“記憶の起源を辿る” 「ハイダ族についてのリサーチ」

人間だけが葬儀をし、埋葬文化をもち、墓をつく る。 科学技術が発達し、何もかもが便利になってきた現 代において、日本社会の生活水準は向上しつつある 一方で、人々は生活環境の変化なども相まって埋葬 文化や古くからの知恵や伝承が内包されている人の 営みは蔑ろにされがちである。その結果として私た ちは生きる上での豊かさや目的意識をを失いつつあ るように思う。私はこれまで母の死をきっかけに日 本を含めた世界の土地や文化に眠る埋葬文化につい てリサーチを行ってきた。そして、様々な国や民族 の「死との向き合い方」を調べる中で星野道夫氏の 本を通してハイダ族という存在に出会った。  彼ら独自のトーテムと呼ばれる彫刻 などに込め られた、コミュニティが大切にする ストーリー や、土地の関わりの中で立ち現れる 世界観、超自 然的な知覚などを通して行われる埋葬文化や死生観 は社会や経済、 文化、宗教などが何一つ分断され ずに一体として生き られる「全体性」を持ってい る。それは目に見える経済的な価値観ばかりが重要 視された結果として、人々は地球環境の危機的な状 況や社会格差などの様々な問題を抱えてしまってい る現代において環境教育として共有すべき今日的な 意義を内包している。 今回はハイダ族の歴史を通して営みや自然観と西洋 文化の考え方を相対 比較することで、 故人を見送るという文化の大切さ、私たちは次世代 に何を継承し ていくのかという問いを改めて意識化したい。

「ハイダ・グワイの歴史」
アラスカの南部は,カナダ西海岸のブリテイッ シュ・コロンビア(BC)州まで,細長く食い込 んだ 形になっている。俗にアラスカのパンハンド ル (フライパンの取っ手)と呼ばれる部分だ。そ のす ぐ南の太平洋上に浮かんでいる島々が,ハイ ダ・ グワイ(Haida Gwaii)である。ここに住む 先住民 族のことばで直訳すると「人々の島」。 2010年 になってカナダ政府は,ようやくここを先 住民の 正式名称である,ハイダ・グワイとするこ とに合 意した。それまではクィーン・シャーロッ ト島と 呼ばれていて,多くの地図にまだこの名称 が記さ れている。ここに住む先住民族ハイダ・ネーショ ンなど, 2013年現在ハイダ・グワイの人口およ そ4000人。 1万数千年前の氷河時代に,ベーリン グ海峡がユ ーラシア大陸とアメリカ大陸をつなぐ 陸橋だった 頃,アリューシャン方面からアラスカ 南部伝いに 下ってきた人々が住みついた。かれら は豊かな陸 と海の食糧に恵まれ,ここに永く独 自の文化をは ぐくんできた。大きなカヌーを操り 周辺の島々や 本土側と交易を行ない,ときに侵 略・略奪にも及 んだことから,俗に「北西太平 洋のヴァイキン グ」などと称されることもある。
かつてハイダ・グワイには数十の村があり,最 盛 期には2万人近くのハイダ人が暮らしていたとされ るが,今その面影はほんのわずか残されてい るに 過ぎない。18世紀末ごろには,ここから数十 キ ロ北,現在のアラスカ最南部プリンス・オブ・ ウェールズ島にも,1700人ほどのハイダ人が移住 していたと言われている。
こうした南北米大陸における1000万人とも2000 万人ともされる彼らが,ユーラシア大陸の西端か ら船に乗ってやってきた「白人」と遭遇するの は,ようやくつい最近,1492年のコロンブス以降 であ る。 ハイダ・グワイ地方においても,ベーリング海 峡 から南下してくるロシア人や,メキシコやカリ フォルニア方面から北上してくるメキシコ人など とハイダ人が出くわすのは,1700年代半ば,日 本 の江戸中期のこと。白人たちの主な目的は,

