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A piece of rum raisin オリジナル、下書き

noteでは、換骨奪胎して、ほとんど書き直しの話の下書き。「A piece of rum raisin オリジナル」の第13話ぐらいに出る話。キモは、当時の連邦捜査局長官、ウィリアム・ウェブスターのFBIの公式報告書と島津洋子の娘の話だ。お話は、半分ウソで半分本当。そうでなければ、書けないじゃないか?下書きなので。もったいないので、掲載しておきます。

第 1X 話 第二ユニバース:洋子(3)
1986年7月2日(水)

そうだ、ダイアン・レインなんだ。この魅力的な女性、30代後半から失速して、30代後半から再び上昇という人だから、知らない人が多い、とくに若い人は知らないだろう。
この素敵な女性に似ていたのが、私の人生を変えてしまった美佐子という女なんだ。いや、3分の1くらいかな?ダイアン・レインとは大幅に違って、美佐子は悪魔のような女だった。私が海外に逃げ出して、もう日本には帰らない、と思った遠因を作ったのも彼女であるし、私の最愛の女性を・・・いや、そこまで彼女のせいにしてはいけないが・・・
1986年、私が海外に出て1年経って、突然、美佐子の姉の洋子がシンガポールで会いましょうと言ってきたことがある。その頃、私はスリランカ勤務だったのだが、なにかと理由をつけて、シンガポールに有給休暇を取ってでかけた。
あの頃のシンガポールは、発展の端緒の頃で、高層ビルだってそれほどなかった。会社がラッフルズシティーの工事をやったので、私は洋子のためにウェスティンを予約した。あの頃は不況だったから驚くほど宿泊費が安かったのを覚えている。彼女はモンペリエからやってきた。わざわざ私に会うために。
1986年のシンガポールは、ラッフルズシティーにはメインビル、ウェスティンスタンフォードとウェスティンプラザのホテルが2つあるだけで、正面は広大なサッカー場になっていた。今は名前が変わって『スイソテル・ザ・スタンフォード』になっているようだ。
サッカー場とホテルの間に、野外のホッカーセンターがあって、サテイ(マレー風焼き鳥)屋などがあった。シンガポールは不況の真っ最中で、1シンガポールドルが確か100円だったが、ホテルはスイートでも2万円で泊まれたと思う。会社の割引で、それも1万5千円になった。だから、スイート2つ(でも、もうひとつは使わなかったな)でも3万円。安いものだった。いまは普通のツインの部屋ですら1泊5~10万円だ。
86年の年末になれば、アイーシャに出会うんだが、まだ7月だから知っている人間は誰もいなかった。
88年に行った新婚旅行では、オーストラリアからの帰りにシンガポールに寄って、同じくウェスティンスタンフォードに泊まった。妻に言うと怒るだろうから、2年前に泊まった話はしなかった。シンガポールは10年近くも住んで居たので、香港よりも思いで深い。
何の話だっけ?そうそう、あのとき、最後に洋子と別れてから、2年経っていただろうか?
洋子は、40代前半だったが、初めてあった1978年の頃とまったく変わらなかった。彼女は時間から忘れ去られていたのだろう。
絵美が殺されてからもあと、洋子は何度も電話をかけてきて、私をなぐさめてくれた。しかし、それは戦友としての彼女であって、私たちがどうにかなる、という話でもない。
私は、ウェスティンの1階のバーで彼女を待っていた。
「明彦、待ったかな?」と、洋子が私の肩を後ろから叩いて言った。不意打ちだ。
私が振り向くと、日本で会っていたときと全く変わらない洋子がいた。リネンの上下、白のオックスフォードシャツ、青筋の入ったストローハットを目深にかぶっている。「明彦、変わらないじゃない?」と、洋子が言う。私は、なにを言っていいのかわからなかったので、洋子を抱きしめた。
「おいおい、時間差も何も無視して抱きしめるんだ?明彦は?」と、私に抱かれながら肩ごしに洋子は言った。
「え?」
「バカね。普通は、2年も会っていない女を何も言わず抱きしめるなんてしないわよ?」
「あ、ゴメン」と、洋子を離す。
「明彦らしいわね。でも、大丈夫、私は私のままよ。昔と同じだわ。さ、行こうか?」彼女は私の両肘をつかんで、私の顔をしげしげと見つめた。
「洋子、どこに行くの?」
