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レポートは「書くこと」の練習になる

大学三年生の私は、毎日レポートに追われている。福岡でも緊急事態宣言が発令される予定で、いくつかの授業はオンラインになった。移動をしなくてもいいというのは、オンライン授業の唯一の良いところだが、物理的な移動がなくなった代わりに、毎回大量のレポートが課される。

難解な学術用語が多用され、横文字がたくさん引用されている文献を「来週までに読んで、A4二枚にまとめてこい」なんていう課題が、毎週平気で出される。しかも一つの授業だけではない。

レポートを真面目にやる時間などあるわけがない。こちとら勉強だけをしているわけではないのだ。バイトもある、部活もある、洗濯も掃除もしなければならない。レポートを毎回真剣にやるには、大学生という身分はあまりにもやること(というかやりたいこと)が多すぎる。

しかし、大学のレポートは格好の「書く練習」になるのではないだろうか。

私は言葉を仕事にしたいと思っている。そのために、大学生のうちにたくさん文章を書いて、少しでも「おもしろい」文章が書けるようになりたいと思っている。書くことを仕事にしたいとは思っていなくても、「文章がうまくなりたい」ということは誰もが思うことではないだろうか。

大学のレポートはそんな「書くこと」をトレーニングするために最適である。

大学のレポートは「参考文献を用いて」とか「この資料を読んでまとめよ」というものがほとんどである。言うなればこれは「取材」だ。自分の論を補強するために、あるいは自分とは異なる視点を提示するために、指定された資料に「取材」をする。

次は執筆である。ただ漠然とレポートを書いていても、筆力が上がることは決してない。しかし、文章の型を意識し、自分の書くものがコンテンツたり得るのかを考え、構造を決定するというステップを毎回のレポートで踏んでいれば、きっと文章を論理的に書く力がついていくはずである。

そして最後に推敲。誤字脱字がないかはもちろんのこと、与えられた課題に合致しているか、論理的に筋が通っているかなどを確認していく。さらに、書くことを仕事にしたいと思っている人は、一歩進んでそれが「コンテンツかどうか」ということもチェックするといいだろう。

以上のことを毎回のレポートでやり続ければ、毎回の授業が「書くこと」の反復練習になる。書く力が上がり、おまけに単位までついてくる(かもしれない)。

何事もまずは反復練習で基礎を固めることが肝要である。「型を身につけた上で破るから、”型破り”というんだ」とは中村勘三郎の言葉である。文章において「型」を身につけるためには、まず「書く人の教科書」を読み込み、それを実際に自分の文章で何度も実践することが必要である。

そのための練習に、大学生は日々のレポートを活用したらどうかという提案だ。実を言うとこれは、「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」を読んで、今日思い付いたばかりのことなので、実際に効果があるかどうかはやってみないとわからない。

もしかしたら、嫌々やっていた大学のレポートが、私をライターにしてくれるかもしれないという淡い期待を込めての決意表明。

いや、やるかやらないかは結局自分次第だな。


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