ビー バーやラッコなど動物の毛皮だった。しか し,白人たちが持ち込む病原菌に抵抗力が全くな かった ハイダ人は,それから100年間ほどでほと んど絶 滅の危機にまで追い込まれてしまう。 病原菌に加え,ハイダ人にとって痛かったのはキ リスト教の伝道師たちと,カナダ政府の干渉、「同化政策」である。伝道師たちの活動は,ハイ ダの族長たちの若者に対する影響力を弱める結果 にもなった。カナダ政府はハイダの重要な儀式な どを野蛮として禁じた。宣教師団はハイダの子供 たちを「正しい教育のため」として親元から強制 的に引き離し,彼らのミッション・スクールに入 れた。親たちの抗議は警察権力によって封じられ たというから,人権無視どころのさわぎではな い。白人によるハイダへのおせっかいな人権無視 は, 1880年代から1970年代まで続けられたので ある。
1862年,ビクトリアからハイダ・グワイに帰っ た 1人の若者が,天然痘に罹患していた。それま で にもすでに,結核や風邪,はしかなど,旧大陸 か らの病気免疫力がなかったハイダの人口減少は 進 んでいたが,翌63年に広がった天然痘の爆発的 流 行は恐るべきものだった。以後わずか10年間ほ ど のうちに,ハイダの人口は600人ほどまでに激 減 したという。白人たちとの接触以前には1万と も2 万人と称されることがある人口の,じつに9割以上 が一瞬のうちに消えたのである。これに似 た現象 は北隣のクリンギット,エスキモーや新大 陸各 地,南太平洋の島嶼地域で多くひき起こされ てい る。北西太平洋カナダの,ほぼ1万年以上に わ たって旧世界との交流が一切なかった,最もユ ニークとされるハイダ文明が,一夜のうちに危機 に瀕した各集落の人々は激しい人口減に耐えきれ ず,い くつかの集落に居を移しながら20世紀を迎 えた。しかしとくに19世紀末以降,人々の歴史を 伝 える,多くの廃村に残された建物や各種の柱な どは,多くが無人無主とされた廃村 から持ち出さ れた。十数メートルに達するポール はそのまま, あるいは気に入った部分だけ切り取 られ,勝手に 島の外へ運ばれてしまったのである。 それらは個 人的に所有されたり,カナダ・アメリ カ各地の博 物館に,遠くはロンドンの大英博物館 やオーストリアにまで分散した。残された廃村 や多くの記念 柱は,深い森と苔の中に埋もれ,彼ら祖先の身体 や霊とともに,徐々にハイダ・グワ イの土に還り つつある。  こうした激動の中で病原菌を乗り越えたハイダ は,第2次世界大戦の20世紀中ごろまでに,ハイ ダ・グワイで1500人,カナダ各地に2000人ほど と,ようやく人口の回復が見られるようになっ た。20世紀後半になり,少しずつ人口が回復して きたハイダ人によ る,言語や各部族伝統文化の保 存,建築・彫刻・ 装飾の技法などが,意図的に継 承・再現され始め 、ハイダのプライドが甦ってい る。
そして近年、この カナダ北西海岸部に位置する, ハイダの独特な生 活様式や芸術文化は,ようやく 世界中から高い評 価と尊敬を獲得しつつある。
「ハイダの自然と信仰」
「我われの文化や伝統は,陸と海に対する 我々の 尊敬であり,親しみの証しである。さな がら森の 木のように人々の根は絡み合い,いか なる困難に も負けることはない。我われはハイ ダ・グワイに 拠って立つ。この地に我々の祖先 は生き,死んで いった。我われもまた,いつの 日か彼らに呼ばれ るまで,ここに居を構え,暮 らす。そして今生き ている我われは,自分たちの 遺産を未来の子孫に 引き継ぐ責任を負っている」。
──ハイダ憲法序文から
ハイダの人々の暮らしは全く自然と一体であり, 何千年もの間,自然に溶け込んで暮らしてきた。 これはハイダ族の姉妹民族であるクリンギット族 にも共通すること なのだが,彼ら北米先住民達は 「すべてはひ とつ」に繋がっているという思想が あり、「生 命と土地の霊性と聖性を信頼し、人間 と環境が 一体である」と信じているという。
また、今の人類が言い出したエコロジーとい うの は,100パーセント,彼らのライフスタイル を表 すものにほかならない。自然の恵みを少しずついただき,必要以上に蓄えることはしない。

