詩の解説 ー オデュッセウス、アルフレッド・ロード・テニスン
再録ですよ。年末ですからね。年末は、自分のテーマに即して、毎年これです。
Keith Jarett、The Köln Concert
キースジャレット、ケルンコンサート
01 Part I 1.m4a
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02 Part II A 1.m4a
https://app.box.com/s/t4gww7sj8nki964t4c4c89x4nl2q927n
03 Part II B 1.m4a
https://app.box.com/s/9fnwr038sxzih6jgv8uu1ignbb7dgrr3
04 Part II C.m4a
https://app.box.com/s/ece5k58cuq7p07u1iggz6y1md58snkml
これと、これですよ、フランク・ロイドは。ジジイですからね。マンネリなんです。
オデュッセウス、アルフレッド・ロード・テニスン
友よ 来たれ
新しき世界を求むるに時いまだ遅からず
船を突き出し 整然と座して とどろく波を叩け
わが目的はひとつ 落日のかなた
西方の星ことごとく沐浴(ゆあみ)するところまで
命あるかぎり漕ぎゆくなり
知らず 深淵われらをのむやも
知らず われら幸福の島をきわめ
かつて知る偉大なるアキレウスを見るやも
失いしは多くあれど 残りしも多くあり
われら すでに太古の日 天地(あめつち)をうごかせし
あの力にはあらねど われら 今 あるがままのわれらなり
時と運命に弱りたる英雄の心
いちに合っして温和なれど
努め 求め たずね くじけぬ意志こそ強固なれ。
"Odyssey" by Alfred Load Tennyson
Come, my friends,
Tis not too late to seek a newer world.
Push off, and sitting well in order smite
The sounding furrows; for my purpose holds
To sail beyond the sunset, and the baths
Of all the western stars, until I die,
It may be that the gulfs will wash us down:
It may be we shall touch the Happy Isles,
And see the great Achilles, whom I knew.
Though much is taken, much abides; and though
We are not now that strength which in old days
Moved earth and heaven; that which we are, we are;
One equal temper of heroic hearts,
Made weak by time and fate, but strong in will
To strive, to seek, to find, and not to yield.
この詩の解説を蛇足ながら書いておきます。題名のオデュッセウス(Odysseus)、ローマ神話ではラテン語読みでユリシーズ (Ulysseus)
テニスンの生きていた時代は、一般教養人はみなギリシャローマ神話を知悉していました。たぶん、私の世代もある程度は小学校の図書館などで読んでいます。が、今の20、30代は知らないかもしれません。
テニスンは19世紀生まれ、ヴィクトリア朝時代のイギリス詩人です。ダーウィンと同じ年に産まれましたが、その頃のイギリスに歴史の進歩史観などありませんでした。歴史、人類が常に進歩し、明日は今日よりも優れた日になる、来年は、再来年は、という考えはあまりありません。
ギリシャ・ローマの時代は、その頃の現在を鉄の時代としていました。古代は、人類は神に近い金の時代であり、それよりも劣った銀の時代が続き、やがて銅の時代となり、鉄の時代となり・・・時代を経る毎に徐々に劣った時代となるという歴史観を持っていました。
さて、
トロイヤ戦争が終わり、トロイの木馬などのアイデアでギリシャ側を勝利に導いて英雄となったユリシーズ。しかし、女神アフロディテや海神ポセイドンの恨みを買って、故郷イタカに容易に帰れず、地中海のあちこちをさまよって、数々の妖怪怪物と戦い、やっと何年も経って故国のイタカの町に戻ってきました。裏切り者を殺し、イタカの王として復帰、妻のペネロープと平和に過ごして老齢を迎えた今・・・
海を見つめて、年をとったオデュッセウスですが、思い出すのは平和に暮らしている最近ではなく、トロイア戦争とその後に続いた冒険の日々。