「決まっているじゃない?上よ。私、こういうごみごみした場所は苦手なの。さ、私の部屋に行こう?シンガポールの景色を堪能して、シンガポールスリングを頼んで、シュリンプカクテルを食べるのよ、昔みたいに」
昔と同じだ。サッサと私に腕を絡めて、引っ張っていく。
「洋子、ちょっとお待ち」
「え?何?」
「昔とちょっと違うんだ。私も多少は大人になったんだから、洋子のペースじゃなくて、私のペースでもやらせてくださいよ」
「あら?」
「冬瓜のスープなどいかがかな?オーチャードに予約してあるんだ。個室だよ」
「あら、そう?なら、任せる」
「アハハ、よかった。じゃあ、行こう。でも、その前に?」
「その前に?」
「もう一回、抱きしめていい?持ち上げて、振り回していいかな?」
「バカみたい」
「いいじゃないか?洋子。久しぶりなんだから。フランスからわざわざ来てくれたんだから。私はうれしいんだよ」
「じゃあ、やってよ」
私は、彼女を抱き上げて、グルグルと振り回した。周囲のみんなが驚いてみていた。私たちはタクシーを拾って、オーチャードのレイ・ガーデンに行った。個室だから、洋子とじっくり話ができる。
「ねえねえ、私の部屋、いいロケーションを取ってくれたじゃない?サッカー場が丸見えよ。明彦はどこに泊まっているの?」
「ん?」と、私は冬瓜スープが熱くてちょっとむせた。「熱い!おお、熱かった」
「バカねえ、あせって食べるからよ」
「おいしいんですけどねえ、冬瓜の実が豆腐みたいで、表面が冷めていても、中が熱いんですよ。え~っと?私の泊まっているところ?」
「そうよ。どこなの?」
「洋子の隣」
「え?」
「洋子の隣の部屋ですよ」
「まあ!何も別の部屋にしなくてもよかったのに?」
「洋子、さっきラッフルズシティーで『2年も会っていない女を突然何も言わず抱きしめるのはバカだ!』って言いませんでしたっけ?抱きしめるだけでバカなら、『2年も会っていない女に何も断らないで同じ部屋をとる』というのは、そのバカの上をいくんじゃないですか?」
「あら?それはそうね。うれしかったけどね、そのバカに抱きしめられて」
「まったく、会った早々からバカだなんだと・・・」
「その部屋要らないでしょ?私の部屋に移ってらっしゃい」
「いやですよ、洋子、どうせ進歩していないだろうから部屋がグチャグチャになる。いや、あのね、続き部屋でしょ?だから、間に隣室につながるドアがあるじゃないですか?そこをお互いロックを外すとつなぎ部屋になるんですよ」
「なぁ~んだ。じゃあ、ベッドを2つ使ってエッチができるじゃない?」
「あ!2年も会っていない男に向かって、突然了承も得ないで、ベッドを2つ使ってエッチができる!なんて言う女もバカじゃないの?洋子?」
「あら?してくれないの?」
「もちろん、するに決まっているじゃないですか?」
「ああ、安心した。私は2年間修道院生活同様だったんですからね」
「え?向こうではなにもせず?」
「明彦みたいに私の体を熟知している男が世界中でどこにいるというの?しょうがないから、自分で自分を慰めていたわよ」
「また、刺激の強いことを」
「後で、部屋で見せてあげるわね、フフフ・・・」
「フフフって、大学の助教授ともあろう40代前半の淑女が、そんな刺激の強いことを中華レストランの中で普通言いますか?」
「こういう話、世界中で明彦にしかできないでしょ?」
「う~ん、光栄というか、なんというか。じゃ、後でじっくり拝見いたします」
「バカ!恥ずかしいじゃない?」
「自分で言っておいて・・・」
私たちは冬瓜スープの残りに取りかかった。
「もう熱くない?」
「大丈夫ですよ」
「あら、おいしい」
「フランスで冬瓜スープなんて飲めないでしょ?」
「そうよね。毎日フランス料理というのも飽きちゃうわよ」
「この後、まだまだ魚とホタテ、北京ダック、エビ餃子、シュウマイといろいろ頼んでおきましたから。洋子、食いしん坊だから」
「あなた、私に贅肉つけて、フランスに帰すおつもり?」
「余剰なカロリーは、夜運動すれば燃焼できるでしょ?」
「まあ、エッチねえ・・・」
私たちは、彼女の大学の話、私の会社の話などをした。
「明彦、ねえねえ?」
「何ですか?」
「昔、明彦は、外国語なんて習いたくもない、英語は、中学高校大学とすべて赤点でした、と言っていたじゃない?」
「そうでしたっけ?」