地 面を深く掘り返し,再利用不可能な始末にする こ とはない。土地の私的所有などということは考 え たこともなかった。人を自然界の頂点に置くと い う驕りもない。すべてを再生可能な形で土に返 し てゆく。必要最小限の消費で感謝しつつ生きて ゆ く。まさに自然がもたらしてくれる「利子」だ け の生活。「元」に手を付けることを絶対にしな い。 すべからく持続可能であり,再生可能な暮ら しぶ りなのである。  その他にも、ある文献において彼らは以下のよ うな言葉を繰り返していたと書かれている。 「私たちは土地の一部(We are part of the land)」、「私たちは水の一部(We are part of the water)」、「皆はつながりあい、1 つである(We are all connected, we are one)」 や「 他 者 へ の 敬意(respect for others)」、「土地への敬意 (respect for the land)」「未来世代のことを考え よ(Think of the future generation)」。
それは土 地、水、未来世代の人間、他者とのつな がりに 価値を認め、その価値に基づいた世界観を 繰り 返し再構築するもののように思える。自然の なかにあって彼らは他の動物や鳥たちを,人間と 同列に考えてきた。 あるいはおおいなる自然のなかで人間の方が彼ら の子孫だと考えてもきた。そもそも人間がこの世 にあらわれたのは,グラハム島北西の浜辺で,ワ タリガラスが蛤の貝の中から,人間たちを引っ張 り出して育てたからだとされている。ハイダ・グワ イにはワタリガラスとに関する神話がいくつも残 されており、ハイダの人々は,ワタリガラスかワシ の系列,どちらかに属している。この系列同士の 中における婚姻は許されない母系社会である。
以下は、1984年にハイダアーティストのビル・ レイドによって書かれた「ワタリガラスの物語」の 抜粋である
その当時、すべての世界は暗闇に覆われていた。
嵐の冬の真夜中よりも、どの場所よりも、何者より
も真っ暗であった。その暗闇の理由は、川の側に住
む一人の老人のせいであった。

彼は、家の中に幾十にも重なった箱を持ってい た。箱の中にさらに少し小さめの箱があり、また その箱の中にさらに小さな箱があり、数え切れな い程の箱がぎりぎりの大きさで重なっている状態 であった。そして、その箱の中の一番小さな最後 の箱の中に全世界のすべての“光”が入っていた。 この老人は自分の娘が醜いかそうでないかを知る ことを恐れて、光を隠していた。 ワタリガラスは いかにしてこの光を盗もうかと考えていた。しか し、この家には入口も出口も見えず、この親子が 外に出るときを見張っていても、いつもワタリガ ラスがいる反対の方向からしか出てこなかった。 彼にとって、家に入る方法がなかったのである。 そこでワタリガラスは考えた。「栂の葉になっ て、彼女の中に入ろう」と。川へいく彼女の後を つけ、川の水をかごにくみ上げるタイミングを見 計らって、栂の葉に変身して、うまく水と一緒に 彼女の中に入っていった。そして彼はあるやわら かい場所までたどり着き、今度は人間の子供に変 身をして、彼女が生んでくれるのを待った。しば らくして彼女は異変に気づいたがその老人には伝 えずにいた。
そしてある日、彼は人間のこどもの形をして生まれ てきた。 見た目は普通ではなかった。鼻はとがっ ていて全身に羽も生えていた。しかし、この老人は 彼を孫として認めざるを得なかった。そして彼は、 老人にあの箱を開けるように駄々をこねた。一つ開 けるとまたもう一つ開けてくれと何度も駄々をこね た。そしてついに老人が“光”が入っている最後の箱 を開けたとき、ワタリガラスはそれを掴んで家の外 に飛んで行って、世界に光をもたらした。と同時 に、娘の顔もくっきりと映し出され、たいへん綺麗 であることがわかった。 ワタリガラスが去るのを 見て、ワシ(Eagle)は、彼から“光”を盗もうとし た。 そのせいでワタリガラスは光のいくつかを落 としてしまった。それが、月(moon)と星 (star)になった。

