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漫画感想文 「カリュクス」

「カリュクス」は岬下部せすな先生画の2013年から2015年の間、「月刊アクション」にて連載されていた作品である。

と言ってもこの作品の出会いは雑誌ではなく古本屋だ。
というか自分の作品との出会いは殆どが古本屋。
日本史や世界史と言った歴史が苦手なくせに、過去の本を好むとはおかしな話だと自分でも思う。

古本屋巡りが趣味だった親父の譲り受けだ。

手に取った理由はタイトルから。
カリュクスとはカーネーションのラテン読みだ。
自分は花言葉をよく引用するので、どこか見覚えのある言葉で「なんだったっけ」と思い出させるように手に取った。

しかし表紙は少女と軍人が描かれており、言葉の意味を思い出すどころか「カリュクスとは…」となったのをよく覚えている。

全4巻で絵も整っており、軍事系は比較的好きな自分はほぼ反射的に購入。
しかし本業の疲れでめっきり本を読むことが少なくなり、読み始めるのに一年近くかかった。
非常に申し訳ない話だ。

あらすじは温暖化が進み、砂漠化した日本で「花の少女病」という奇病にかかった少女と軍人の恋を描いた話。
この少女、花の少女たちは体内から根や茎を出し、操ることが出来る特殊能力を持っている。
環境に配慮し、強力な爆撃が禁じられている作中ではその能力は非常に強力で、ガトリングなんかの機関銃や対同種でない限りほぼ無敵を誇る。

少女たちの能力を成長させるには恋を育むことが必要だ。
花に毎日声をかけたり、音楽を聴かせたら良く成長した。なんて聞いたことあるだろう。
あれを転換させた良い設定だと思う。

ただ「忘レナ草」というパートナーから見放されたり、戦場が怖くなり逃げられた廃人化した少女がおり、
彼女たちの成長の糧は思い出、と負の面もしっかり描かれている。

個人的にこのような負の面を描くことは賛の方だ。
むしろ正の面だけ描く作品は大っ嫌いだ。
正も負も抱えてこその世界だ。二極が均等を保つから世界が成り立つ。
正だけを見せるのは圧政と何も変わらない。
押し付けを受け入れられるほど自分は人間ができてはいない。

話が逸れた。
作中、日本はサッポロ、サイタマ、ナラ、フクオカの4つの独立小国家として別れ戦争をしている。
主人公たちが所属するサイタマでは花の少女を軍事利用するフローリス部隊が存在。
終盤では敵対国も同じく花の少女を軍事利用した部隊を編成してくるが基本的に少女通しの争いはない。

話の半分が戦場。半分が日常で描かれる。
戦場では凛々しく、時には作戦に意見する彼女らも日常のただの少女。
世界観が世界観だからか、みな純粋無垢で。
だからこの日常がいつまでも続けばいいのにと思ってしまう。

ただやはり終わりはやってくる。
「花の少女病」は突然変異した種子が少女の心臓に根付き、成長していく病のことだ。特殊能力は副産物にすぎない。
恋をすると耳付近につぼみが芽生え、つぼみが咲き、そして散ると宿主の少女も寿命を迎える。
その後は完全に植物の苗床になるらしいが、作中ではラストに主人公カップルと敵カップルがなっただけなので詳しいことは不明。

自分は「死が尊い」なんて感情はない。
存在が消え、残るのは思い出だけ。
その思い出も会えぬ悲しみだったり、してやれなかったことを思い起こさせるだけの荊でしかない。

それでもその後悔が何かの原動力になったりはする。
作中ラストも「花の少女病」の特効薬の開発が現実的になったことが示唆されたりしている。
そう。残された者は生きているのだ。想うのなら前を向け。

自分はこの作品からそう受けとった。

近年、擬人化したキャラクターが戦場を駆け巡る作品がちょこちょこ出てる。
しかし亡くなっても大抵殉職で、こう少女の一生を描く作品は珍しく、非常に感銘を受けた。
もしこの記事を読み、興味を持たれたのなら、よろしければ読んでみて欲しい。

トップ画像の意味は読めば理解できるだろう。





カリュクス=カーネーション
花言葉は「純粋な愛」「私の愛は生きてます」

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