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ヒンズー教と仏教の原風景Ⅷ

今回から数回にわたり、スリランカの仏教とヒンズー教を書いてみましょう。その第一回です。

●スリランカはおかしな国

スリランカはおかしな国です。なぜ、私は『おかしな』などというのか?というと、日本語、英語の說明共に、時間線を無視して十把一絡げに多民族国家とか多宗教国家と言っていることです。
まず、在スリランカ日本大使館のサイトに、

というページが有ります。何が書いてあるか、というと、

●スリランカを訪れる理由 - 人々

スリランカは多民族、多宗教、多文化社会であり、長年にわたる外国移民との交流の影響を受けています。しかし、すべては今日も存在する先住民、ヴェッダと呼ばれる狩猟採集民族が始まりでした。主な民族グループはシンハラ人とタミル人で、その両方は元々インド亜大陸からやってきました。古代、スリランカが貿易拠点となった時代に島に渡り定住したイスラム教徒もいます。同様に、マレー人と中国人もスリランカに魅了され定住しました。ポルトガル人とイギリス人はアフリカからKaffirsを、ヨーロッパの貿易商であったオランダ人はBurghersをもたらしました。その他のコミュニティでは、南インドからのChettiesなどもあり、その他多くの人種がスリランカに定住しました。

今回は說明しきれませんが、このシンハラ人って何者?シンハラ人はどこから来たか、スリランカ人に聞いてご覧なさい。北インドのどこか、とか答えて、インドの何州とか說明できませんから。

●スリランカを訪れる理由 - 多様性

スリランカは、真珠の形をした小さな国土に多様性を秘めた奇跡の島です。スリランカの多様性は実際、生活の様々な場面に及びます。まっすぐな海岸線からごつごつした岩の入り江まで、様々な形状をした荘厳なビーチに囲まれたこの島には、ラグーン、湿地、川そして様々な野生動物が暮らすジャングルなどの地理的特徴を含んだ海岸平野があります。霧と風を受けて変形した樹木の森に覆われた高原地帯は、山々がそびえ立つ中央山脈まで続き(スリランカには7種類の森林がある)、パタナスと呼ばれるなだらかな茶畑があります。また、丘陵地帯には、壮大な滝が随所に点在し、スリランカの国土面積の割には、おそらく他のどの国よりも多くの滝があります。

これ、全然インドとの地理的特徴とインド洋での位置を説明してません。

●知ったかぶりの民族、宗教構成

スリランカの国全体としては、仏教徒が多いシンハラ人が多数派です。ついで、ヒンドゥー教徒が多いタミル人、イスラム教徒のムスリム(民族分類上はスリランカ・ムーアという)。キリスト教徒に改宗したシンハラ人、タミル人、ヨーロッパ人との混血であるバーガー人などで構成されています。
仏教徒    ー 約70.0%
ヒンズー教徒 ー 約12.6%
イスラム教徒 ー 約 9.7%
キリスト教徒 ー 約 7.7%

他所の国の民族構成ってわからないですよね?知ったかぶりの民族、宗教構成だとこうなりますが、理解できないでしょうね?

●スリランカからもっとも近い国

スリランカからもっとも近い国はインドです。巨大な国です。日本と中国との関係に似ているのかもしれません。日本人が中国、その他のユーラシア大陸から移住してきて、縄文人、弥生人になり、現代日本人となったように、スリランカも似たようなもの?なのでしょうか?

日本人の場合、大陸からの移住は、1)満州・シベリアなどの北部ユーラシア大陸から、2)朝鮮半島を通って中部ユーラシア大陸から、3)沖縄などの島嶼部を伝って、南部中国から、というルートです。

●スリランカとインドの位置的特徴

じゃあ、スリランカの場合は?というと、まず、地図を見ましょう。

スリランカ インド

インドとスリランカを隔てているのは、ポーク海峡です。そのポーク海峡にアダムスブリッジ(Adam’s Bridge)という浅瀬があります。なぜ、ブリッジというか?それは太古の昔、海面が今より低かった頃、実際に陸橋だったからです。石灰岩でできた砂州と浅瀬の連なりです。ラーマズ・ブリッジ (Rama’s Bridge) とも言われます。

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長さ48kmで、北のポーク海峡と南のマンナール湾を隔てています。103のサンゴ礁と7つの小島からなり、それらが橋脚のように点在します。
水深は1~10m。こんな深さじゃ大型船でアダムスブリッジを横断できません。
このポーク海峡とアダムスブリッジ、スリランカとインドを隔てているだけじゃありません。海の道では、インドも東と西に隔てられています
ベンガル湾よりのインド東海岸と、アラビア海よりのインド西海岸が、ポーク海峡とアダムズブリッジによって分断されています。

インドの東西海岸を海の道で行き来するには、ポーク海峡とアダムスブリッジ、スリランカ本島が邪魔していて、わざわざあの中国の99年租借で有名になったハンバントタまで南下して、波荒いインド洋に出て再度北上するしかありません。だから、現在でも西から東に行くコンテナ船は、スリランカのコロンボ港で一旦荷降ろしをして、再度インド東海岸に別の船で輸送してます。

●スリランカの民族、宗教の時間線での伝播

宗教の時間線での伝播で言うと、
①紀元前五世紀以前のバラモン教、
②仏教の成立は紀元前五世紀以降、
③現代のヒンズー教に近い宗教の成立は仏教の影響を受けた紀元前二世紀以降。
④イスラム教は西暦622年にモハメッドが建設したイスラーム国家から。
⑤キリスト教の成立は紀元後だが、実際は1505年から1658年まで存在したポルトガルの植民地のポルトガル領セイロンの時代から。

この順番になります。
①と②のバラモン教と仏教の成立の伝播の時間的なギャップは数百年
②と③の仏教とヒンズー教の伝播の時間的なギャップは約ニ百年
③と④のヒンズー教とイスラム教の伝播の時間的なギャップは約八百年
④と⑤のイスラム教とキリスト教の伝播の時間的なギャップは約九百年

この時間線のギャップを無視して、十把一絡げに多民族国家とか多宗教国家だなんて言えませんよね?時期の異なる民族の移動と宗教の伝播なのですから。そこには深い歴史的要因があります。

「ヒンズー教と仏教の原風景Ⅸ」に続く



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