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散歩人の徒然

年末年始、実家や旅先、いつもと少し違う風景の中でたくさん散歩をしました。

久しぶりに生まれ育った町をあてどなく歩いていたら、葬儀場が新たにいくつか出来ていて驚いた。小ぶりの、このコロナ禍を機に流行り出した家族葬向けなんだろうなと思われる、田舎の公民館サイズの葬儀場。

2年ほど前に、リビングに置かれたテレビのB-CASカードを抜いて以来テレビをほぼ見なくなりましたが、年始に実家で子どもたちが見ているのを横からふと見たときも、葬儀場のCMがやたら増えているような印象を受けた。

数年前は、いまの家の周りでも、実家周りでも少し広い土地に何か新しくできたなと思ったら、老人向けの施設だった印象なのだけど。

何かが変わってきてるね。

このコロナ禍で社会への目線が変わってきて以来目にした情報で
大物政治家が葬儀場の株を買い占めてるなんて話を目にしてけれど、あの話もあながち・・なんて思ってしまうような街の、世間の様相。

小さな葬儀場が増えたのは、コロナ禍を理由にこれまでのように大々的なお葬式を執り行うわけにはいかなくなったからね、というのは何となく理由として浮かぶけど
昨年の超過死亡は5万人を超えたそうで、街中で救急車の走る音が鳴り響く頻度が明らかに高くなって、幸いにもわたし自身の身近なひとからの不幸は聞かないけれど、じわじわと何かが起こりだしているのを否応なしに感じる。

あんなに違和感があった常時マスクも、しているのが当たり前過ぎてしていないと不安を感じるひとまで出てきて(顔パンツて、なんだそれ)
お店の入り口のアルコール消毒も、飲食店でのまるで容疑者との面会としか思えないようなアクリル板を挟んだ会食も、徐々にそれが当たり前になっていて

ひとはこうして慣れて、慣らされていくのかなと、そこに慣れない自分の感覚を疑うべきなのかと思ってしまうほど。

小さな葬儀場が街中に増えて、そこがフル稼働し始めるのにもひとは慣れてしまうのかな。


散歩人の、悲しい妄想で終わることを願って止みません。





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