見出し画像

実家、自分の原点について

週末は、次男と娘と一緒に夏以来の実家帰省。

両親は久しぶりに次男と娘と一緒に食卓が囲めることが本当にうれしそうだった。

父が作った野菜を使って、母が作って待っていてくれた晩ごはん。昔から変わらない家のごはん、体に馴染む味。しみじみ美味しい。


昨年から、実家のお米をわたしの周りの方々にお譲りすることを始めた。今回は、今年も受け取ってくださる方々のお米の出荷作業を手伝いに。

蔵の中でお米を袋詰めしてゆく。面白みのない作業も、次男や娘が参加してくれたら一気に父の気持ちが華やぐのが分かる。我が子たちが、わたしが四十数年間かけても成し得ない、違うかたちの親孝行を両親にしてくれることを感じる。損得なしに、その存在がお互いの幸福感になる、理想的な人間関係だなと思う。親子はついつい要らぬ欲が出ちゃうから。


作業を手伝いながら、ふと目に入った、軒先に干された干し柿の美しさに見惚れて、思わずレンズを向けた。

ヘタに紐を括り等間隔に並べていく、作業をする母の姿が透けて見えるようで、その労力とお日さまの力で渋い柿が甘くなるんだから、なんて貴い食べものだろうと思った。

干し柿からふと目線を下に移したら置かれていた黒豆。それを見て、今年は黒豆がたくさん採れたんだ、と晩ごはんを食べながら父が話してた言葉を思い出す。

採れた豆は、乾燥させて鞘から出しさらに傷や潰れていないものを分別し、はじめて台所で調理できる段階になる。(買ってくる豆は、その分別まで終わってるものだからね。)
作業途中らしいボールに入った黒豆を見ていたら、祖母が黒豆を分別する作業を幼いわたしが手伝っていた様子が頭の中にぶわっとフラッシュバックしてきた。ふたりでそれぞれボールを持ち、黙々と豆を分別していく、わたしの分が終わると祖母がOKを出してくれて、新たな豆をザーッとボールに入れてもらう。祖母に、良し、て言ってもらうのが嬉しかったな、とあのときの心情をぼんやり思い出した。

物心ついてから祖母には反抗してばかりだったから、祖母を亡くしてからずっとその後悔の念に苛まれてきた。黒豆が入ったボールが、でも幼いころはそうして一緒に作業をしながら日常のコミュニケーションを取っていたんだなと思い出すきっかけになって、少し救われた気持ちになる。


作業をして、振り返って見える農機具やその他諸々が詰まった倉庫。
雑然と物が詰まった倉庫が、今回初めて愛おしいなと思った。

ずっと、田んぼや畑がある自分の家が嫌だった。
どこか泥くさい倉庫や家の周り、いつも何らかの作業に追われてる両親も、収穫した野菜を消費するために食卓は同じような食材に溢れ、自家製だからこそ食材を蔑ろに出来ない雰囲気も。

どこに対して、何を恥ずかしがってきたんだろう。
間違いなくそこがわたしの原点で、それらでわたしの身体は作られてきたというのに。

改めて見たら、使い込まれた道具やくたびれた作業着、畑から帰ってきた様子が見てとれる自転車、そんな諸々から両親の農作業と共にある日々が伝わってきて、この倉庫ったらなんて愛おしいのかと思ってる自分に少しびっくりした。自分の生まれ育った環境すべてを、ありのまま抱きしめたような気持ち。

街中で育ち、ときどき田舎の農家である祖父母の家に遊びに行く。そんな我が子たちもいつか、軒先の干し柿や農機具庫を見て心の何処かをくすぐられたり、癒されたりするのかな。

街中で澄ました顔して暮らしていても、わたしの原点はこの農作業の倉庫と、米を仕舞う蔵のある家なんだな、と思った今回の帰省。実家を出てもうすぐ20年、未だ実家からの帰り道は鼻の奥がツンとして、やり場の無い切なさを感じる。やっぱり、わたしにとって大事な場所なんだよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?