セクシー田中さん事件における第三者の攻撃性の要因

ドラマ「セクシー田中さん」の原作者とテレビ局とのあいだになにかトラブルがあったらしいことは耳にしていたが、詳しいことは全く知らなかった。
たまたまいつもくるDMのなかの200文字足らずのコメントに、「圧倒的な一般人の匿名攻撃。やってる人には自覚はないのだろうが、小さな繰り返しの怖さを感じた」とあったのでインターネットで調べてみた。
問題となっているのはやはり一般人によるSNSでの脚本家やテレビ局関係者への強い言葉による攻撃であった。いくつかの言葉から「誹謗中傷」というのも間違いではないと思った。
一般人(つまり第三者です)による誹謗中傷は「匿名性」が激しさを加速させていることは間違いないと思う。
ただそれは要因としては大きいけれども、本質的な要因は別にあるように思う。
日頃から不満に思っていることや、苦々しく思っていること、よくないと思っていることを誰かが言ってくれると(表に出してくれる)、それに勢いというか力を得て便乗して批判してしまうことは誰にでも多かれ少なかれあるのではないかと思う。人間に備わっている傾向であり、誰しもが持っているもので、時と場合によって出たり出なかったりだと思う。
私はかつて、匿名でもネットでもなく、リアルで対面であったが、ある行政機関との話し合いのとき、一人の参加者が行政に対するある批判を口にしたときに、自分もそう思う、例えばこんなこと〜みたいなかんじで便乗批判をしたことがある。他にも数人が我もわれもと賛同していた。後になって、卑怯な態度だったなと後ろめたく思ったが、自分のそういった弱さや悪さを知るきっかけともなった。
こういったことは実名のリアルでもよくあることで、収拾がつかない事態になることも多い。
おそらく「自分だけではない、みんなが思っていることだ」との思いが強気にさせ、通常なら声も挙げられないような人間でも便乗して声を挙げてしまうのではないか、しかもやや強気の声を。
ネット(SNS)の場合、そこに匿名性といいね!などのリアクションが加わるために、より悪く激しくなるのではないか。
根本は「みんなそう思っている」という数を頼みにした強気という人間の傾向に要因があると思う。
これを法で規制することは難しい。限定的な制限しかできない。しかし、SNSの使い方といった情報技術を知り規制をかけていくことで、人間の傾向性を増悪させないことはできると思う。
この問題については何人もの人が論じているので参考にしてみるのもいいと思います。


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