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カメラマンなんて誰でもなれる時代だから


先日から「カメラマンなんて誰でも」という話をしていて
本意を言うには長いので自分のnoteで書き留めることにした。

私は基本的にその通りだということを受け止めなければいけないよなぁ、という派。

勿論「そんなことはない、やはり違う」というのもその通りだし正直そういう自負も持っている。
ただ誰でもカメラマンになっているじゃないか、実際。
資格が必要な訳でもないし、スマホでもメチャメチャ綺麗に撮れたりするから、カメラの使い方よくわからない人でもすぐにシャッター押すだけでそれなりのものが撮れてしまう。

自分はこの仕事に30年近く従事してきてたくさん学び、こだわり、酸いも甘いも経験して、お金も相当かけてリスクも背負ってきてるけど
今やそんなこと一切無しで、私の目には正直ダメダメに見える人も「ご依頼はDMまで」なんて言ってる時代なのだ。

中には「趣味なので」「アマチュアなので」と言って「だから他人のアドバイスとか余計なマウントで聞きたくない、それより自分が楽しんで好きに撮る事がいちばん大事なんだ」なんてのが正義みたいな論調しておいてその癖、人からの依頼を経験もなしに喜んで受けてしまう人もいる。

それで良いものが撮れることも実際多々あるが、同時にその逆も然り。

この間紹介された初めてのお客様は、前回そうやって頼んだ人がうまく撮れず、挙げ句には「普段ポートレートしか撮ってないので」と開き直られたと嘆かれた。
お客様の立場からすれば、まったくかわいそうな話だ。
カメラマンの仕事は芸術でも自己表現の場でもなく、
人様の大切な時計の針を前に進める仕事なのだ。
責任取れないレベルのやつが人様の大切なものを引き受けるんじゃねえよ、と正直思ってる。

ただやはりそれは比べたら、という話であって、
まず比べてもらえるのかどうかという最初の問題だという事を認めないとマズいところに来てるのだと思う。

つまりいくら口で「そりゃやはり違う」と述べたところで
選ぶのは、決めるのは、撮る側ではなく相手なのだから。
我々は選んでもらう側だ。

そしてその選択は、写真を撮るより前のことであり、
乱暴な言い方をすれば経験豊富なベテランプロカメラマンであろうが、ヘタクソなアマチュア初心者であろうが
選ぶ側に想像ができなければそれは横一線の同じカメラマンにすぎないのだ。

以前に一度話を聞きに来た人で「広角とか望遠とか聞きますけど、あのレンズの違いってよくわからない」と言われて呆れたが、その人にすら依頼は来るのだ。

それでもその誰もが「それで充分な良いもの」を撮れる可能性が大いにあるのが、他のジャンルとは違うこの「写真」という世界なのだと思う。

それこそ私が面倒なほどいつもいつも話す「観客が一番大事」というこだわりのために、
舞台撮影用の高価なカメラをぶっちゃけ実に無理をして先日購入した。
良い写真を撮るためではない。良い舞台のためだ。
けれども実際こういうこだわり自体少数派であり、そもそも主催者側や観客側が気にしないのなら徒労なのだ。
「良い写真を撮ることが一番大事」と思う人同士なら、私の勝手な気遣いなど余計なお世話に過ぎない。

ある意味、頼む側のせいでもあるし、
写真というものがとても身近になって「簡単に撮れる」という認識になったために「センス次第」と誤解される時代になってしまったと言えるかもしれない。

だからこそ「選ばれる」という観点に向き合わないとあぶない。
誰でもそれなりに撮れて、それで充分というOKラインの中で、どうしがみついて生き残るのかそういう危機感が本意。

そのスタートラインに立たせてももらえないのに「自分の方が良いものを撮る」といくら声高に語ろうが、それは自分を慰めるだけで何も産まない。
この仕事、撮らせてもらえない事には、いくらうまかろうが熱かろうが価値はないのだ。

ではどうしていくべきなのかとずっとずっと真剣に考えていて
動画もやらなければドローンも断ってて、そもそも特別何かに秀でているわけではない私が出来ることは大抵やりさえすれば誰でも出来るし、
それでも何とかこの世界で生きていくのにしがみつく答えはこれだというのはいまだ出ないのだけれども
とりあえずは自分のできることから
とにかくその「選ばれた」事にどれだけ応えられて、
違いを感じてもらえて、次や別の人へ繋げてもらえるかに必死になっている。

日当100万円だという写真家が、腕を磨いて自分のように、と言うが
そんな仕事は世の中に数えるほどしかありはしない。
相手ありきなのだから、見るべきは大金を稼ぐとか、自分の写真を磨くとか、そういう事じゃなくて、上手い下手でもなければ、自分にしか撮れない写真を目指すとかでもなく。

目の前の人に向き合って、何が求められていてどうしたら喜んでもらえるのか
自分が関わることで何か提案できたり何かが変わったりするのか・・・
限られたその選ばれる機会のために常日頃どういう準備をしておけばいいのか・・・
相談できるとか、間違いないと信頼できるとか、知識や世界を広く持っているとか、トラブルやアドリブにも対応できるとか・・・
AIまで進化してきた以上、きっと写真を撮ることだけの意識じゃダメなんだと思う。


とは言え、原点というのも大切なことで、
先日たまたまタイミングが合ったというだけで2日も連日で「選んでくれた」あの子は
ノリで足を伸ばしたポピー畑のポートレートを渡すと「最近気持ちが落ちてたけど少し元気が出た」と言ってくれた。
「誰でもいいから撮られたい」人とはタイプが違う彼女の事だから、
あれはきっとお世辞とは違ったんじゃないかなと思ってる。
いやお世辞だとしても、それだけで嬉しかった。

私が写真を志した時からずっと持ってる原点。
「たかが写真されど写真」
小さくてもいいから何か意味を持つこと、そう価値を感じてもらえること。
だからあなたに、って選んでもらえること。

写真が撮りたいからカメラマンを続けている訳じゃない。
写真で何かの力になれるからカメラマンをしているのであり、
写真で何かの役に立てている限りは私はカメラマンでいられる。

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