教員の働き方①

今回の記事は、私の経験を踏まえて、常日頃思っていた、個人的な考えを書いています。ご了承ください。

 文科省が立ち上げた「教師のバトンプロジェクト」というものがある。旧Twitterで、このハッシュタグがついたポストを何度も目にした。文科省の狙いとしては、教員不足が深刻化している現状打破のために、将来教員を目指す若者が増えるようにという期待を込めて立ち上げたプロジェクトだったと思う。
 しかし、実際には、現場で働いている教員の労働環境の実態に関する訴えが多かったと記憶している。
文科省の中の人たちはこういうことになると予測できていなかったのだろうか。

 私は若い頃、中学校教員だった。
しかし、ハードワークに耐えることができず、心身を壊し、退職せざるを得なかった。
元々教員を目指していたこともあり、採用試験に合格したときは、嬉しかったし、希望を抱いていた。しかし、その気持ちはいつまでも続くことはなかった。

 最初に着任したのは、大きな学校で、いわゆる生徒指導困難校だった。
当時の教員1年目は初任研を校内外で受けつつ、日々の授業やその他業務を行っていた。

ちなみに私は、初任研+週25時間の授業時数を担当していたと記憶している。
現場入って、1年目でこれ。
 もっと初任者に優しい現場だったら良かったのにね。管理職が本当にね…モゴモゴ。
(ちなみに、退職した際に必要な私の書類を紛失するほどの管理職だった。)
 
 部活動の副顧問もしていた。全く経験のない競技だったので、ルールも一生懸命勉強した。保護者の希望もあり、土日休みなく練習が組まれており、更に土曜日の夜は「懇親会」と称した部活動の保護者との飲み会が、隔週組まれていた。
休む暇なんてなかった。
 もちろん授業研究の時間も確保しなければならず、帰宅するのは連日深夜だった。

 教員1年目で右も左もわからず、ただ必死に山積する業務をこなしていた。
懇親会だって今思えば断ればよかったのだろうが、1年目の教員に断る勇気はなかった。

 数年間、その働き方を続けていたある日。いつも通り出勤の準備をしていたら、声が出なくなっていることに気づいた。
受診したところ、鬱病と診断された。
結局、心身が壊れてしまった私は、そのまま休職→退職せざるを得なかった。
無念だったし、悔しかった。
けれど、もう自分の身体が壊れているのもわかっていた。子どもたちは大好きだった、仕事も大好きだった。でも、限界だった。

 昨今、教員不足が叫ばれているが、私個人としては当然の結果だと思っている。
給与も数十年前に比べ引き下げられ、でもやらなければならない業務がとにかく多い。
休日手当なんて出ないのに、休日対応しなければならないことだってある。
部活動の顧問をしても相変わらずボランティア状態。(部活動については色々言いたいことあるので、後日書きます)

 教員だって一人の人間なので、その人の生活や人生がある。そこを削って、仕事を続けている人は多い。
現場の教員は「子どもたちのために」という一心で踏ん張っている。
その結果、心身を壊して退職や休職してしまった人を多く見てきた。

 がんばることを美徳とするのは構わない。
けれど、国や文科省は、あまりにも人の、現場で必死に働いている教員の善意に頼りすぎているのではないだろうか?

 先日、教員免許なしでも現場に立てるようになるのでは?という話を耳にして、ああ…来るとこまで来てるのだなと改めて感じた。
実際、私も現場復帰のお声がけは、ある。
けれど、もう現場を離れて長い期間が経過しているし、ヘルニア持ちなので現実的には無理だろう。
正直なところ、別の職種を経験してしまったら、もう戻りたくないと思ってしまったというのもある。

 教育現場だけではなく、社会全体で働き方改革については色々議論されている。
けれど、実際に労働環境が改善された例はどれくらいあるのだろうか。

国の偉い人たちには、机上の空論ではなく、もっと現場に目を向けてほしい。

次回に続く…かも?




 




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