「そう言った!覚えている!それなのに、なにさ、今は海外赴任で、英語を使っているじゃない?」
「しょうがないんですよ。会社から赴任の打診があったし、これ幸いと日本から逃げ出すチャンスだった」
「ああ、そうねえ、あの女か。美佐子か。私、あのとき美佐子を殺してやろうと思ったわ」
「おいおい」
「まったく、私が悪いんだわ」
「そうじゃない。なるようにしかならなかっただけですよ」
「そう言ってもらえると、多少は良心の呵責もなごむわね」
「忘れましょう、あの女のことは」
「まったく、私の妹なのに、どうして・・・」
「彼女は彼女で傷ついていたし、それを隠して、いろいろと、ね?さ、忘れる、忘れる」
「いいわ、忘れましょう、あのとき起こったことは。それよりね?」
「ハイハイ?」
「今は明彦、海外赴任だし、外国語だって大丈夫なんだから、こうなったら、私と一緒にモンペリエに行って、私に養われるなんてどうなのよ?」
「また、昔の話に戻りますね?」
「なぁ~んてさ、あの頃の妄想をまだ引きずっているわけ。冗談よ」
「なんだ?私は、じゃあ、明日にでも辞表を書いて、荷物まとめて、フランス便を予約しようかな?と思ったのに・・・」
「え?ホント?」
「冗談ですよ、冗談」
「こら!そういう期待をさせるようなことを冗談で言うな!」
「ハイ、先生!」
「まあ、私たちは、こうして、たまぁ~に、世界のどこかで会うのが運命なのね。だけど、そのうち、明彦だって結婚してしまうでしょうしねえ。チクショウ!」
「お嬢様、いまだに汚い罵り言葉をたまにはかれるんですね?でも、私が結婚したら、もう会えないんですか?」
「明彦の幸福を壊したくないから」
「殊勝なことを」
「さ、次はなにかなあ?」
私たちは食事を終えて、腕を組みながら、しばらくオーチャードをブラブラした。「もう、世界中でなんでもかんでも森羅万象を語れる女性って、私には洋子しかいなくなっちゃったんですね」
「絵美さんのことを忘れられないのね?明彦は?」
「洋子に絵美のようなことが起きたとしたら、洋子は私に忘れて欲しいですか?」
「そうね。私は忘れて欲しくないわ」
「そうでしょ?でも、今は生身の生きている洋子しかいない」
「そう、私は生きているからね」
「さ、ホテルに戻って、その生きている洋子を確認させて欲しいですね?」
「まだ、こんなに陽光燦々なのに?」
「カーテンを閉めれば部屋は暗くなる。それとも、欲しくない?または、夜になるまで待つの?」
「バカね、早くタクシーを拾ってちょうだい」
「目の前がタクシーステーション」
「あら?」
「さ、乗った、乗った」と、私たちはタクシーに乗り込んだ。「ウェスティンスタンフォードまで頼みます」とドライバーに言う。洋子は、私の手を握って、自分の腿にあてさせた。ちょっと汗ばんでいる。
「ねえ、クリュッグ飲むの?」
「デューティーフリーで買ってあります。2本。バランタインの30年も」
「まあ、私も買ってきたのよ、2本。バランタインの30年も1本」
「考えていることは同じか。これで4本と2本。酔っぱらってしまいますよ」
「ダメよ、酔っぱらう前にやることをちゃんとしてくれないと」
「ちゃんと私がしないと、洋子が強引にしちゃうでしょうに?」
「アハハ、そうね」
「まず、アイスバケットを注文して、部屋にこもるんですから、おつまみも頼みましょう」
「まったく、私たち、こんな南国まで来て、昼間からやることは日本にいたときと同じね」
「観光するよりもそっちの方が楽しいでしょ?」
「もちろん。早く部屋に行きたいわ」
ホテルについて、私たちは部屋にあがった。もちろん、グチャグチャにすでになっている洋子の部屋の方だ。
「洋子、まだシンガポールに来て、チェックインして、数時間しか経っていないでしょ?この部屋にいたのは数十分でしょ?」
「そうよ」
「それで、すでにこの状態?スーツケースは開けっ放し。下着は脱ぎっぱなし。あれ?うわぁ~、洋子、フランスにいるからって、こんな刺激的なランジェリーを着ているの?」と、私は生地がとてもとても薄くて、着ていても裸同然というパープルのブラとGストリング、ガーターとストッキングを手に持って、ヒラヒラさせた。
「なによ?明彦が喜ぶと思って、わざわざビクトリアズシークレットで買ったのよ・・・」
「刺激が強すぎますよ」
「大丈夫よ、今は。白のリネンの服だから透けて見えちゃうでしょ?だから、白のおとなしい方の下着を着ているのだから・・・」
