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縄文海進と古神道、神社、天皇制(7)

みなさん、こんにちは。どうも今日はのりません。『ラム・レーズン』を書く気もしません。仕方ありません、『縄文海進と古神道』を書くことにしましょう。

(6)で『要石』の話を少々書きました。鹿島神宮、香取神宮共に、縄文時代の信仰対象は要石だったような気がします。そもそも、古神道は、精霊信仰です。自然(物)崇拝が本質です。自然なるもの全てに精霊・神が宿り、遍在しています。

山も海も川も精霊・神であり、風も雷も精霊・神であり、季節も時間も精霊・神である。この世界のありとあらゆる物が精霊・神ならぬものはなく、精霊・神とともに在る、ということですね。その形は四つに集約されます。

カンナビ 神奈備・甘南備・神名備・神隠・神名火
     ・珂牟奈備・賀武奈備
イワクラ 磐座・岩倉・岩鞍
ヒモロギ 神籬・霊諸木
ヒ    霊・靈・日・火

「カンナビ 」は。山岳を神山・霊山として信仰します。浅間神社の富士山とか。「イワクラ 」は、巨岩を神の依り代として信仰します。鹿島神宮・香取神宮の要石も全体が現れていた縄文海進の頃はそうだったんじゃないかと思います。「ヒモロギ 」は、「鎮守の森」として崇め、その中の特に際立つ巨樹を神木とし、神の依り代として信仰します。「ヒ」は、「カンナビ 」「イワクラ 」「ヒモロギ 」が形ある依り代として捉えるとしたら、「ヒ」観念です。「ムスヒ(産霊)」「ムスビ(産巣日)」。

縄文時代の縄文人の古神道は、現在の日本人の信仰にそのまま途切れなく結びついています。それに対して、6世紀に朝鮮半島より伝来した仏教は、それ以前の日本の宗教とは何のつながりもありません。日本人の祖先は、仏教、仏教の寺院・仏像とは無縁でした。

仏教と同様に、4世紀から6世紀にかけての天皇家、大和朝廷による神道の神社の組織化、系統化も4世紀以前の地域地域の古神道の神社を剽窃したものであって、天皇家、大和朝廷による神道は、元々は日本の宗教、古神道とは何のつながりもありません。

(6)で述べましたが、鹿島神宮と香取神宮、平安時代の延喜式延喜式神名帳にある三つの『神宮』の称号で呼ばれているうちの二つです。もう一つは伊勢神宮。鹿島神宮は神武天皇元年の紀元前660年の創建、香取神宮も神武天皇18年(紀元前643年)と伝えられています。これは伊勢神宮が垂仁天皇26年(紀元前4年)とされており、これより600年以上前です。

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当時の日本は卑弥呼の治世が4世紀始め、大和朝廷の成立が5世紀頃と言われていて、その前の年代などは記録がありません。そして、鹿島神宮、香取神宮ともに、年代的に不確かながらも伊勢神宮よりも、創建が600年以上も古い。鹿島神宮と香取神宮は、伊勢神宮と同格で特別な神社です。しかし、おかしいですよね?

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神宮の創建が、伊勢神宮よりも600年も古い。場所も、大和朝廷発祥の地の関西・紀伊半島から遥かに離れた関東、常陸国・下総国の一之宮。なぜ、『神宮』の称号で呼ばれている神社の内、二つが大和朝廷の支配地からはるかに離れた関東なんでしょう?

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