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家族と離れ、沖縄に行ってきた

もう3週間ほど経ってしまったけれど、沖縄に行ってきた。

沖縄行きを決める数週間前、朝洗濯物を干しながらふと、なんでわたしっていつも誰かにお伺いを立ててばかりいるんだろうな、と思った。
進路や何かを始めるとき、ちょっと大きな買い物に至るまで周りに判断を委ねてばかりきた自分に気づいた。

結婚前は両親に、結婚してからは旦那さんに。
「○○してもいい?」「○○買ってもいい?」と、聞いて決めてきたなぁと。

自分の人生なのにね。自分で決めて自分の好きなようにしたらいいのに、人に判断を委ねるって想いと違ったときのストレスを抱えるだけでなく、決定に対する責任まで放棄してるんですよね。

止めよ、自分で決めて報告したらいい。そこでもし失敗したらその責任は自分で取ればいい。極めてシンプルだよね。

仕事で沖縄行くから週末以降延泊しようと思うんだよね、良かったら来る?そう姉に聞かれたとき、行く、そう決めて家族には「わたし沖縄行ってくるね」と、報告だけした。「行ってもいいかな?」ではなく。

どうでもいいことのようで、わたしの中ではひとつの変化だった。

家族はみんな、すんなりそうなんだ、いいね、いってらっしゃい、それだけ言ってくれた。
行っていいかな?そんな伺いを立てないと「ならない」と思いこんでたのはわたしだけだったようで。

家族から離れた旅は、誰かを急かしたり急かされたり、周りの気分や希望を伺ったりすることもなくすこぶる自由で気ままだった。

那覇の街はコロナ禍で潰れてしまったお店も多くて、そしてここでもやっぱりチャイナマネーの強さが分かりやすく目に入ってきた。
そして、沖縄はこのコロナ禍でレンタカーがかつての1/5程度まで減ってしまったそう。
レンタカーありきの宿が多い沖縄でレンタカー借りられないのは宿まで共倒れの刑を意味するだろうし、このレンタカー不足問題、これは沖縄好きとしては由々しき問題。どうかこれ以上沖縄の街が寂しくなりませんように、と願うばかり。

自分で決めて得た自由な時間は、結局ずっと家族を想ってた。
美しい景色を見たら家族にも見せたいなと思うし、美味しいものを食べたら家族にも食べさせたいなと思うし。

自由に動きたいなー、そんなことを思い続けてきた気がするけど、不自由な足枷は実は自らはめていただけだし、
こんなふうに美しいものや美味しいものを共有することに想いを馳せるひとがいる、と気付けたのが今回のいちばんの収穫かもしれません。

もっともっと自分で決めて、自らの道を進もう。

自分を信じて自分で決められるか、この思考や行動パターンって伝播する。逆も然り。
我が子には、自分で決めてその決断に責任を持てるひとになって欲しい。そのためにも、わたしから。

沖縄の海を前に、大事なことに気づけたような気がしています。




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