「なにが大丈夫なんだかなあ・・・それで、床にスカートは放り出してあって、シャツはソファーに引っかかっていて、帽子は、って、こんなマイフェアレディーみたいな帽子をフランスからかぶってきたの?」
「そうよ」
「飛行機の中でも?」
「まさか。その帽子じゃあ、隣の席の人間が怒るわよ。ケースにしまって、ラゲッジに預けたわよ」
「でも、チャンギからはかぶってきた?」
「陽光燦々ですもの」
「いつもながら、目立つ人だ」
「それを気にする私ですか?」
「ハイ、気になされませんね。まあ、いいや。ジャケットはどこに放り出したの?どこ?」と、私はジャケットを探し回った。それは、テーブルの下に落ちていた。私は散乱した衣類をまとめて、ドレッサーに吊した。ベッドの上にでんと置かれているスーツケースをしまう。
「こら、洋子!私が片付けているのに、また、服を脱いで放り出さないで下さいよ」
「だって、邪魔でしょ?服は?」
「ルームサービスが入ってきたら?」
「誘惑しようかなあ?・・・バスルームにバスローブがあるわ。下着は脱がないわよ。明彦の楽しみに着たまま、ね?」
「ね?って、ほら、ジャケットとシャツとトローザーズを渡して!吊すから!・・・あ!」
「あ!って、何よ?」
「洋子、色が白なだけで、この裸同然の下着と同じデザインじゃないですか?」
「フフフ、興奮するでしょ?」
「まったく、バスローブを持ってきますよ」化粧品も散乱していたので、それらをまとめて、バスルームに持って行く・・・?
「洋子!このバスルーム、どうなっているの?」
「あ、それ?シャワーカーテンしめないでシャワーを浴びるとそうなるのよ」
「なぜ、シャワーカーテンをしないの?」
「体に張り付くことがあるから嫌いなの。バスローブをちょうだいな。掃除してないで、早くルームサービスに電話して、しましょうよ、あれを」私は洋子にバスローブを着せる。ドレッサーにあったスリッパをはかせた。バスローブの合わせ目から白のガーターストッキングが見える。これじゃあ、ルームサービスが来たら発情してしまうなあ、やれやれ。
「あのですね、掃除しなかったらベッドが使えなかったでしょ?」
「明彦のベッドを使えばいいじゃない?」
「じゃあ、このまま、チェックアウトまでこの状態にしておくの?」
「いいじゃない?文句言わないの。綺麗になったわねえ。やっぱり、明彦が居るといいなあ・・・」
「やれやれ、洋子、その格好!ルームサービスが来たら発情してしまうでしょうに?ストッキング、脱がないと・・・」
「あら?ダメ?ダメなの?じゃ、脱がしてよ」
「自分で脱がないんですか?」
「せっかく、明彦に脱がしてもらおうと思ったのに・・・」
「ルームサービスどころか、私が発情してしまうでしょ?まったく、もお・・・ほら、ベッドに座って!脚を出して!」洋子はベッドに座ると、左脚を出した。私はひざまずいて、ガーターの留め具を外して、クルクル巻いて脱がす。「ハイ、右脚」と、こちらも脱がした。洋子が私の髪を触っている。
「まったく、洋子、会ってうれしくって、わざと駄々をこねるのは私もうれしいんだけど?会ったかいがありますから・・・」と、私はひざまずいて顔を伏せたまま言った。
「なんだ、知っていたの?」
「計画的に散らかしたでしょ?わざと、そこいら中に脱いだ服を散らしておいて。何も片付けないで、私がこうするのを期待したんでしょ?」
「キミが私の考えを読めるのを忘れていたわ。でも、だって、明彦、私、寂しかったのよ」洋子は私の髪の毛をグジャグジャにかきむしる。
「私も同じですよ。会いたかった」
洋子は、私の顔を両手で挟んで、キスをしてきた。「でも、洋子?」「なあに?」「このままキスして、始めちゃったら、ルームサービスに注文できないでしょ?」「それは、後でいいじゃない?ね、今、ちょうだい」「やれやれ・・・」

ティファニーは洋子が好きなブランドだった。もちろん、彼女がいつも買うのはティファニーの金であって、銀ではない。だけど、ロケットは銀を買いたいという。まだ開店早々のティファニーには客がいなかった。まず、洋子は、ロケットの在庫をすべて出させて、一つ一つ吟味した。それで、何の変哲もないハート型のロケットを選んだ。それから、スリークォーターの銀のコイン(コインはクルクルと回り、表裏がひっくり返る)のネックレスも選ぶ。
「じゃあ、この二つをいただくわ」と、洋子が言うので、
