親父とキリンラガービール



「ただいまっ。」
野太い声が、玄関先からリビングまで届くと、弟がリビング隣の一部屋しかない子供部屋に泣いて隠れた。
妹が決まって「大丈夫。恐くないよ。」と弟を宥め、二人で部屋に移る。
親父が帰ってくると必ず泣き出す弟がいた。

親戚と蒟蒻屋を営んでいる親父はスーツを着た一般サラリーマンではなく、帰ってくると力仕事、体を使うから汗臭い。
玄関を上がるとすぐ台所、隣部屋にはブラウン管テレビに、テーブルこたつがありここで座り家族五人、飯を食う。
兄弟三人正座させられ、箸の持ち方、箸を持つ方が右、茶碗を持つ方が左だと指導された。
襖を空けると三人の子供部屋で、必ず寝る前に正座をして、「お父さん、お母さん、おやすみなさい。」と言う。
親父は、恐い。強い。厳しい。昭和の親父像を絵にしたような人間だった。

一日の仕事を終えた親父のいつも座る位置は決まっており胡座をかいて晩酌、母は冷蔵庫で冷やしておいたキリンラガーの瓶ビールとコップをテーブルこたつに置いた。
酒の肴は豆腐が多かったように思う。

双子の弟と妹の長男である俺は恐いながらも子供三人が隣の子供部屋にいて親父が入ってくるのが逆に恐く、双子の弟妹を助けるような気持ちで、今思えば幼いながらも父の晩酌の相手をしていたような気がする。

ちょうどこの時間帯はプロ野球のナイター中継が放送されている。
鮮明に記憶があるのは、巨人のピッチャーが背番号エースナンバー18の堀内だった時だ。
俺は親父の胡座の中に座り、静かにその試合を観ている。


ビールを呑みながら「堀内は凄いピッチャーだ。」と言ったことを今でも覚えている。

小学校低学年の俺には何が凄いとか野球のルールもわからず、ただ威厳のある親父が言ったのだから凄いのかと思ってただけだった。

また、ビールという飲み物。
茶色い大きな瓶。栓抜きがないと呑めない飲み物。泡がある。おしっこみたいな得体の知れない親父だけが飲むもの。

それを親父がうまそうに飲む、ビールというものに少なからず興味はあった。
その空いたグラスを見つめていたのだろう、親父が「剛、少し呑んでみるか?」
えっ?と思いつつも逆らえない。
仕方なく。
「うん。呑んでみる。」と俺。

「に、苦い。。」

「苦いかっ(笑)、そのうちお前にもビールの美味さがわかる時が来るっ。」

こんなの苦いもん、絶対呑むかっ。反抗する気持ちを込めて心の中で親父に言った。

汗臭い親父の匂いとビールの苦みは今でも記憶に焼きついている。


あれから弟は小学校から高校まで野球をやり、俺は独り、居酒屋でナイター中継を観ながらキリンラガーの瓶ビールを呑むようになっていた。

※居酒屋ロマンティクス 2011年のblogより

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