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vol.5 馬の背洞門へ

 その後、野良猫と別れた私は城ヶ島の観光名所である馬の背洞門を目指すために小さな丘陵に登った。道の両脇には草木が生い茂っていたが、人が往来するせいか整っている道であった。


 ゴールデンウィークとはいえ時刻が午前10時半前後だったこともあり人通りはほとんどなく、ほぼ貸し切りだった。海からの風が心地よく、気分がよくなった私は大事な充電を削ってスマホの動画機能を立ち上げ、パノラマ撮影をした。


 しばらく歩いていくと、海側の草木が途切れてオーシャンビューを堪能できる展望所が現れた。先客がちらほらといて、彼らに倣って芝に座り込んだ。ぼーっと景色を眺めていると頭に一つの疑問がよぎってくる。「私は何がしたい?どうなりたい?」。


 そんな私をよそにちびっこたちが親に写真を撮って、とねだっていた。父親はスマホのカメラを手にして子どもの写真を撮る。すると今度は「パパも撮ろうよ」とねだりだして、父親が母親の方へスマホを手渡した。


 その様子を見て今度は「みんなで撮ろうよ」と言い出すだろう、と思い、そっと夫婦の方に近づいて「よかったらみなさんの写真、撮りましょうか?」と声をかけてみた。すると二人は少し困った顔をして「あ、いや、大丈夫です。」といった。子どもたちは残念そうにしていたが、私はすぐさま「すみませんでした。」と頭を下げてその場を去った。


 そうだよな。家族水入らずの時間に他人に入られたら困るか、そうか、そうだ。有難迷惑だったよな。大学の卒業式の前にも似たようなことをしたが、あの時の私は袴を着ていたから快く受け入れてくれたんだよな。だが、今日の私は昨日と同じ服を着ている。ボロボロの何でもない人間に急に話しかけられたら気持ち悪いか。


 ネガティブなことを考えながらフラフラ歩いていくと、馬の背洞門へ降りる道まで来ていた。階段までの道は大変細く、人が一人通るので精いっぱいだった。人とすれ違うことなく階段にたどり着き、降りた先には馬の背洞門を見に来た人が群がっていた。洞門の前に立ち、楽しそうに写真を撮っている。


 誰かのインスタグラムで何度か見たことはあったが、自分の目で見るのは初めてだった。岩と岩が崩れるギリギリのところでつながっていて、綺麗なアーチを描いていた。確かに、写真映えを狙う人たちには外せないだろうな、と思った。私は少し離れた場所から全体像を写真に収めた。


 ふと足下に目をやると海水があまりにも透き通って綺麗だったので、ローファーだったにも関わらず岩場を渡り、できる限り波打ち際まで近づき、うずくまって海を眺めた。海風に吹かれ、波の音を聴いていると、自分の生きている世界がいかに息苦しくて狭い場所なのかがわかってしまう。また一つ、二つ、涙がこぼれる。


 社会人になってからの一か月、それは想像以上に辛かった。時間に縛られることなく自由気ままに生きていた学生時代とは一変して、決まった時間に起き、決まった電車に乗り、決められた時間内は働き、家に帰っても次の日のことを考えて決まった時間に寝る。それだけでも大変なのに、慣れない職場で付きっきりで誰かが傍にいてくれるわけでもない環境で、いろんな人にいろんなことを言われうまく情報を飲み込めずに思考がショートし、何をすれば正解なのかがわからなくなった。


 さらに言えば、「社会人になったのだからこうあるべき」という自分の中で勝手に決めたステレオタイプが、私が心から「好き」と思えること、俗にいう「趣味」を失わせ、自分が何のために生きているのか、自分という存在がどこにあるのか、ということがわからなくなった。私はこの一か月で自分を「殺し」、心を「死なせた」のであった。


 それゆえに、好きな場所で好きなように昼寝をする野良猫や、あるがままに、人びとに疑われることなく確かにそこに存在している雄大な自然を見て泣いてしまったのだろう。そして、またあの疑問が頭に浮かぶ。「私は何がしたい?どうなりたい?」


 子どものはしゃぎ声を聞いてまた一つ、涙をこぼした。


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