「待った。これは私に払わせて」と、私が言った。
「私が買うのよ」
「ダメ。私の写真と名前を入れるなら、私が払う」と、私は強情に言い張った。
「しょうがないなあ。じゃあ、プレゼントして」と、彼女は恨めしそうに言う。
ロケットとチェーンは包んでもらった。コインは、刻印を入れてもらわなければならない。「7月5日の便でフランスに発つの。いつできるかしら?今日の午後ではダメ?」と、洋子は店員に訊く。店員は、「急がせます。本日の5時でよろしいでしょうか?」と言う。「結構だわ。申し分なし。ね?明彦?ちょうどいいわ」と、彼女は言った。
洋子が店を出ようとするので、「洋子、まだ見るんだろ?」と訊く。「あら、ショッピングは終わった・・・」
「ウソつきだねえ。普段、金しか買わないじゃないか?どうせ、私が払うと言うと思ったから、安い銀を選んだんだよね。金額じゃないけど、洋子がそう考えているな、と思ったから、あれを払った。それに、金よりも銀の方が、ロケットやコインは素敵だ。でも、ティファニーの金は買わないの?買いたいんだろう?」
「まあ、また人の心を読んだわね。その通りよ。わかったわ。降参」と彼女は言って、店員に「ゴールドの指輪をみせてちょうだい」と言った。
それで、また、店員は金の指輪を総動員して、洋子の前に並べた。「明彦、どれがいいと思う?」と、洋子が訊く。「え~っとね・・・ふ~む、これかな?」と、私は編み上げた鎖が細かい層をなして鎖帷子のようなティファニーサマセットを選んだ。「あら、これユニークで素敵!」「そうでしょ?」「これにしようかなっと・・・」と、彼女は指輪をはめて店員に見せながら言った。「これはサマセットシリーズです。よくお似合いですよ。お若い方にはピッタリです」と、店員が言った。
「明彦ぉ~、若い人にはピッタリ、だってさ」
「若いよ、洋子は。私と同年齢の彼女に見えるよ」
「ヘヘヘェ~、明彦も何か買いなさいよ」
「じゃあ、私もリングを選ぼう」と、シンプルなルシダのバンドリングを選んだ。「これにしよう」と店員に言う。「ええっと、支払いは、彼女の指輪を私が支払います。私の指輪は彼女が支払う。そういうように取りはからって下さい」とお願いした。
「ちょっと、明彦、今度は私が・・・」
「次に、いつ会えるかわからない。だから、洋子の指輪は私が払う、私の指輪は洋子が払って欲しい」と言った。
「また、私の考えていることを読んだわね?」と、洋子は私の太腿をつねった。
「読心術なら私の勝ちだよ」と、洋子に言う。
「また、負けたのか・・・」
「また助教授に勝ったね?」
私たちはティファニーブルーのペーパーバックを抱えて、店を出た。オープンカフェに行って、洋子は紅茶を、私はコーヒーを注文した。
洋子はロケットを取り出して、「明彦、つけて」と言った。私は洋子の後ろに回り、長い髪をかき上げて、洋子に髪を抱え上げさせて、ロケットを彼女の首筋につけた。
「写真がいるわね?」
「う~ん、手っ取り早く、パスポート写真を撮ってもらおう」
「綺麗に撮れるかしら?」
「パスポートの写真ならしかめっ面だけど、二人にこやかに笑って撮してもらえば大丈夫だよ。ただし、ちょっと離れて撮ってもらわないと、ロケットに収まらないからね。ロケットを見せれば大丈夫だよ」
「あら、そうね?そうしましょ。どう、似合う?」
「そのブラウスだと襟ぐりが深くないから見えないよ」
「そうよ、人に見せるためのロケットじゃないのよ。だから、長いチェーンを選んだのよ」
「ああ、それでか」
「でも、明彦には見せてあげるわ、今晩。これだけをつけた私を」
「ドシンバタンしたら、チェーンが壊れないか?」
「壊れないように、明彦が優しくすればいいだけよ」と、洋子はニヤッとして言う。
「ハイハイ、わかりました」
「ねえねえ」と洋子言って、ペーパーバックをガサゴソさせた。サマセットのリボンをはずして、ケースを私に渡した。「私に指輪を・・・」と、言う。私はケースを開けて、リングを洋子の左手の薬指につけた。「ハイ、これで洋子、結婚できないよ。私がリザーブしてしまったから」と言った。「あ!やったね?じゃ、私も」と、洋子はルシダのリングを取り出して、私の薬指にはめた。「ハイ、私も明彦をリザーブしました。残念でした」と言った。
「じゃあ、今からミセス・宮部とお呼びしないといけませんね?お嬢様?」
「そうお呼びになっても結構よ、明彦」と、高い鼻をツンとそらす。
