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「死ぬのが楽しみ」と言えるその日まで

夏休みの宿題をやり始めるのは、だいたい始業式のあと。
貯金0円で会社を辞め、リボ払いに手を出したこともある。
頑張れば金曜日に終わる仕事を、つい土日に持ち越してしまう。

そんな計画性ゼロの私が、将来のプランとして一つだけ決めていることがある。


両親や兄妹はもちろん、仲のいい友達、夫。特別に大切な人よりも、後に死にたい。


RADWIMPSの「25個目の染色体」という歌の中で、

あなたが死ぬそのまさに1日前に 僕の息を止めてください これが一生のお願い

という歌詞がある。

“好きな人よりも先に死にたいか、後に死にたいか”は永遠のテーマな気がするけれど、私は「1日前」じゃなくてせめて「数日後」、いや、できれば「数年後」くらいの猶予を持った上での「後」がいい。


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そう思うようになったきっかけは、祖母だ。

祖父、つまり祖母の夫は、今から5年前に癌で亡くなった。何年にも渡る長い闘病生活の末だった。

祖母は祖父の死後、祖父が趣味で書き溜めていた俳句をかき集めて遺句集を編纂し、そのあとがきを書いて出版した。

そして祖母自身も、祖父の闘病生活や2人で過ごした晩年の様子を短歌にして書き溜めていた。それも歌集にまとめて、昨年出版した。


祖母は祖父の死後、祖父についてあまり多くは語らない。

その代わりに、祖母が書いたあとがきや歌集の中には、私が知らなかった祖父の姿がある。2人はこんなふうだったのかと、初めてわかることがたくさんある。


そうやって、誰かの存在を形にして残すこと。2冊の本を見て、私もその役割を担ってみたいと思ったのだ。

だから私は、大切な人よりも長生きするぞと決めている。


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けれどふと思う。

家族や友達の最期を見届けるということは、自分が死ぬまでの間、しばらく一人の時間を生きるということだ。

みんないなくなってしまって、たった一人残された世界というのはどんなだろう。

この映画、おもしろそうだな。Aさんに教えたいな。
……いや、Aさんはもうこの世にいないんだった。

Bさん、あのレストラン好きだったな。今度また一緒に行きたいな。
……いや、Bさんは去年亡くなったんだった。

きっとそうやってじわじわと、独りを実感していくんだろう。


亡き夫の好物についのびる手を 抑へ抑へてスーパー巡る

祖母の歌集に収められた一首だ。

誰かがいなくなるというのは、何気ない日常の中で寄せては返すその人の影と共に、緩やかにその不在を受け入れながら、“二歩進んで一歩戻る”を繰り返すようなことなんだろう。

そういう日々を生きていくというのは、どんなだろう。


***

人はみんな一人で生まれる。一人で生まれて、人生のオプションとして、いろんな人に出会う。

だから最後にまた一人に戻るのも、理にかなってはいるのかもしれない。

現実はそんなにスッと受け入れられるものではなくて、想像もできない苦しさや悲しみが伴うのだろうけど。


誰もいなくなった世界で、語り部としての役割もある程度終えたら、きっと「そろそろみんなと話したいな」と思うことだろう。

そうやって、「早く天国に行ってみんなに会いたい」と思いながら死ねたらいいなと思う。

詩人の谷川俊太郎さんが、インタビューで「死は一種の楽しみ」と言っていて、その言葉はすごくいいなあと思った。ネガティブな意味ではなく「死ぬのが楽しみです」と、私も言ってみたい。

死に方については、あまりにも痛かったり苦しかったりするのはできるだけ避けたいけど、そうなってしまったらもう仕方がない。


天国に行ったら、久しぶりに会う家族や友達と何を話そうか。あのとき言われたことばの意味を聞いてみようか。あの日のことを謝ってみようか。ずっと言えなかったことを言ってみようか。

そうやって、あの世への楽しみと共に死ぬのが、私の理想の最期だ。


だから今は、いつか私より先に天国へ行く誰かの語り部になれるように、近しい人とはきちんと向き合って、仕草やことばを日々頭の中に刻みつけながら、そのときに備えて生きていきたい。

(「大切な人より後に死にたい」に至ったきっかけとなる人は、実はもう一人いるのだけど、その人のことはまた改めて書きたいと思う)


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7人で「書く日、書くとき、書く場所で」という共同マガジンをやっています。今回は「理想の最期」を共通テーマに書きました。

ちなみに前回のテーマは、「最初と最後の一文を決めて書く」です。

あしたもいい日になりますように!