宝塚歌劇を応援するものとして、いま思うこと。

宝塚歌劇団の生徒さんがひとり、お亡くなりになり、そのことによって宝塚歌劇を応援する気持ちを揺さぶられている人たちがたくさんいると思います。
そんな人たちに向けて、今の気持ちを書いてみます。
ちなみに普段宝塚に興味なくてニュースだけ見て「宝塚終わったな~」とか言ってる野次馬的な人たちに聞かせることは何もありませんので、戻るボタンをどうぞ。

まず前提として、亡くなられた生徒さんのことは残念でなりません。
その原因だとしてご遺族の方が訴えられていることを嘘だとも本当だとも思っていません。ご遺族にとってはそれが真実であり、望まれる対応を劇団にはしてほしいと思います。
パワハラを否定するのか?と言われるかもしれませんが、わたしは本人ではないのでどう感じたのかはわからず、まったくの部外者であり、判断する立場にないので。

現在公表されている報告書は読みました。
あれを読む限り、「パワハラと断定される基準に達すると思われるできごと」がなかったという劇団のコメントはあの時点では正しいと考えています。
パワハラの認定には明確な基準があり、調査委員会の仕事はその基準に沿って判断することだからです。
よく、「本人が嫌だと感じたらハラスメントだ」とか言われてますけど、あれは正確ではなく、例えば業務上必要な範囲の指導であれば本人がどんなに嫌だと感じていてもハラスメント認定されません。(必要な範囲を超えたら別です)
(ってこないだ会社のハラスメント研修で習った。)
必要な範囲を超えているかどうかを判断するのはわたしでも世論でもありません。

ただ、亡くなった彼女(以下、「彼女」と記述します)は相当な辛さを感じていたのかもしれません。
それはパワハラだろうとパワハラではなかろうと、彼女自身の気持ちなので否定はできないし、そういった辛さの積み重ねで悲しい結果へと結びついたのかもしれません。
「パワハラの判定」と、「彼女の死の原因」はイコールではないのです。
そして、また、原因は一つとは限らず、さらに言うなら妙齢の女性がその身に起こった出来事をすべてご家族に話していたとも限らないと思います。
報告書にプライベートに関する部分に大きく黒塗り(公表不可)がありました。
それ以外にも何かあったかもしれません。

真実は彼女にしかわからず、それは永遠に明かされません。

彼女には妹さんがいます。
在団中です。
お子さんを二人も入団させる親御様が、宝塚歌劇を好ましく思っていなかったはずはないと思います。
その親御様の気持ちを思うと、人の親として本当に言葉にならない思いでいっぱいになります。

ただ、遺族側弁護人の「世論を味方につけて外的圧力で劇団を動かす」戦い方には、思うところがあります。
もちろんめちゃくちゃ効果的な戦い方だと思います。
わたしが遺族なら「なんでもいいのでやっちゃってください」って言うと思うので、そのやり方を否定するわけではないのです。ないのですが。

世間って本当に踊らされやすいですよね。
そして報道の無責任さに本当に腹が立ちます。

報道は人を殺します。
人の尊厳を殺します。
真実ではなくても活字になりテレビの電波に乗ったとたんに日本中でそれが真実だと信じる人を作り出すことができます。
だから、今、本当かどうかもわからない活字や放送をちょっと見ただけでそれが真実だと信じてしまう人が日本中で量産され続けている。
これが本当にいやだ。

昔、わたしの勤めている会社がセンセーショナルに報道されたことがあります。
そのときに、「テレビってなんていい加減なことを報道しているんだろう」とまざまざと知りました。
もっともらしく報道されていることを「違う!」と言えないもどかしさ。
まるでそれのほうが真実のようになっていく恐怖。

だから普段宝塚歌劇に興味がなくて、報道だけを見て何か言う人の言葉には耳を傾けるつもりはありません。

ファンの中にもいろいろな意見があるでしょう。
でも、目をそらせないなと思う事実としては、
わたしたちは以前から知っていたということです。
宝塚という世界の特殊さ。
勤務時間なんて概念のない、生徒本人の責任の重さとかける時間の多大さ。
前時代的なしきたりの数々、伝統という名の不可思議なシステム。
音楽学校の予科の抑圧された環境。
学年順、成績順、男役優位の絶対的な上下関係。

すべて知っていました。

知った上でエンタメとして宝塚歌劇を楽しんでいた。
もしかすると生徒たちが自らをすり減らしメンタルを傷つけながら必死に生み出していたかもしれない舞台を、その一部の異様さに蓋をして楽しんでいました。

その加害性。

ひとりの生徒さんが、もしかするとそのような劇団の体制によってメンタルを病み死を選んだのかもしれない、という事実は、ファンの心の中にも静かな波紋を呼んだと思います。
その体制に疑問を持ちながら、何も言わずに楽しんでいたわたしたちも、その加害者の1人ではないのか?と。

しかし同時に思うこと。
宝塚歌劇団に属する人たちは誰1人として、「舞台を楽しんで欲しくない」とは思っていないと思うのです。
その環境に疑問を感じることはあっても。
ファンの人たちに「この舞台を観ることをボイコットして私たちの置かれた環境にNOを突きつけてほしい」と思っている人は、おそらくいないと思います。たぶん。きっと。

なので、今このような状況の中でも必死に舞台に立ち続けるその姿を観に行くことに、罪悪感を覚える必要はないと思っています。
もちろん観に行きたくないと思う人は仕方ありません。
もしかすると退団者も今後多く出るかもしれません。
そのこと自体は劇団の今後の試練として当然起こることだと思います。

わたしがひとりのファンとして心を整理した結果いま思っていることは、
宝塚歌劇というエンターテイメントを楽しむことが、いま在団している生徒たちに対する加害であると感じる必要はないと思う、ということです。
劇団の体制に疑問を持つことと、
幕が開く舞台を楽しむことは、
相反する行動ではないと思うからです。


この記事を時間をかけて書いている間に、遺族側弁護人より証拠のLINEや火傷の写真が公開されました。
遺族側弁護人は本当に徹底的にメディアを利用する戦法なんだな、と感じました。

あと、数年前の火傷の報道の時から、週刊誌に情報を流しているのは誰なんだよ、とは正直ずっと思っています。

加害したとされているその生徒さんが本当に彼女を加害したのか?その事実が明らかになったとして、今のこの報道の状況では「日本中にその事実を説明しろ!」という世論でしょうけれど、その説明義務は本当にあるのでしょうか?
償うべきはご遺族にであり、日本中に加害者としてさらされる必要はないのではないでしょうか?
そして本当にわざとではなかったとして、それを説明したところで世論は信じるでしょうか?

日本中をこの状態にしたのは間違いなく週刊誌であり、遺族側弁護人であり、報道だと思います。
わたしはそこにも加害性を感じています。
何度でも言いますが、報道は人を殺します。

どうか、必要以上に生徒さんたちが傷つくことのないように。
報道を見ただけのまったくの無関係者に傷つけられることはないように。
祈ることしかできません。

一ファンにすぎないわたしにできることは、応援し続けることだけだと思うので。劇団の対応を注視しながら、幕が上がる舞台を観に行きたいと思います。
(とはいえB席の住人なので超微力ですが)

そしてこの記事に関してはもしコメントをいただいても反応を控えさせていただきます。賛否あるでしょうけれども、わたしの気持ちはわたしのものなので。

宝塚歌劇団を、自分の心が離れるまでは応援し続けます。
そして不健全な環境は、改善されるように願っています。
亡くなった彼女には、心よりお悔やみ申し上げます。魂の世界で安らかでありますように。
世論が少しでも早く静かになりますように。

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