「ハハハ、本当の夫婦みたいだね」
「バカね、明彦、本当の夫婦なら、子供がいて・・・娘がいいなあ・・・家計が大変とか、教育費がとか、もっと現実が切実に迫っていて、ティファニーで数十万円も散財しないわよ」
「ま、確かにそうだ。え?洋子、息子よりも娘がいいの?」
「そうよ、欲しいけれどねえ・・・明彦の娘が・・・」
「何を言っているんでしょうか?お嬢様?」
「でも、大丈夫。今は安全日だから」
「残念だね?」
「本当にそう思う?」
「次の機会に取っておこうよ、そのチャンスは」
「あら、次の機会っていつ?若く見えるけど、高齢出産になっちゃうじゃない?」
「じゃあ、できるだけ早く次の機会を見つけよう」
「うれしいことを言ってくれるわね?冗談にしても」
「今は本気で言っている、とこう思ってよ」
「私が幸せになってしまうことを言うわねえ・・・」
私たちはしばらくおしゃべりをして、カフェを出た。お店で服を見る。洋子は、スカートとシャツを山ほど買った。「これは私が払うんだから、財布を出したりしないでね!」と言って、さっさと支払ってしまう。お昼は軽くピザを食べて、ビールを飲んだ。
それからビクトリアズシークレットに行って、ものすごく挑発的なレースの黒のオープンクロッチショーツやそれとお揃いのブラ、ガーターストッキングなど3組買った。「どう?あとでファッションショーよ。ストリップティーズしてあげるわ」と、チェシャ猫が舌なめずりするように言う。
「まったく、助教授、フォーマルなスーツの下にこんな下着をいつもつけているの?」
「まさか。明彦スペシャルよ。キミだけ。そう、キミを思う夜もね・・・」と、言う。
「光栄ですね、やれやれ。今晩も眠れない長い夜になる?」
「そう、なが~い夜にね?」
などとやっているうちに、いつの間にか5時になり、私たちはティファニーに行って、洋子と私のイニシャルが両面に刻印されたコインのペンダントを受け取った。私も洋子も両手に山ほどのバックを抱えて、タクシーの中でバックの山に埋もれながら、ホテルに戻った。
「また、整理しないといけないなあ・・・」と、洋子が心にもないことを言う。
「何言っているんですか?整理できるわけがないでしょ?洋子に?次々と着替えてはほうりだすだけでしょうに?」
「そうね、できないことは言わないことね。みんな明彦が片付けてよね」
「ハイハイ」
「あ!コイン、コイン」と、ティファニーのコインを取り出す。
「これは明彦がするのよ」と言う。
「あれ?私が?」と言うと、
「ロケットにコインじゃ重いでしょ?明彦がするの。私のリザーブ!フフフ、可哀想な明彦。リザーブされちゃって。でも、必要なら、リングもそれもはずしていいから」
「よほどのことがない限りはずしませんよ。絶対にはずさない、というのは無理かもしれないけど」
「正直ね?」
「大事にするよ、洋子」
「私も」と、自分のリングを触った。「さあ、明彦、整理はあとにして、イーストコーストに連れて行って。カニとエビを食べたいの。お腹がすいちゃったんだから」と言った。
「了解しました、お嬢様」
私たちは、タクシーでイーストコーストのシーフードレストランに行った。カニをエビを山ほど注文した。
夜はドシンバタンして、翌日の金曜日は遅くまで寝ていて、午後、ボタニックガーデンに行ったり、セントーサ島に遊びに行ったりして過ごした。それで、夜になった。シンガポール最後の夜というわけだ。明日の土曜日には、私たちは別々の便で西に向かわないといけない。
その夜は、私たちはシャンパンを注文した。飲み干してしまったのだ。バランタインの30年が半分ほど残っているだけだ。シャンパンをベッドの上で飲みながら、私たちはいろいろなことを話した。それで、洋子がグラスを見つめながら私に言った。
「私、明彦に訊いてみたいことがあるんだな」
「なんですか?」
「私自身の自負のために訊きたいのよ。あなたにとって、私は最強の女性よね?あなたの人生にとって。最愛の女性ではなくても」
「最強とか、最愛とか、それが洋子の自負のなんに役に立つのですか?」
「私はあなたのいうように、徹底的な利己主義者だわ。他人への依存も、他人の所有もしたくない。他人とも自分のどの部分も共有したくない、と思っている」
「そうです。私たちは似ているんですよ」