ビル・レイド「ワタリガラスの物語」より

ハイダの集落にある主だった家々の前の建てら れ ている柱には,こうした部族の歴史がすべて刻 み 込まれている。彼らの彫刻柱の呼称には「トーテ ム」という表現があるものの、原始の精霊信仰,動 物を祭るアミニミズムとは異なり,系統と血統,権 利,歴史, 部族の紋章などがさまざまな様式で刻 まれた集落 の守護神でもある。 だからこのような柱を,単なる動物信仰の象徴であ るトーテムポールと呼ぶ のは正しくない,とハイ ダの文化は主張する。しかし、現在まで長い間使用 され続けた通称として、確立された表現となった。 先住民たちは英語表現としては単に「ポール」 (pole、「柱」) と呼ぶことが多い。  実在する生き物や神話上の生き物を象徴として用 いた,家族や氏族の持つ柱<ポール>の頭部は,自 分たちの身元証明となる自慢の所有物だった。ワシ 族の柱頭には,ワシ,ビーバー,サメなどが,他 方,カラス族の柱頭にはシロイワヤギ,シャチ,ハ イイログマ,虹などが,それぞれ芸術的に彫られま た彩色されている。これらの柱頭は単なる装飾では なく,家族の家系や富や立場,および氏族の享受し た特典,氏族に伝わる歌や言い伝えなどを表わした ものである。
「記憶を刻むトーテム」
海で亡くなったり,ハイダ・グワイ以外の地で 亡 くなり,身体が戻ってこない人を記念するポー ル (Memorial Pole)が あ る。本 来 な ら,ハ イ ダ の身体はハイダ・グワイの土に還らなくてはなら ない。柱の下部にはその家の紋章が刻まれ,トッ プにはワタリガラスかワシのどちらか。中間には 彼がつかさどったポトラッチの数だけリングが刻 まれる。ポトラッチというのは,地位の高い族長 などが催す大宴会のことだ。結婚式,葬儀,代替わ り,そのほかの大切な儀式には必ずポトラッチが開 催され,多くの人が招かれた。贈り物などの 施し も盛大に行われる。部族内における,一種の 富の 再配分という機能をもっていたとされるが, 偉大 な族長ほどこの回数が多い。こうした儀式さ え, 19世紀末には白人の政府により禁止命令が出 され た。

病原菌という想像もしなかった大災害のあと,白人 政府による強引な諸政策でハイダ・グワイの地から 出て行くことを余儀なくされたり,自由な土地の活 用を封じられ,それまでとは全く異なる生活様式を 強いられたハイダの人々の,プライドを込めた強い 思いが,先に紹介したハイダ憲法序文に如実に書か れている。
霊安追悼のための柱(Mortuary Pole)もある。 族 長など地位の高い人が亡くなると,死体はスギ 板 でつくられた箱に納められる。しばらく家に安 置 されたのち,この箱は集落前に立てられた霊安柱 の上部に収められることになっている。後継者 は 先代の死後&年以内にこのポールを立て,ポトラッ チを行わなくてはならない。 何家族もが一緒に生活していた大家屋,ロング ハ ウスの前面に立てられるのが Frontal Pole であ る。ワタリガラスかワシのメイン系統を象徴する 彫刻を冠として,部族の歴史を表す様々なサブシ ンボルの動物,人の姿かたちが,太い一本のスギ の上から下にまで重ねられ,雄渾に彫り込まれてい る。19世紀末以降,ハイダの地から持ち去られ た もののほとんどがこれである。 ロングハウス中央奥,チーフの座の背後を飾る 大 黒柱ともいうべき Interior Pole など,俗にト ーテ ムポールと一括される柱は一様ではなく,同 じも のは1つとしてない。 19世紀後半の病気の急襲は,こうした伝統の継 承 をほとんど不可能にしてしまったし,白人たち に よる差別や蔑視もまた,ハイダの誇りを奪うに 十 分だった。そして無人化した各集落からは,そ の 地に眠る人々の霊や部族の想い,伝統など一切 が 無視されたまま,これらのポールは引き抜かれ, あるいは主だった紋章部分が輪切りにされるなど して,家々に残された記念品や貴重な家具や道具 や装飾品共々,全く勝手に持ち去られてしまった のである。
グワイ・ハーナス国立公園内の世界遺産,スカ ン・グワイから持ち去られた最大のポールが,ロン ドンの大英博物館に据えられている。ハイダ・グワ イのスキッドゲート,あるいはマセットにあるハイ ダの博物館などへの,各集落から無断で持ち出され た柱や記念物の返還が広く呼びかけられ ている。


