「優しさ」は時に恐ろしく醜い物に、しかし暖かく、強い。

一般的に優しいっていうのは、一見良いことだと思うんですが、
その優しさは一定に保つことっていうのは難しいんじゃないのかなって思い始めた。
たまに、ニュースで何か殺人事件が起こって、犯人の過去の様子を周りに聞かれたとき、「とても愛想が良くて、良い人だったのになんで…..」っていうのを見かけることがある。恐らく、一個人の主観だが、犯人は優しい人だったんじゃないかなって思う。愛想が良く、良い人だっていうのは事実だと思いたい。

例えば、自分が元気よく挨拶したが、相手は挨拶をしてくれなかったというケースがあったとする。自分だったらこうするのに、相手はそれをしなかった、っていう引き算で出たものがストレス、嫌悪感だったりが出てくるんじゃないのかなと思う。


それが積もり積もって、相手に対して犯行したりするような気がする。
実際に犯行した相手の気持ちなんか100%わかるわけはないのだが、
行動を起こした理由が何かしらある。

でも、優しさはあった方が良い。それで周りの雰囲気が良くなったり、
この人、「気が利くな」って思ってくれればプラスになる。ただ、その優しさを色んな人に伝染するには、中々の労力を使うかもしれないがそれに見合うぐらい「優しさ」には秋の風に乗った金木犀の香りのように優しく、暖かく、身体に馴染んでくるぐらい強い。

しかし、バランスが難しい…..
優しさについて少し今書いたけど、本当の優しさっていうのはどういうことなんだろう?何もかも許すってのが優しさなのか?それは甘えなのか?
どうなんだろう?

分からないけど、ただ、自分の行動で起こす優しさが醜い物に変化しないように気を付けたい。





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