「そうね、それで、私は自分の利己主義を信じるためにも、自分が強くないといけない。でも、誰のために?利己主義者だから、自分で強いと思っているといいのかな?ちょっと違うようね。だから、明彦28年の人生で、私はあなたにとって、もっとも強い女性である、とこう思いたいの。あまり理屈では考えられない、スッキリしないだろうけど・・・」
「そういう意味では、洋子は私の人生で最強の女性の一人ですよ」
「ん?私が最強の女性でしょ?」
「アハハ、最悪の女性は洋子の妹ですが、あなたは最強の女性の一人と言っていい」
「じゃあ、最強の女性がまだいるの?」
「いたでしょ?絵美が?」
「彼女は私と同じくらいに強かったの?」
「そう思えますよ」
「ちょっと!彼女が明彦の最愛の女性だったのは許す。でも、彼女がなくなったとき、26才だったじゃない?私はすでにそのとき、32才よ?」
「年齢だけの問題じゃない、それに、家系だって、彼女の家系は、洋子、あなたの家系に劣らない家系でしたよ」
「ああ、それは調べたわ。旧華族でしょ?」
「そこまで、彼女が気になった?」
「世界中の誰も私は気にならないけれど、明彦に関わることは気になったのよ」
なんとなく、そんなことを話したのを私は覚えている。なぜ、そんなことが気になるのか、私にはよくわからなかった。
結局、私が洋子の荷物をパッキングして、翌朝11時の便の洋子と一緒にチャンギ空港に行った。私の便は午後3時半なのだが、一時荷物預かり所に預けておけばいい。時間などいくらでもつぶせる。
チェックインカウンターで洋子のボーディングパスを受け取った。時間は十分あった。私は洋子と手をつなぎ、洋子の手荷物を持って、さて、どこでどうしようかな?と思った。
「明彦、あの上、空港が見えるビューイングギャラリーじゃない?」
「そのようだね」
「あそこに行きましょう。人もいないようよ。そこで、お別れのキスをたっぷりしてよ」
「やれやれ、了解」
私たちは、本当にひとけのないビューイングギャラリーで窓際に立って、長い長いキスをした。
「さ、私、行くわ」
「まだ時間はあると思うけど・・・」
「行くのよ!帰りたくなくなっちゃうじゃない。キミはここにいて。イミグレーションを通過するまで見送りしないで。私泣いちゃうから。ここにいるのよ、明彦は。少なくとも、私が中に入るまで」
「そんな・・・」
「ダメよ。15分はここにいるの。約束。それで、私の飛行機が飛び立つとき、ここから見ていてね。ここから明彦が私を見ているのがわかるように。じゃあね、さよなら。明彦は私の中にいるのよ。覚えているわ。またね、またという機会があるなら」
「洋子・・・」
彼女はスタスタと降りていってしまった。約束通り、15分経って下に降りるが、もう洋子はいない。私は喫茶店でコーヒーを飲み、洋子の飛行機の離陸時間が来ると、ビューイングギャラリーに行って、彼女の飛行機を眺めた。こんなに遠くなので、もちろん洋子がどこにいるのかなどわかりはしなかった。
「さよなら。明彦は私の中にいるのよ。覚えているわ。またね、またという機会があるなら」
その時、それがどのような意味なのか、私にはわからなかった。
シンガポールから戻ってから、7月、8月、9月、10月と私はフランスの洋子に何度も電話をした。スリランカの電話事情で、いくどかけてもつながらないことがあったし、呼び出し音は聞こえるのだが、誰も電話に出なかった。時差は、3月から10月のサマータイムでは、フランスとスリランカで3.5時間だ。だから、彼女が大学から戻るであろう6時頃(スリランカでは午後9時半)にかけたり、朝7時(スリランカでは午前10時半)にかけたりしてみたがダメだった。支店の筆頭秘書が、「あ~ら、フランス?フランスなんかに何のご用でしょうか?女性?」などと言われる。「キミの知ったことじゃない!」と言うと、むくれてしまって、何日も口をきいてくれない。
結局、4ヶ月試してみてダメだった。私は、毎月手紙を書き、連絡して欲しいと手紙に書いた。何度も。しかし、11月になってもなんの音沙汰もなかった。
12月になって、国際郵便が届いているわ、明彦宛に、と秘書が言う。「どれ?」「これ!」と、大判の封筒をヒラヒラさせる。「渡してよ、早く」と、私は言う。「さぁ~って、誰からなの?答えなさい?」と、彼女が言うので、封筒を私は引ったくった。「ま、なんて乱暴な!日本人はそういうことをするの?」「うるさいなあ、ほっておいてくれ」と、私は言う。これで、まず1週間は口もきいてきれないだろう。私は自分のオフィスに戻った。
