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お肉屋さんのコロッケ

先日、いつもの散歩が長引いて夕方遅くなってしまったので、帰り道にあったお肉屋さんで晩ごはん用のコロッケやミンチカツを買った。
優しい顔のおじさんが、衣をつけて油にコロッケを落としていく様子をぼんやりと眺めながら、ふと思い出したことがある。

7年ほど前まで、わたしはとあるIT企業の会社員だった。
3人の子どもの産休育休を繰り返しながら、通勤のために往復2時間満員電車に揺られ正社員として働いていた。

今となっては当たり前になったけれど、産休育休を取得して復職という女性がまだ少ない中、時短勤務や急な休みに嫌な顔ひとつせず応援してくれる上司や同僚の期待に応えたくて、日々必死だった。

その生活を選んだのはわたし、でも子どもが増えていくに従って生活に慣れると同時に背負うものも着実に増えて、わたしは日々窮々してた。
仕事もしたい、やるからには中途半端なことをしたくない、わたしの真面目過ぎる性格が自らの首を絞めていることにも気づかず、いつも何かに追われてた。

その当時、家のすぐ近所にお肉屋さんがあった。
残念ながら数年前に廃業されて今はないのだけど、お肉を売っている傍らで自家製コロッケやメンチカツを売っているようなお肉屋さんだった。

そのお肉屋さんのコロッケは仕事が立て込んでいるとき、遅くなって今日はもうごはん作るの無理、そうなったときの駆け込み寺のような存在。

駅から自転車を爆走させて保育所に子どもたちを迎えに行き、帰りが遅くなってごはんすら作る余裕がなくなっている現実にやるせなさを感じながら、そうして腹を立てている矛先は本来自分のはずなのに、どこか薄っすら子どもたちに対してイラついてる自分にさらに罪悪感を感じる悪循環を抱えながらお肉屋さんへ駆け込む。

お肉屋さんでその日の晩ごはんを買う、とてもシンプルな行動をするだけとは思えないカオスな精神状態。

コロッケやメンチカツといった揚げものをどこに怒っているのか分からない破れかぶれな気分でゲットして帰宅。
ごはんとお味噌汁、野菜スティックと買ってきた揚げものたち。必要十分な食卓のはずなのに、自分の仕事と私生活のアンバランスに対して感じるモヤモヤのせいで、そのラインナップに罪悪感すら感じてひとつも笑えない夕餉。

そんな母の気持ちを知ってか知らずか、大好きなお肉屋さんのコロッケやミンチカツに喜んで喰いつく子どもたち。
なんでよ、なんでわたしが作ったごはんよりそんなに喜んで食べるのよ、自身の気持ちと家族とのギャップの大きさにさらに凹むわたし。
そんな気分で食べるコロッケは味がしなくて、サクサクとした歯ごたえしか記憶にない。ただただ、早くその日の晩ごはんが終わって欲しかった。


不思議なもので、同じ時期でも休日に
「今晩はお肉屋さんでコロッケ買ってきて済まそうか」と子どもたちと手を繋いで買いに行ったコロッケは、美味しかった。
少し甘めに味付けられたジャガイモのコロッケ。お肉屋さんならではの、みっちり中身が詰まったミンチカツ。
今思い出しても、なんで廃業しちゃったんだろうな、惜しいなあと思う味だった。


味って、不思議だね。
そのときの気持ちや状況で、ずいぶんと変わっていく。

お肉屋さんのおじさんは、いつも同じ気持ちで、
きっと食べるひとの美味しい顔だけを願ってただただ日々同じものを作ってくれてるのに、ね。


仕事も家事も育児も、全部自分が抱えないといけないと思っていたあの頃のわたし。きっともっとお肉屋さんに食卓を委ねることを良しとしたら良かったんだよね。

そうしたら当時も、子どもたちともっと笑ってコロッケを頬張れただろうに。

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