「魂の帰還」
このような各地に持ち去られた祖先の遺品や遺骨 を家族の元に返す運動を返還運動(リペイトリエ イション)と言う。  「リペイトリエイション」とは「帰還」を意味 する運動であり、前述したような19世紀から20世 紀にかけて、世界中の博物館が古代の遺跡や墓か ら、学問と遺産の保護という名のもとに様々な美 術品や人骨を収集していた先祖の埋葬品や骨を故 郷の地へと返還を望む、イヌイットやインディア ンの人々の願いが大きな流れとなり生まれた運動 である。
これらクイーンシャーロット島のポールなどの遺 産を巡っての西洋近代文明先住民との対立は目に見 える物の価値と目には見えぬ物の価値、両者の価値 観の対立を表す象徴的な出来事であるように思う。 近代文明は圧倒的な勢力の下、世界地図を単一の価 値観で染め抜こうとする動きを見せた。それは目に 見えるもの、つまり物質的なものに絶対的な価値観 を見出そうとする価値観である。クイーンシャー ロット島のトーテムポールを人類史上の貴重な資料 として経済的な価値観から美術品として保存しよう とする近代文明、しかしハイダ族の子孫たちは彼ら の神聖な場所を自然のサイクルに委ね、朽ち果てる ままにしたいと考える。
返還運動(リペイトリエイション)について、アラ スカで暮らし、大自然に生きる動物を撮影した写真 家である星野道夫氏の本に「長い旅の途上」の中に 編纂されている、「遺産」というエッセイの中で綴 られている。 その話の中で、二人のあるインディアンについて 語っている。一人目は、ある廃村に訪れた時に出 会ったインディアンについて。 その村は、かつて博物館が歴史的遺産の保護のため に、トーテムポールを持ち去ろうとしたとき、人々 は朽ち果ててゆくままにしたいと拒絶したのであっ た。そして、その時に、そのインディアンは、こう 語ったという。
「その土地に深く関わった霊的なものを、彼らは無 意味な場所にまで持ち去ってまでしてなぜ保管しようとするのか。私たちは、いつの日かトーテムポー ルが朽ち果て、森が押し寄せてきて、全てのものが 自然の中に消えてしまっていいと思っているのだ。 そしてそこはいつまでも聖なる場所になるのだ。な ぜそのことがわからないのか。」
「森と氷河と鯨」 星野道夫 より
会議の議論は、目に見える物の価値と目には見えぬ 物の価値、両者の価値観がぶつかり合いながら、 進んでいたという。 その中で、会議の議題は、古代という定義は何なの か、いつまでさかのぼるものか、という議論が続い ていた。 そうした議論が繰り広げられる中で、その議論の成 り行きを静観し、ずっと沈黙を守っていた、ある一 人のインディアンの古老が静かに口を開き、語り始 めたという。 「あなたたちは、なぜたましいの話をしない。そ れがとても不思議だ....」 その古老の言葉を受け、会場は水を打ったように静 まり返った。
星野道夫氏 「長い旅の途上」“遺産”より
“自然の中に消えてしまう”というのは近代文明側の 理解である“無に帰する”とは似て非なるものであ る。彼ら先住民族にとっては単に“形”がなくなり目 に見えなくなるということであり、魂としてはそこ に存在しているのである。この理解の相違こそ両者 の価値観の対立の本質であるように思う。 現代の科学技術が発展した便利な生活に慣れてし まっているである我々からすれば、こうした柱は, どのみち朽ちてしまうのだから,わざわざ返還する 必要はないと考えられるかもしれない。しかしハイ ダの人々は,柔らかなスギでつくられたいろいろな 柱が,やがて朽ち,苔に覆われ, ゆっくり土に 還ってゆくのを見つめながら,祖先の記憶を呼び覚 ましてきた。何千年もの間,こうしたことが繰り返 されてきたのである。西欧文明との遭遇以後も,か れらのスピリットの中にはこの習慣や伝統が生き続 けている。文字を持たない彼らの蓄積された記憶 は,このようにして口伝のみで命脈を保ってきた。

もちろん、西洋文明の考え方は一概に否定できな い。人類史上貴重な資料を後世に伝えるために保存 していくという考え方はとても重要である。事実、 私たちが歴史を学ぶことができているのはそのよう な営みのお陰であると言っていいだろう。 やはりここにあるのは価値観の違いのみであり、ど ちらの価値観が優るというような優劣をつけること はできない。 いわゆる西洋建築や墓などにも見られる“石の文 化”、そこには永遠に存在せしめるという意図があ る。つまり、形を永遠に残そうとするのだ。そこに は場所を含めての所有の概念が見て取れる。 それに引き換え、ハイダの木の文化、それはは朽ち ていくことを前提とする。形は無くなるが、その代 わりにそこを明け渡すという考え方であり、自分に 変わり、次世代がそこに存在することを良しとして いる。つまり、“所有”ではなく“共有”もしくは“譲渡” に近い概念がある。 ハイダ族の人々は現在、トーテムポールなどの文化 財を保護しないために人々の来訪を制限している。 ハイダ族の人々がこの聖地で保護しようとしている のは、物としての文化財ではなく、この土地に宿る 祖霊、すなわち祖先たちの魂なのだ。魂という目に 見えない世界の実在を守るためにはトーテムポール や建物などの目に見える文化財は、大自然の大きな 時間の流れの中で、腐り、朽ち果てて自然に還って ゆくままに任せなければならない。そうすることに よって、物や土地に宿った魂もまた、元いる場所に 還ることができる。 先住民の作ったトーテムポールが朽ち果てて、その 土地は自然に還り、新たな生命がそこに宿る。自分 たちが朽ち果ててゆくことによって、その場を新た な生命に譲り渡す。そうして森全体が循環してい く。
「自分自身のことでも、自分の世代のことでもな く、来るべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれて もいない大地からやってくる新しい生命に思いを馳 せる。」
アメリカ先住民の古老
この二つの価値観はどちらも必要なものであり、だ
からこそ先住民の社会における自然や魂の位置づ