そこで、オデュッセウスは、「友よ 来たれ」とつぶやくわけです。
#わが目的はひとつ 落日のかなた
#西方の星ことごとく沐浴 (ゆあみ)するところまで
#命あるかぎり漕ぎゆくなり
星座は東からのぼります。北極星を中心として、その周囲の星座は、次々と西の彼方の地平線に沈んでいきます。海上を航海していれば、それが「西方の星ことごとく沐浴(ゆあみ)する」かのように。その西の彼方にまで「船を突き出し 整然と座して」友々よ、漕ぎだそうと。
#知らず 深淵われらをのむやも
地球が丸いということをよく理解しなかったギリシャの昔では、海の彼方は、深淵に向かって囂々と海水が落ち込んでいたと思っていたのかもしれません。
#知らず われら幸福の島をきわめ
#かつて知る偉大なるアキレウスを見るやも
ギリシャの昔は、天国という概念はありませんでしたが、海の彼方にアトランティスのような「幸福の島」があり、死者はその島に住んでいると。指輪物語の最後も同じです。トロイア戦争の戦友で、死んだ英雄アキレウスとも再び相まみえることができると。
#失いしは多くあれど 残りしも多くあり
#われら すでに太古の日 天地(あめつち)をうごかせし
#あの力にはあらねど われら 今 あるがままのわれらなり
鉄の時代に生きている我々にとって、神に近かった「太古の日 天地(あめつち)をうごかせし あの力にはあらねど」、或いは、知力体力が最高であったあの若い日ではないけれども、今、私、私たちは「あるがままのわれらなり」。
#時と運命に弱りたる英雄の心
#いちに合っして温和なれど
#努め 求め たずね くじけぬ意志こそ強固なれ。
「時と運命に弱りたる」年を取った自分、温和落ち着いてしまった自分ではあるけれども、「努め 求め たずね くじけぬ意志こそ強固なれ」
と、こういう詩であります。
人生は旅、人生は航海、季節が過ぎ去ったと思ってはいけないのでしょう。何かが過ぎ去っても、また次の何かが巡って来る。「努め 求め たずね くじけぬ意志こそ強固なれ」。
この詩は私に何かの力を与えてくれます。かつて四十数年前、この詩を知った時、私もよく理解していなっかったようですが、毎年、この詩を読むにつけ、年をとるにつけ、段々とテニスンの描くオデッセウスの気持ちがわかるようになってきました。
この詩は決して老齢に至ったものだけの詩(うた)ではなく、日々、明日を思う人間が昨日までの自分を鑑み、明日からも何かしてやろうじゃないか?と思える詩だと考えます。ましてや、若い時代なら、かの力は失われてはおらず、まだまだこれより力は増すと。
過去の詩というのは、その背景を知らないと内容がわからないことが多いものです。四十数年前の私もこの詩の背景をよく理解していませんでした。
この詩を理解しようとおもったわけではなく、神話世界とか歴史観・進歩史観(例えば、市井三郎の『歴史の進歩とは何か』などを読んで)がわかってきて、初めてホメロスの原物語やこのテニスンの詩が徐々に理解できて参りました。
例えば、夏目漱石の『こころ』のいち文章で、先生の家から金魚売りの呼び声が聞こえるという場面があります。
それは現在の日本人では読み過ごしてしまう部分です。しかし、明治期の日本人なら、ああ、それは、謡の練習でご近所のご老体が練習がてら金魚売りをしていて、先生の路地裏の家まで表通りの金魚売りの声が届いていたのだね、ということがわかります。
これは私が調べたことではなく、高校の国語教師が教えてくれたことです。我が中学・高校は、文部省の教科書など全く無視して、中高6年間の内で6年分を4年くらいですべて教えてしまって、後は、教科書を使わない教師のテキスト使用という学校でありまして、進学校ですので、それはそれ、受験技術も学びましたが、それ以外でも、夏目ばっかり数週間とか、鴎外ばかり数週間という授業もあったのです。
また、カトリック校でしたので、倫理社会という科目でフレンチ・カナディアンの神父(=教師、校長も当時は外人)がカトリック史を教授してくれました。そんな中で、彼の教えるのは、原罪の概念は新約聖書にはあるが旧約聖書にはまったくない、などという知識もありました。その教科書は、本部のセントマリーの英仏語の日語翻訳の教科書でオリジナルでありました。
そのような教育を受けたので、いささか、私の一般教養というものは、公立校や日系の私学と異なるものとなったのです。
私の大学の専攻は物理学ですが、江戸期の黄表紙本の素養もありますし、グレゴリオ聖歌の素養(歌わされましたので・・・)もあります。
日本語で受けた教育ですが、海外に出て、このような一般教養・素養を知っているので、英語文化圏でもかなり重宝しているのです。
しかし、こんなことを思うのは男性ばかりかな?
女性は、ハッピーエンドで妻と添い遂げるのが何が悪い、またぞろのこのこ冒険旅行に出かけるなどとんでもないとなるのでしょうか?