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【わたしのダンス史】爪先に灯すこころの光を、彼方に。

わたしに欠かせないもの、それは「舞い」です。
今日は、舞いとわたしの人生について振り返りつつ、
これからの舞いの行方に舵をとっていこうと思います。

「踊るの楽しい!」と初めて肌で感じたのは、小学校高学年のときの運動会での創作ダンスだったような気がします。
秋風を肌に感じながら青空の下で音楽に合わせて踊ることで、「気持ちいい」と感じた瞬間がありました。

小学校のクラブでは、「神楽クラブ」に所属していたこともあります。
(女性は神楽は舞えないのですが、小学生ということでOKだったようです。最近は、女性も舞う地域があるようです。)

無意識に「舞うこと」を選び、楽しんでいた感じですね。

中学生のときは、Wink(女性2人のユニット)の「寂しい熱帯魚」という曲の踊りを完コピして、夏のキャンプで同級生と2人で披露しました。
リクエストされてもいないのに、アンコールっぽく2回踊った覚えがあります(笑)
あの時代、VHSを何度も巻き戻ししながら、窓ガラスを鏡にして練習してましたねぇ(笑)

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(今年の3月で、残念ながら閉校となった母校。
今も生徒の声が聞こえてきそうです。) 


社会人になるとしばらく舞いから離れていましたが、
言葉にならない苦しさや惑いをずっと抱えていた20代後半、探し求め辿り着いたのが「フラ」でした。
「宮崎 フラ」とか、きっとそんなキーワードで検索したのかな。
検索してすぐに、キラリと光るフラのHPが目に飛び込んできました。
それが、素敵な素敵なフラの先生との出会いでした。「わたしはここに来たかったんだな」って、あの時感じたのを覚えています。

その後、同じ先生の元、フラからタヒチアンダンスへ移ります。
ほぼ毎週日曜日はレッスンに通いました。あのレッスンの日々、一緒にレッスンを重ねてきた先生と仲間がこころの支えとなり、自分を保てていたのは間違いありません。

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(今はタヒチアンダンスのインストラクターとして活躍しているTちゃん、
サルサも踊る多彩なHちゃんとの思い出の一枚。ショーの前にドラセナや花を編みながらヘイポー作り、植物を感じる時間も好き。)

「ダンス以外にもいろんなものに触れるといいよ。すべてが表現に繋がっていくから」と先生からアドバイスをいただいた記憶があります。
アートに触れること、旅をすること、本を読むこと、ご飯を作ること、友だちと話すこと、愛すること、葛藤すること、ただただ自分の内側を感じること。いろんな経験が舞う表現に繋がっていくのだなあと。時間がたった今なら、その感覚がほんの少しわかります。

何かに慣れるまでいつも時間のかかるわたしは、本当にスモールステップで、少しずつ少しずつダンスができるようになってきました。音を楽しみながら踊れるようになったのも、この頃でした。高知県でのダンス合宿も、
楽しかったな。

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(野外イベントでの一枚。妹が撮ってくれました。小さいときからわたしの後ろ姿をずっと見てきた妹は、ここぞ!というわたしの瞬間をいつも気持ちよく撮ってくれます。左奥が、F先生。)

そして、ご縁はいろんな方面からやってくるもので、友人からの繋がりで、
「神社で舞いをしてくれる巫女さんを探しているけど、どうですか?」とお誘いをいただくのです。
わたしは、全くの未経験にもかかわらず、二つ返事で「やってみたいです!」と快諾しました。

そこから、
ある日はタヒチアンダンサーとしてショーに出演、
またある日は巫女として舞いの奉納、
という二足の草鞋的な舞いの時間を過ごしていました。

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(六月灯:旧薩摩藩領内の各地で行われる、無病息災・豊作を祈る夏祭り
での一枚。実は、正面から西日に照らされて、全身汗ダラダラで舞った思い出のお祭り)


いつだったか、沖縄の久高島を訪れたときに、偶然にも奄美舞創始者の
花柳鶴寿賀先生にお会いしたこと。
そして、巫女としてご奉仕してさせていただいている神社で、舞踏家の
浅野瑞穂先生にの舞いを間近で拝見できたこと。
神様からいただいたようなその出会いに感じたのは、佇まいだけでご自身のすべてを表現されているような美しさでした。あの美しさはどこから生まれてくるのだろう。


舞いを重ねるごとに、感じ始めていたのは、
「自由に舞ってみたい」
というこころの底の声でした。タヒチアンダンスでもなく、フラでもなく、巫女舞でもなく、わたしのこころを舞いで自由に表現してみたい。
そのこころの声をキャッチしてくれた友人がいました。
「わたしの笛に合わせて、自由に舞ってみて」と。

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時は流れ、
ある一点からしか見ることのできなかった自分の人生や環境を少し多角的に味わえるようになってきたんですね。
いつもどこかで誰かに支えられている。
いつも見守っていただいている。

今は、結婚して環境も変わり、以前のようにダンスと共に毎日を運ぶような流れではなくなってきました。
でも、舞いやダンスは続けたい。
その潜在的な想いが繋がったのかな。
今のわたしが体感したいのはこれだと思える舞いに出会いました。

それが、『観音舞』です。
観音舞とは、
「内なる響きを聴いて、
ご自身の呼吸だったり、
呼吸の器の身体、いのちの輪郭やその運びを感じていただく舞い」
と、創始者の柳元美香先生は語られています。

こころと体と意識と、すべてのタイミングが揃ったのかもしれません、
観音舞の分かち合いの場に参加できるご縁をいただきました。

今回、駆け足ででも自分のダンス史をいったん書き起こしておこうと思ったのは、観音舞を実際に体験する前に、区切りとして気持ちを整理しておきたかったからです。

ただただ舞うことが好きで続けてきたことが、形を変えながら、自分の源に近づいてきていることを感じます。
何かを手放すことで得られる喜び、一方で何か続けることで得られる喜び。きっとどちらも大切で、その選択に感謝と愛をもっていたいですね。もちろん舞いに関しては、タヒチアンダンスも巫女舞も自分のペースで続けていこうと思っています。


振り返ると、
わたしの舞いの原点は、生まれ育った田舎のお祭りです。
いつもは働くお父さんたちが、お祭りの日は神輿を担いで力強く村を練り歩き、
いつもは家で手仕事をするお母さんたちが、その日は明るくお化粧をして艶やかに盆踊り。
太鼓や摺鉦(すりがね)の音が村を包む中で子どもたちも踊る。

その日が大好きでした。


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(実家の梅の花。)

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