも、真ん中に近いほど待ち時間は長くなる。でも僕は、どんなに待ってもいいから真ん中で拝みたい。そのために並ぶ時間を無駄だとは思わない。
そういう謎の頑固さが僕にはある。
チェストプレスの話に戻る。
隣のマシンになんとなく座って待っていると、その人が思ったより早くトレーニングを終えて立ち上がった。ジムでは、使ったあとに自分でマシンを拭くというルールがある。チェストプレスマシンのすぐ前にウエットティッシュ置き場があるけど、その人は一番近いそれをスルーした。拭かないのかな?と思って見ていると、彼はフロアの奥まで歩いてウエットティッシュを取りに行った。一番近いところにあるのは、中身が空になっていたらしい。
その人がウエットティッシュを取りに行っている間、マシンに座りたいけど座れない。もしそのタイミングで僕が座ったら、彼は「あ、拭いてなくてごめんなさい」っていう気持ちになるんだろうなと考えながら、ほかの人に横入りされないかそわそわしながらじっと待つ。
結局、無事に次の順番でマシンを使うことができた。
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筋トレを終えて、ランニングマシンで40分間走る。走りながら、Amazonプライムで配信されている映画『劇場』を観る。きのうはじめの40分を観たから、今日はその続きだ。
原作の小説を3年くらい前に読んだ。最後どうなるのかは覚えていない。ただ、悲しい気持ちになったような気がする。まだ最後まで観ていないけど、今の時点で絶対ハッピーエンドでは終わらないよなっていう感じがしている。悲しい終わりに向かっているのがわかる。
悲しいなと思うと同時に、ああこの感じは心当たりあるよな、と思う。かなり感情移入してしまう。主人公の男のふくれかた。たとえば、沙希(松岡茉優)のお母さんから野菜が送られてくるくだり。永田(山﨑賢人)はめちゃくちゃ嫌なやつなんだけど、甘えたい場所でああいう感じになるのはちょっとわかる。
半年前から付き合っている彼女がいる。今のところ別れる予定はないけど、この子には僕じゃないほうがいいんだろうなという未来も想像する。その状況と『劇場』のいろんなシーンがかぶって、どうしても映画の中で起こることを現実のこととして想像してしまう。彼女との関係を対比しながら観ている。
今、仕事がすごく楽しい。旅行にももっと行きたい。それらと恋愛の両立は、全然できる。できるんだけど、そういう話じゃなくて、つまり、近いうちに「結婚するorしない」の決断をしなきゃいけないんだろうという話だ。5年付き合ってから…みたいな選択肢は、たぶん今の僕にはない。
ちゃんと考えたら、きっと別れる。でも、ちゃんと考えない感じになって結婚するのもありだよな、とも思う。どうなんだろう。いざ決断をするとき、自分はどっちを選ぶんだろう。そういう気持ちのゆらぎは正直ある。
だからこの映画は、自分のいやな部分を見てる気持ちになる。残り40分くらいあるけど、最後まで観なくてもいいんじゃないか?とすら思う。いや、たぶん、観るけど。
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家に帰って、ゆっくりお風呂に入りながらマーケティングの本「AFTER DIGITAL VER.2」を読む。
今の会社には創業時からいる。このところはだんだんと組織っぽくなってきて、後輩も増えてきた。だから、勉強と経験を重ねていかないとなと最近思う。勉強するのは得意だし、苦じゃない。これはラッキーだ。今では週に2〜3冊、仕事に関係する本を読んでいる。
世の中に「より良い世の中を作ってくれる人」と「より良い世の中を生きる人」がいるとして。もちろんどっちも兼ねている人もいるんだけど、僕は後者、つまり「みんなが作ってくれた世界を楽しむ側の人間」として生きていくもんだと思っていた。なるべく友達と遊びたかったし、仕事を楽しむという価値観がなかったから、20代のときは定時で帰れるという理由で仕事を選んだりもした。
でも、30代も中盤のいま、仕事で新しいものをつくるのが本当に楽しい。
現実問題として、遊ぶ友達が減ったというのはある。周りはみんな家族を持ち始めて、飲み会もイベントも減ってきた。新しいつながりとして生まれていくものは、僕の年齢だと仕事だ。いつまでも知らない世界を見たい。なにか夢中になれることがほしい。今はその理想を仕事が叶えてくれている。
自粛生活のこと。
人となかなか会えない状況は、“アリ”でも“ナシ”でもない。週9で飲みに行くような生活も、たしかに楽しかった。けど、あの生活がもう二度と戻って来ないと言われても、そんなに寂しいとも思わない。そこで自分の人生が作られているわけじゃないから。ひとりでジムに行って走って『劇場』を観る生活と、毎晩飲みに行くっていう生活に、優劣はない。
人と会う機会が少なくなると、たまに会ったときのお互いの変化率は大きくなる。それがおもしろいし、次に誰かに会うときまでに、自分は変わっていたいと思う。最近どう?に答えられる何かは、いつも持っていたい。