眩しめのエナジー

小学二年生の頃、
クラス担任の先生は吹奏楽部の顧問も担当している人で、必然的に僕のクラスには音楽というものが付き物になっていた。

隙あらば先生はピアノを弾いて、僕らはそれに合わせて歌う。
朝のホームルーム、休み時間、そして下校前。
他のみんながどうだったかは知らないけれど、僕はその時間がとても好きだった。
みんなで力一杯歌うその時間が。

多分、その時流行っていたポップスや、有名な童謡、音楽の教科書の常連曲、色んな歌を歌っていたと思うけれど、具体的にどの曲を歌ったかは正直細かく覚えてはいない。
ただ、
一つだけ今でも鮮明に覚えている曲がある。

石毛恭子さんの
「キャンディマン」という曲だ。
当時は誰の曲かも知らず、いつの年代の曲かも知らず、先生が教室の壁に貼った大きな模造紙に手書きで書かれた歌詞を、読んで、覚えて、歌っていた。

今になって調べてみると、1971年にアメリカで公開された『夢のチョコレート工場』という映画の挿入歌らしく、歌手でありエンターテイナーでもあるサミー・デイヴィスJr.氏によっても歌われた“The Candy Man”という曲のカバーらしい。
(石毛恭子さんのカバーは1972年)

夢のチョコレート工場といえばどこかで聞いたことあるような、ないような、、。
と思ってさらに調べてみるとやはり、2005年公開のティム・バートン監督による『チャーリーとチョコレート工場』と同原作の1度目の映画化作品だった。ちなみにチャリチョコでは“The Candy Man”は流れてなかった…と思う…。

まぁ何はともあれ、今になって誰が歌っていたどんな曲かわかったとしても、当時はそんな事はどうでも良くて。先生も何一つその辺りには触れていなかったと思う。

とにかく僕は、この曲が大好きだった。
この曲をみんなで歌う時間が幸せだった。

曲の冒頭の歌詞。

もしもきみが
ひとりでも
素敵なあの人ついてるさ
ほらキャンディマン
それはともだちさ
きっときみのお願いきいてくれる
ともだちさ

この曲に出てくるキャンディマンは、
当時の僕のヒーローだった。
そしてそれは、この世の中に実在するありとあらゆる某有名ヒーロー達の中でも、僕が知る限り一番得体の知れないヒーローだ。

それはそうだ。
小学校の担任の先生がいきなり壁に貼り付けた、歌詞の中だけに存在するヒーロー。
変身ベルトのおもちゃが発売されているわけでもない。グミになって美味しく食べられるわけでもない。それでも、その曲が流れている間は、それをみんなで歌っている時間は、キャンディマンが側に居てくれて、守ってくれているような気がした。

今でもメロディと歌詞は頭に残っている。
けれど、それを思い出したのはつい最近のことだ。

話は少し飛んで、現実的な話題になるが
昨今この世界で大きな問題になっている
新型コロナウイルス。
100年に一度の危機なんて言うけれど、100年前の危機を僕らの殆どは体験してないのだから、僕らにしてみれば前代未聞、初めての危機にぶっつけ本番大勝負だ。

なんて大袈裟な言葉を使ってみると、少し違和感を感じたりもする。
人が危機を危機であると認知するのは、皮肉にも危機に直面した時ではなく、危機に襲われたその後なのかもしれない。案の定、"緊急事態"は繰り返された。実際にウイルスに命を苛まれ、綱渡りのような生き方を強制された人や、命そのものを奪われた人。彼らにしかわからない苦しみや危機感を、あまりにも人々は軽視しすぎている。

そしてそんな中、人と人の繋がりを断ち切ってしまえば労働そのものが機能しなくなり廃業せざるを得ない職種の方々も存在し、
彼らを守るための政策と、彼らの首を絞める政策とが泥沼の中で入り混じっている。

残酷だが理解はできる。
人と人の繋がりを最低限断ち切らなければならない状況に、世界規模でなっているのだから。
そんな中でも、繋がり続けなければ生活していけない人たちだっているんだ。

ならば何と戦えばいい?
突如蔓延した未知のウイルスか。
危機に直面し、尚も安直な行動を取る人々か。
そんな人々を抑制する制限だらけの政策か。
生きる為にその政策の中で、可能な限り人と繋がり続ける道を探す者達か。

みんな何かと戦っている。
だけれど、何と戦っているのかわからない。
そして、勝利への道も、敗北してしまう未来だって、各々が掲げる感情が追いつく暇もなく、この世界がチラつかせて不安定な安心感と危機感だけが成長していく。

そんな中、何の気無しにテレビをつけると始まっていたお笑い番組。僕の大好きな芸人さんがボケてツッコんで、問答無用で笑顔にさせられた。
snsをひらくと流れてくる沢山のオリジナルのイラスト、音楽、動画、歌声、家族や好きな風景の写真、こだわりの創作物。繊細に綴られた文章。

ふと、キャンディマンを思い出した。

僕たちがいる世界には、未知のウイルス以外にも広がり続けているものがある。

それは完成品こそ目に見えるものになっていたとしても、それを産み出すまでの苦悩や込めた想い、そして楽しんだ気持ち。目に見えない希望やエネルギーが沢山詰まっていて、人々はそれに魅了されていく。

それが誰かを救う為の一方通行なものではなく、自分自身と一緒に救われていく為のものであると信じたくなった。

そして救われたのなら、そこから自分の出来る限りの対策で恩返しすればいい。

きっと数あるルートの中でも
危機に直面して気づくとか、襲われて初めて思い知るとか、そんなものではなく。
本当に気づくべき対象は、感情は、
もっと違う何かなはずだ。

昨夜、新曲を投稿した。
曲名は「それはシャンデリーナ」
まだ聴いていない方は、是非聴いて欲しい。

ずっと僕のそばで戦ってくれていた
キャンディマンに憧れて作った曲。

それはあまりにも相対的な力で
目にも見えない、得体も知れない
だけど必ず側にいてくれて戦うヒーローの曲。

こんな世の中でも、僕らの側にあるちょっとした楽しみや趣味、娯楽、時に希望になったり時に葛藤を促す相棒のような自分のスキル、そしてそれを共有できる大切な誰か、
そのどれもがあの日握りしめた

小さなキャンディのようであって欲しい。

そんな願いを込めました。
その幸せを共に噛み締められる世界と
命が続いてく限り、

僕たちは"絶対に"負ける事はない。

ビートシー

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