とろける時間

毎日いろんな「時間」を過ごしていると思うけれど「とろけるような時間」ってありますか? 年々私の中でとろけ度合いが、いよいよ増して来ているのが、ピアノの音、です。

画像1

トーン、と鍵盤から弾き出された一音ですら、時には、号泣足らしめることがあったり、ハッと我に立戻らせてくれたり。

そういうところは少し香りと似ています。

NHKのBS放送で
駅ピアノ 空港ピアノ 街角ピアノ
という番組があります。

この番組を、私はもう半端なく大好きで、ピアノの音へのとろけ度合い曲線がぐっと急になったのは、この番組に心を鷲掴みにされたからです。

どんなところが好きなのかというと、普通に空港や駅や街角を歩いていた人が、ピアノを見つけて、どさっと荷物を置き、さらっと弾き始める。

画像2

これはあくまでもイメージですが。

「このおっちゃん、こんなロマンチックな音楽を弾くんだー」とか、テロップにその人に背景が少しだけ出るのですが、ただの見ず知らずの通行人が、ピアノを奏でる。その途端に、その人の個性やヒストリーが、音の響きの中に立ち上ってくる。それがこう、、、なんともなんとも「らしい」のです。

中にはプロの方や、音楽を学んできた人もいますが、大半は音楽を本業としていない人たち。暮らしの中で、ピアノを弾くことを楽しんできた人たち。プロも顔負けの、人だかりができるほどの拍手喝采を浴びる素晴らしい演奏をされる方もいる。

テレビに向かって拍手する時こともしばしば。
一音が、その連なりが、生み出すウネリが、時にじわっと、時にスカッと、日本の私の日常世界が変わる! 身悶えするほどに、幸せを感じる。

音に、その人がいる。

人生って、本当にいろんなことがあって、映し出される人たちも喜怒哀楽、悲喜交々の人生の途中にある。味わっている感情、あまねくすべての経験は
エネルギーとなって身体に宿る。

鍵盤を弾くその力は、その人のエネルギーの一端。ゆえに、音の響きは、その人のエネルギーの響きであり、ただのパワーで弾いているのではない。と、私は思っている。

一曲弾き終わった時の、顔は、それぞれに美しい。

子どもだろうが老人だろうが関係なく、内なるエネルギーを放出して、音になったエネルギーをまた身体に響かせて、咀嚼したようなその顔が、好き。そして、また荷物を手に、人混みの中へと消えていく。

そこにピアノがあり、人が来て、弾いて、立ち去る。

ただただその繰り返しなのだけれど、また見てしまうのです、飽きもせず。


画像3

【text by REIKO from Japan】

佐藤礼子 山間地の昔ながらの暮らしが残る環境で高校までを過ごす。高校時代の愛読書は『留学ジャーナル』と『Hi-Fashion』。短大で村田しのぶと出会い、物心両面で彼女と彼女の家族に支えられる。「ここなら合うと思う」と村田が持ってきた会社案内で就職先を決める。そこで宮本ちか子と出会う。彼女はネパールへ。私も結婚・出産を経てフリーランスライターに。タマラと出会い、ライター業と兼務で創始者秘書に。タマラが縁でハワイ島で成田水奈と出会う。その後、宮本ちか子もタマラに参加。そして、約20年ぶりに村田しのぶと再会し、2018年「Beautiful planet」を立ち上げる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?