にわかがマキシマム ザ ホルモン「予襲復讐」を褒める

これはずっと馬鹿にされ続け 周りから見向きもされなかった イケてない底辺の人間による ロック復讐劇である

マキシマム ザ ホルモン 5thアルバム 予襲復讐

  「糞盤」「ぶっ生き返す」「ロッキンポ殺し」に続いて購入したこのフルアルバム。ほとんど単行本のような装丁となっている歌詞カードを全て読み込むところまで堪能させていただいた。


 現時点で最新のフルアルバムとなっている「予襲復讐」。今作を通して、以前のアルバムからもふつふつと感じていた彼らの根源的な「怒り」の感情をよりクリアに理解出来たように感ぜられた。その怒りの矛先は、自分達を軽んじる「勝ち組」に向けてのものであり、そんな構造を生み出している「社会機構そのもの」にでもあり、その中で適応して生きていくことが出来ない「自分自身」にでもある。その「今に見ていろ」という(ホルモン風に言えば)ムラムラを、自分の中に収めず外界に向けて発散し、自らの忌むべきものたちへ「復讐」を図っていること。その指針そのものが、彼らの、マキシマムザ亮君のロックなのだということをこのアルバムは如実に表している。



 彼らの偉大さは、そうしたエゴの発散をエンタメとして昇華している点にある。マキシマムザ亮君は、自らの伝えたいそのものを曲として構成しつつも、リスナーへ向けた(ある種わかりやすい)エンタメ性を含むことを忘れない。いきすぎたエゴの発散、即ち自慰行為と、リスナーを楽しませるということを何よりも重視するエンターテイメント性。ホルモンの音楽は、(時折行ったり来たりしつつも)平均としてはその中間の丁度いい場所に位置している。これこそが、ある意味では「わかりにくい、尖っているバンド」である彼らが広く大衆に受け入れられている要因の一つであろう。


以下、前述したようなテーマと深く関連しているであろう冒頭三曲を抜粋したうえで感想を述べる。



1. 予襲復讐


アルバムのタイトルと先陣を飾る一曲。述べてきたような「自らの外敵への怒り」が描かれ、

今もまだ Anger!!
見ておけマザーファッカー!!
牙はまだ生えておる!!
さあ行くぞ! 鬱憤GO!

マキシマム ザ ホルモン 「予襲復讐」

そのうえで、「そうした思いを受け止めることによる、復讐の遂行」というテーマが描かれている。

さあ ここからは 嗚呼‥!
ただ、忌々しい、あの過去の痛みを
許すだけなのです。

マキシマム ザ ホルモン 「予襲復讐」


曲解説中で「アルバムの最後に聴くとしんみりする」と述べられているように、一曲目でありながらこの作品を通してのメッセージとその着地点までもが述べられている。

しかし、「底辺の人間」が、そうして自分の思いを受け入れて生きていこうとする過程の中、即ち現実は苦痛に満ちている。その「憂鬱」を包み隠さず叫ぶナンバーが次曲である。


2. 鬱くしきOP~月の爆撃機~

3. 鬱くしき人々のうた

(本曲が収録されたトリプルA面シングル。ジャケットと曲解説目当てに買おうかな)


ブルーハーツのカバーから始まる、ポップパンク的なメロディでありながらとにかく暗いリリック。私がこのアルバム中で最も感銘を受けたナンバーである。

さらば 俺 地球 宇宙 月 海
恨み・怨み・憾み どんくらいLOW?
うなだれ 鬱 焦燥 スクリーム
痛み・怒り・病み 崩壊モード
裏に潜んだ命(めい) 
(ツライ… ツライ… CRY)

マキシマム ザ ホルモン 「鬱くしき人々のうた」

 マキシマムザ亮君による実体験に基づいて「鬱」の病状そのものを描写している作品であるらしく、深く沈み込み動き出す事ができない人間の焦燥がハイテンポなメロディで表されていく。私は鬱病を患っているわけではないが、こうした無力感、焦燥感、そして外界や未知への恐怖心は(特にロックに傾倒するような者であれば)誰でも覚えがあるものだろう。
しかし、そうしたある種の共感を呼びおこす歌詞は、後半のあるパートから一転し違った意味合いをぶつけてくる。

世界中の誰もが病んでるわけではねえけど
誰かは今日もうずくまってる
そして内緒で「明日がラスト」と
這いつくばって抜け出そうと生きてる
いつだって癒しなんぞなくても
リングにあがりゴング鳴るの待ってろ
鬱くしき人々よ 「0.5生懸命」にて勝て!

マキシマム ザ ホルモン 「鬱くしき人々のうた」

 私が特にインパクトを受けた部分がこのパートである。ホルモンでは珍しい直接的なメッセージ、しかしこれは鬱を抱える人々への応援ソングではない。都合のいい救いなどは存在しないということはわかりきっていながらも、「生きていく」ことを選択しているうちは「癒やしなんぞなくとも、リングにあがる」しかない。しかしそうした淀みを叫ぶことで、あるいはそれを叫ぶこと自体が、生をつなぎとめる要因(「1UPキノコ」)になりえるのかもしれない。だからこそこの曲は、すべての歪みと僅かな希望を包括したこの言葉によって締めくくられる。

ボク 死たがりで 生きたがりです

マキシマム ザ ホルモン 「鬱くしき人々のうた」


 こうした「日陰者たちが抱えた鬱憤の代弁」は、(私のような)社会に迎合・適合しきれない人間にとっての救いであり、活力の源である。
歪んだ人間が与える、歪んだ人間への共感と激励。そして、その過程である表現もまたストレートではない、奇抜で歪んだもの。これこそが彼らが我々を惹きつけ、また我々が彼らに惹きつけられる要因であるといえよう。


ライブ行ってみてェ~

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