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農家の娘として、いま出来ること

「田んぼは先祖から引き継いだ不良資産なんだ。」

3年前の夏、実家の両親と話していたとき、父が苦しげにそうこぼした。

愛知県にある私の実家では、先祖から引き継いだ田んぼで自家消費+αの米作りを行っている。70代後半の父を主な労働力に、母や兄夫婦が手伝うかたちでの家内兼業農家だ。日々の食卓に上るお米はすべて実家からもらって賄っている我が家も、米作りの二大年中行事である田植えと稲刈りにイベント気分で手伝いに行くのみで、結婚して十数年の間ずっと傍観のスタンスを貫いてきた。
というのも私は幼いころ、田んぼのある自分の家が嫌いだった。米作りは稲刈りが終わって数ヵ月後の田耕しから一年の仕事が始まる。寒い間も暖かくなってからも次の稲を植えるための土地づくりは手が抜けないし、田植えの時期になると今度は水の管理に気を抜けなくなる。田植えが終わると今度は害虫の被害に目を配る必要があるし、稲が育ってくると台風の影響に気もそぞろ。稲刈りの日が近くなると、天気予報と睨めっことなる。しっかり乾いた状態で刈り取れるよう晴れ予報が続く日と稲穂の生育状況を見極めることが、その年の獲れ高に大きく関わってくるからだ。いつも何かしらの田んぼ仕事に追われている両親を見ることも、農機具で泥臭い家の庭もダサい軽トラックが駐車場にあることも、年ごろの少女には嫌で仕方がなかった。手伝いに駆り出された日には、田んぼの中にいる自分を誰にも気付かれないよう顔を伏せ、なぜ田んぼのある家に生まれてしまったのかと自分の出生を呪ったりもした。

だから結婚して家を出たとき、これで農家の娘から卒業できるのだとどこかせいせいした気持ちだった。定期的に収穫されたお米をもらう、いいとこ取りの生活。私にとって一番心地良い距離感で十数年を過ごしてきた。数年前から姉が、新米の時期に知り合いや同僚からお米の注文を受けて販売し始めたことを知ったときも、自分の仕事も忙しいのによくやるなと傍観してきたのだ。

でも3年前、父が呟いた冒頭のひと言が私の気持ちをぐっと動かすことになる。
不良資産、そう吐き捨てたくなる背景を父が訥々と話してくれたからだ。

実家の周りは、両親世代の70~80代が中心となりお米を作っている農家が多く、ここでももれなく高齢化問題が押し寄せている。亡くなったり、体力の問題で続けられなかったり。そこでその子世代が後を継いでいけばいいのだけれど、今の日本社会での小規模米農家の現状は厳しい。農家は基本、お米を収穫するとJAを通して国に買い取ってもらうのだが、その買取価格は毎年JA側から提示される額となる。今年は機械の修理もあって例年よりお金がかかったなとか、手間暇かけた分減農薬で作れたな、といった農家の事情や意気込みは加味してもらえないわけである。

提示される買取価格は市場で消費者が購入するお米代の約1/3~1/4ほど、苗代や肥料代、機械代などといったお米を作るときの諸々の経費を差し引いていくといくばくかも残らない。それに対してかかる膨大な作業量、人手、天候に左右される精神的なストレスまでをも加味すると、やってられるか、という気分になってもおかしくない。
すると私達のような子世代で、日々ただでさえ仕事で多忙な後継ぎたちは田んぼを手放していく。そうして手放された田んぼたちは休耕田となり、休耕田があらゆるところに点在しはじめると、まだ生きてる田んぼの世話をしている農家はさらに大変な目に遭う。雑草問題も出てくるし、採れ高重視で農業に参入した業者による大量の農薬散布に悩まされるケースもある。

体力的にも精神的にも、経済面でも厳しさは年々高まるけれど、先祖から引き継いだ田んぼがあるからには続けざるを得ない現実。
「不良資産」という響きも、いま父が抱えているジレンマも、なんと悲しいのだろうと思った。そこで生み出されたお米が、私達家族の血と肉となり日々の生活の原動力になってきたというのに。

不良資産と言いたくなるのは、経費と販売価格のアンバランスさという経済面が原因ではないのだと思う。
余剰米解消のため、数年前まで実施されていた減反政策。その一つとして家畜向けの「飼料米」として作付けすれば補助金が出るというものがあった。農家の持てる土地や労力への冒涜のような政策に、それでも申請せざるを得ないと父が渋い顔をしていたことがある。農家が田んぼ仕事を手放したり、農業へのモチベーションが上がらないのは、作っても喜んでもらえる感覚が得られないのも原因としてあるのだろうと感じた。

姉の会社でお米を買ってくれた方が、普段お米を食べない子どもがこのお米なら食べる、と数年前からずっとリピートしてくれることを父は繰り返し嬉しそうに話す。食べ手の悦びを知ると、作り手のモチベーションは俄然上がる。当たり前の構図が農業だって当てはまるのだ。

父の話を聞いて、我が子達の世代のためにも、体と心を育む食の根源を、その作り手を疲弊させたくないと強く思った。そのためにいま私が出来ることを考えたら、自分の周りで作り手の分かるものが欲しいと思っているひとと、父のお米を繋げることだった。結婚して実家を出て、都会に住むようになってつくづく感じるのは作り手の分かる食べ物を口にできる尊さ。それまで当たり前だったことが、都会で叶えるにはそれなりのエネルギーとお金がかかるのだと気付いた。近いようで遠い農家と消費者、幸いにも私は実家と都会に住む知人の間に居る。そこを繋げられたら、WinWinではないかと思い当たった。

そうして2年前の秋から実家の新米収穫時に、SNSを通じて私の知人に新米を販売するようになった。JAの買取価格より高く、でも市場価格よりは安く、作り手も食べ手も嬉しい価格に。¥3,000/10㎏の価格で販売したところ、1年目は私達家族の予想を遥かに超える300㎏を超える注文が入った。そして2年目の昨秋は、肥料高もあり1割ほど値上がりを余儀なくされたが、前年から楽しみにしてくれていたリピーターだけでなく新規の注文も入り、400㎏ほどを買い取ってもらった。その注文の多さに、父が一番驚いていた。
生まれたときからずっと食べ続けてきたから当たり前になっていたけれど、実家の田んぼで収穫されるお米は粒も大きく甘いらしい。食べた方からの嬉しい反応で、私自身も実家のお米の美味しさを再認識できたのは予想外の収穫だった。

「昨秋よりたくさんのお米を消費いただきありがとうございました。
 自宅消費が目的ですから多くは生産できませんが、正月前後から今年も田耕から米つくりが始まりました。
 天候と健康な体に恵まれれば、今年も納得できる米つくりができるでしょう。
 たくさんのお米ができ、秋の収穫時におすそ分けできれば幸いです。」

昨秋、父が注文いただいたお米に同梱した手紙。以前より多くの食べ手と繋がり、喜びの声が近くなって父の米作りへの意欲が上がってきたことが文面に滲み出ているようで、温かな気持ちになる。

美味しかった、という声が父のモチベーションとなり、健やかな体を育むお米を生み、そのお米を食べたひとの気持ちが豊かになる。そんな循環が、家族内だけでなくもっと広がればいいなと思う。

今秋も多くの方と実家の実りを共有できることを、願ってやみません。


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