全てを賭ける1分間
私は2、3歳からピアノのレッスンに通い始めた。物心ついたときからピアノを弾く習慣がついており、ピアノを弾かなかった日は無い。コンクールも度々出ていた。そのため、初めてのコンクールのときの記憶はほぼ無いに等しい。覚えているのは、小学3年生くらいの時からだ。
それ以前は、舞台に立っているという感覚すらなく、緊張をすることはなかった。しかし、それ以降は「目の前に大勢の人がいる」という感覚が芽生え、舞台袖ではひどく緊張していた。
出場者にとって、舞台袖での時間は結果を左右するほどの大切なものだ。楽譜を真剣に見直す人や、ウォークマンでお手本のCDを聴いている人、目を閉じて神経を集中させている人、実に様々な時間の過ごし方がある。ちなみに私は楽譜を見ながら、手を動かしていた。
私はその舞台袖で一度、素敵なスタッフさんと出会ったことがある。小学5年生の頃だっただろう。当時、あまりにも緊張しすぎていた私は、目の前にある楽譜すら目に入らなかった。天井を見つめ、何も考えていなかった。そんな私が目に留まったそのスタッフさんは、私の方に近寄り、横に座ってくださった。
「どう?やっぱり緊張するもんなの?」
そう聞かれ、私は突然話しかけられたことに驚きながらも、
「あー、はい。そうですね。」
と答えた。そして、そのスタッフさんはナレーションをしている女性を指差し、
「あはは。やっぱそうかー。ところでさ、あの司会の人いるじゃん?声、すっごく綺麗だからもっと若い人だと思ってたんだけど、意外と歳ね〜(笑)」
と言った。一瞬、間が空いた。だが、もしかして、私の緊張を解してくれているのか…!と理解し、思わず笑みが溢れた。
そのスタッフさんは私の笑顔を見て、安心したように頷き、元の仕事に戻った。その後、私は緊張が和らぎ、楽譜に集中することができた。そのスタッフさんのおかげである。まさにプロフェッショナルと言うべきなのだろうか。この出来事は、未だに忘れることはない。
私たち出場者は3ヶ月ほどの練習をたった1分の演奏に賭けている。演奏のミス以外で、点を落としたりはしたくない。そんな私たちの思いを汲み取ってくださった上での行動だろう。目立たないところで、目立つ人を支える。そんな仕事をしている方々に、日々、感謝を忘れてはいけない。
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