けを西洋文明の価値観のみでで計ることは危険で ある。ただ全ての生きものに死があるように、形と しての存在が消えてゆく、という現象は〝生きてい る文化〟にとっても重要なことであるように思う。 フリーマン・ダイソンも言うように、〝死〟がある ことは、とても健全なことである。そのお蔭で、新 たな世代は生きる場所を得ることができ、種として の私たちは進化してゆけるのだから。
「おわりに」 ハイダ族において受け継がれている伝統技術や トーテムをつくる文化はいつでも、誰でもが繰り 返し、同じことができるものではないため、ヒト によって違い、時と場合によってやり方が違い、 同じ人だとしても出来たり出来なかったりするも のであり、永遠性や普遍性を持たない。もし、そ の時代の“今”を生きる人々が本当に必要としなけ れば、すぐにでも消えていく存在だった。それで も今なお、彼らの中に存在するこれらの無意識の 中の記憶は長い時を越えて循環を繰り返してい る。
大気はそれが育むあらゆる生命とその霊を共有し
ていることを忘れないで欲しい。
我々の祖父たちの最初の息を与えた風はまた彼の
最期の息を受け取る。
ーシアトルの酋長
人としての衣を脱ぎ去り、たとえ姿かたちが無く なろうとも、生まれた土地に吹く風に、踏みしめ る土に還せば、遠い先の未来にやがて新たに芽吹 く命の息吹となる。故人との別れを永遠と考えず 移ろいゆく時の中で互いの絆を深め続ける彼らの 存在は社会、経済、 文化、宗教などが分断されず に一体として生きられる「全体性」を内包してい る。  はるか昔の祖先の記憶と未来の命との記憶を今 を生きるものたちが紡ぎ続けること、それは現在 私たちが失いつつある「豊かさ」の再生のための 道標となる。


参考文献
旅をする木 (文春文庫) 著者 : 星野道夫
長い旅の途上 (文春文庫) 著者 : 星野道夫
ノーザンライツ (新潮文庫) 著者 : 星野道夫
イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する (新 潮文庫)
著者 : 星野道夫
魔法のことば (文春文庫) 著者 : 星野道夫
森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて (文春 文庫)
著者:星野 道夫
星野道夫の神話 未来を照らすそのスピリチュア リティ
著者:濁川 孝志
地球のささやき (角川ソフィア文庫) 著者:龍村 仁
魂の旅 地球交響曲第三番 (角川ソフィア文庫) 著者:龍村 仁
光の魂たち 植物編 人の霊性進化を見守る植物たち 著者:森井啓二
亡びゆく言語を話す最後の人々
K.デイヴィッド ハリソン (著), K.David Harrison (原 著), 川島 満重子 (翻訳)
これだけは見ておきたい世界のお墓199選 大型本 ローレン・ローズ (著), 立石弘道 (監修, 翻訳), 森田 由香 (翻訳)
世界のお墓文化紀行: 不思議な墓地・美しい霊園を めぐり、さまざまな民族の死生観をひも解く
長江 曜子 (監修)
世界のお墓 単行本 ネイチャー&サイエンス (著)
世界のお墓 単行本 ネイチャー&サイエンス (著)
文庫 死者を弔うということ: 世界の各地に葬送のか たちを訪ねる (草思社文庫)
サラ マレー (著), Sarah Murray (原著), 椰野 みさ と (翻訳)
世界の葬式 (新潮選書) 松涛 弘道 (著)

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