手紙は洋子からだった。分厚いA4版二つ折りの何かの書類と、航空用便箋が2枚。私は、航空用便箋を先に読んだ。
洋子らしい簡潔で短い手紙だった。日付は、シンガポールで別れてから5ヶ月経っていた。
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
「明彦、
あなたがあれから私になんども連絡しようとしていたことを知っています。そして、私もなんど受話器を握り締めて、あなたの番号を回したことか。それでも、だめ、最後の番号を回すことができない。
あのシンガポールで私とあなたが過ごした4日間の日々を私は生涯忘れない。私の気ままでわがままで、惨めかといえる一生の中で、あの4日間、いえ、あなたと過ごした7年間は、ある種の光芒を放っているといえます。
私は明彦、あなたを愛したのでしょう。いえ、私はあなたを愛していた。そして、今でもあなたを愛しています。しかし、明彦、あなたには私だけしかいない、とは思いません。あなたには絵美さんという女性がいて、彼女は、私以上にあなたの人生にとって重みがあったと思います。いえ、事実、あったんだわ。癪だけど。
ああ、いやだ、こういう書き方をするつもりはなかった。この手紙を、何度も破った手紙同様、いったん破り捨てて、書き直そうかしら?絵美さんのことなど書く気はなかったのに。でも、意を決して書きましょう。
あなたはいつだったか、私に言ったことがありますね?『私たちは徹底的な利己主義者であって、徹底的であるだけ、他者を所有したり、他者を従属させたりしない。共有すらしない』と。『私たちは非常に孤独なんだ』と。そのとおりです。私はあなたの言う徹底的な利己主義者だった。孤独でした。
だけど、シンガポールであなたに会ったとき、私は考えを変えた。
私は徹底的な利己主義者ですが、少なくとも女として、あなたと共有するものが・・・、いえ、違うわね。あなたの一部を所有することができたし、今、あなたの一部を所有しています。
シンガポールで、私は、あなたに言いました。『今は安全日だから。大丈夫よ』と。でもね、安全日じゃなかったのよ、明彦。私の中にはあなたがいます。娘です。あなたと私の娘です。私は、あなたが欲しかったのよ。だから、あなたをだましたの。
ごめんなさい。
あなたに会いに来て欲しい、あなたに父親になって欲しい、などとは言いません。これからも会うことはないでしょう。あなたには、あなたにふさわしい人が現れるでしょう。私の考えていることはあなただったらわかると思います。
こんなに長く書くつもりはなかったのに、2ページ目になってしまいました。
最後に何を書こうかしら?
何も書けない・・・書くと・・・私・・・

さようなら

最愛の明彦へ洋子
PS:私が明彦から聞いたことを基に、調査したことがあります。大学の法学の助教授は便利なことがあるのよ。私の知り合いのあるアメリカ人の政府関係者に問いただしました。同封されているのは、絵美さんに関するFBIの調査報告書です。彼女は・・・生きていたら、私は到底この女にはかなわなかったわね?彼女は肉薄していたのね?でも、それで、明彦、この報告書で納得してください。これ以上、過去にとらわれないように。あの時、私達がニューヨークに行って調べ上げた以上のことがこの報告書には書かれています。もう一度言います。
これ以上、過去にとらわれないように。
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
私は、私自身をストーンコールドと思っている。冷たい男だ、石のように。しかし、私は私の短い人生で、これほど読んで悲しくなる手紙を受け取ったことがなかった。私はおそらく十数年ぶりに泣いた。
しばらくして、私は気を取り直した。
分厚いA4版二つ折りの書類。私は開くのが怖かった。だが、読まないわけにはいかない。開いた。1ページ目は、大きく、映画でしかお目にかからない円形の黄色い縁取りに青の地の、アメリカ合衆国連邦捜査局の紋章が中央にある、Federal Bureau of Investigationの公式報告書だった。宛先は、連邦捜査局長官、ウィリアム・ウェブスターだった。



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