言葉の力と創作者の尊重

  何から書いていこうと、書いては消し、書いては消しを繰り返している。
先日起こった悲しくて悔しい、そんなニュースを自分の中で噛み砕いて、自分の負の感情と向き合う、そんな数日間を過ごしている。

 あんな悲しいことが起きる前、ネット上が騒がしくなっていたこともあり、どうなるのだろうと酷く心配していた。
 
 また、言葉を生業としている人間が、他人に対して何とも不躾で、失礼な物言いをすることを躊躇いもなくやってしまう様子を見て、心底軽蔑していた。
なんて、意地の悪い言葉を書いているのだろうと思った。
そして、一緒になって同じような物言いをする人間もいて、それも嫌だなと感じていた。

 そのようなやり取りを、多くの人の目に入るネット上でやることに、彼らは何の恐ろしさも感じなかったのだろうか。
それもいい歳をした大人たちが、だ。
あまりのリテラシーの低さに目を覆いたくなった。

 私は、分野を問わず、何かしらの創作を行う人に対して、常々尊敬の念を抱いている。ゼロから作品を生み出し、それを形にしていくということは並大抵の人にはできないと思っているからだ。

きっと私と同じような気持ちを抱いている人は世の中にたくさんいると思う。
だから、あの失礼な物言いに対して怒りを感じていたのだし、声を上げていたのだと思う。

 他人に対しての気遣いや配慮もなく、自分たちのことしか考えない。
残念ながら、媒体問わず、メディアに携わる人間の中にはそういう人もいて、私たちが想像している以上に、現場においてクリエイターが尊重されない、リスペクトされない現実があるのだと知った。

 その一方で、過剰すぎたり偏った報道があったり、SNS上でも様々な情報が流れてきたりで、その渦に呑み込まれるような感覚があった。恐ろしくなった。

 数日前、あのニュースを耳にした時、涙が止まらなくなった。ショックだった。今でも、ふと涙が溢れてしまうことがある。怒り、悲しみ、感情に任せて色々な言葉を書きき殴りたくなる。
 でも、怒りに任せて書いてしまった言葉は元には戻らない。だから、静かに自分の中で消化していこうと頑張っている。

 言葉は使う人によって、形が変わる。
優しさにもなれば、凶器にだってなる。
言葉を扱う人間がそれを忘れてどうするのだろうか。
消したところで、なかったことにできるわけではないのに。
 
 どうか。全ての分野における創作者の方々が、きちんと尊重される世の中になりますように。
そう願ってやまない。


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